これまで以上に寛容であるひつようがある
息が詰まるような日々を過ごすことを余儀なくされて、比較的そういったことから無関係でいようと思うのですが、周囲の人が閉塞感や息が詰まる思いをされているのが伝わってきてしまい、こちらもつい息が詰まるような気になってしまう。
さすがにこれだけ長く続くと、何かしらの変化は強制されるし、好まざる変化も受け入れなければいけない部分も出てくる。結果として好ましい変化となるようにトライ&エラーを繰り返しながらもやっていくのがいいだろう。
そうなるとこれまで以上に寛容な自分であるひつようがある。
柔軟で融通の利く自分であるひつようがある。
社会全体が寛容性のない社会だと言われている中で、自分だけでも寛容で柔軟であることが求められる。
寛容や柔軟はなろうとしてなれるものでもなく、素質や性質はあるとは思うのですが、ぼくのような古い人間には難しい部分もあります。
人間も古くなるといろいろなところが硬くなってきて、筋肉や関節も硬くなり、柔軟性を失う。年をとるとケガをすることも多くなり、回復にも時間がかかるようになります。
どのような状況になっても、どっぷりと浸かってしまう体質にでもなるのだろうか?すばやく身動きをとることができずにどっぷりと浸かりこんでしまう。これだけ動きの早い世の中では辛い部分もあります。
道可道非常道
と老子が言ったそうです。
変わらずの道ではない。常にあるものはない。
ぼくたちはつい答えや正解を求めてしまうけれど、それさえも常に非ず。
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