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変化だけが不変なのかな

note、タイトルをつけるのが一番難しいと思う。笑 タイトルは後半の話です。

台本で、なんとなく言いにくかった台詞が、ある瞬間を経て、言いたい台詞に変わることがある。もちろん役どころによっては、それを言いたいから言う言葉もあれば、本当は口に出して言いたくないけど言わなきゃいけない言葉もあるのは承知の上で、”台詞”として、この台詞が好きだな、になって、自分のものになって、体に落ちる瞬間があるって感じの感覚。
最近、その瞬間と何回か出会ってる気がする。ただ単に、読み足りてないっていう話もきっとあるんだけど。でも、相手と何回かシーンを回していると出会うこともあるし、あとは、台本には書かれていない部分を自分の中で創っているときにふと見つかったりすることもある。これってこういう感じの気持ちの流れだと凄くハマるんじゃないか、みたいな隠されたものを見つけたワクワク感みたいな。
背景にいろいろなことを創り上げても、お芝居の上でそれが全部見える訳ではないんだけど、それがとても大事だと思っていて。本の中で彼らもその世界を生きていて、言えない/言わない部分がたくさんあるはずで。そんなストーリーを沢山考えて、作家の方の想像を超えたものを持っていけるようになりたいなぁといつも思うわけです。
ある尊敬する大先輩の方から、自分のお芝居を見て言って頂いた言葉があって。「お芝居が記号になってはいけない。舞台に慣れてしまってはいけない。」と。場に複数人いれば、それぞれに対する感情や反応がそれぞれ違う形であって然るべきだし、稽古を重ねて、反応がそれっぽい型(いわゆる段取りとか)みたいになってしまったらだめなんよ、という理解をしてる。こうやって書いたら当たり前のことやのに、抜け落ちてしまっていたときがあって反省。台詞だけじゃなくて、その世界を新鮮に味わんとね。でも、わざわざ言ってくださったのは有り難い気持ちでしかなくて、本当に恵まれているなぁと思っている。

役者の話のつながりで、自分が一番尊敬する役者さん、(映画の企画で)勝手に二代目にしていただいた笑、大泉洋さんの記事や雑誌を読んでいると、役者として大事なことが本当にいっぱい書かれている。一般論のように思えても、役者として読むとより響くものがある。
あと、大泉さんの書いた「大泉エッセイ」という本があるんだけど、これもたまに読み返すほど好きで。半分ぐらいは大泉節の笑える面白話なんだけど、半分ぐらいは考えさせられる内容が並んでる。
何回か読んでるはずなのに、今日初めて、この内容が気になった。

まず自分の中の変革があって、それに伴って環境の変化があるのがベストなのかなと。誰かが言いました。「世の中は変化だけが不変だ」と。

大泉エッセイ 〜僕が綴った16年 (ダ・ヴィンチブックス)

今日はこの一節にすっと共感して。
仕方なく環境を変えなきゃいけなかったり、想定してたものが駄目だったりして、無理やり気持ちを切り替えなきゃいけない時は確かにあるんだけど、こうしたいとかああしたいとか、自分の気持ちが先に動いた結果に環境がついてくる、みたいな状態がいいなぁと思っていて。
思い返せば、うまくいってる時ってだいたいそうだね。守りに入ってもしゃーないときあるもんね。もしかすると大体そうかも。現状でいいやと思って同じことをしてたら維持できないのと同じで、気持ちも行動も、どんどん動かしていくのがいいんだろうなぁと思ったりして共感した。

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