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息の不思議

息を吸ったり吐いたりしています。
娘とふたりでクルマの中で話をしていました。

歌声があったり、話かけることがあったり、深呼吸したり、寝息を立てていたり、ため息をついたり、いろいろと息にはあります。

人間は息を吸うことは本能的に吸うらしい。
息を吐いて吐いて吐いて吐ききったら、自動的に吸うらしい。水難事故でお亡くなりになったときに、肺に水が入るのは息を吸うということが人間の意志とはかけ離れたところにあるからだろう。

そう考えたら息を吸うことをがまんし続けることは難しい。
以前、病院に勤めていた時にはよく使っていたのですが、指先で酸素飽和度を測るパルスオキシメーターというのがあります。
コロナが流行った時などにはあちこちで売り切れになっていたそうです。
普通の人は100%~98%くらいです。
呼吸に障害がある人とかは、%が下がるので、モニターしていました。
遊びで自分にパルスオキシメーターをつけて、息をがまんし続けて、どれだけ「もう無理っす」というところまでがまんしても、%は変化はありません。
それでも限界を感じ、息を吸ってしまいます。

息を吸ったところでパルスオキシメーターの数値に変化はありませんが、生きながらえた気持ちになります。

でも息を吐くということは、歌声があったり、話かけることがあったり、深呼吸したり、寝息を立てていたり、ため息をついたり、全部が全部ではないもののかなりの部分で意図的な範疇に存在します。

息は吸って吐いてでひとつであり、セットものであるのですが、吸うということと吐くということは別のところに立っている。

娘よ、ため息もいいだろう。ため息をついてでも息を吐くべきだ。
でも意図的にできる吐くという行為にもっとこだわってみてもいいんではないかと思います。
息を細く長く吐きながら、心穏やかになるべく普段からいたいです。


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