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理解の探求

今、多くの人はインスタグラムでお店を検索したり、行きたい場所を決定します。私は整体業をしていますが、整体業の方々もインスタグラムでの集客に力を入れておられます。
私の知り合いの方もインスタグラムに力を入れておられます。

確かにインスタグラムを観ていますと「上手に見せるなぁ」と思いながら観ています。何事にも陰と陽があるように、見せたい部分と見られたくない部分とがあるとは思います。言い過ぎかもしれませんが、見せたい部分が極端のある場合、見られたくない部分も色濃くあるのではないかと思います。

以前、私の妻が「インスタで流れてきて、興味があるから行ってみたいお店がある」というので、検索して行ってみました。私はそのお店のインスタグラムは見ていませんので、わからないのですが、着いて入店した途端、妻が「全然違う。こんな風だとは思わなかった」と。私は暢気にお店の商品を観ていたのですが、妻はショックだったようです。「お店の中がめちゃくちゃ暑かった!お店の人は熱中症にならないだろうか?」と妻はどういっていいのかわからず、飛び出した発言だったと思います。


この経験から、インスタグラムでの集客やインスタグラムでのガッカリを多くの人が体験しているのではないだろうかと思います。画像をきれいに整えることができるようになり、見せたい部分だけをきれいに映し出すことで、多くの人の興味を引く。広告自体がそういうものなのかもしれませんが、玉石混合すぎて、もしかしたら何が玉で何が石かもわからない。礎となる「自分は見たらわかる」という妄信も通用しない。
見る目をいくら養おうとしても、誰かに習わないとわからない。本物だって見て学ばないとわからない。こういうことって考えてみると当たり前のことなんですけど、改めて書いてみようと思いました。


わかろうとするから、わからなくなるのではないか。
わかろうとすることは大切なことです。わかろうとするから、聞きたいことも質問することも出てくるだろうし、相手に対する興味も倍増する。相手のことをわかろうとすることは、相手に対する思いやりでもありますし、優しさでもある。

自分をわかろうと、理解しようとしてくれる人はうれしい。「いい人だ」って思います。「誰だ、お前」よりはずいぶんいい。
難しい本。頭に入って来ない難しい本の内容もわかろうとして「こんな感じかな?」わかろうとする。わかろうとするけど、わからない。でも読み進めるためにわかろうとしようとする。わかろうとする努力は必要だけど、わからないものをわかろうとするときに、自分の言語や自分の経験からわかろうとする。わかろうとしたことで、今の自分にはわかろうはずもないことをわかった気になる。

これが一番危険なことだと思います。私たちは先人たちの知恵を今の私たちでわかろうとし、その価値を見誤る。よくあるのが、わからない人にわかるように説明できるのが頭のいい人だ、という言い方をすることがあります。私はこれは半分は正しくて、半分は間違っていると思います。たしかに理解している人は言葉を、わからない私たちに合わせて説明することができるでしょう。理解している人に説明してもらった方が理解しやすいし、わかったつもりにもなります。しかし、私たちは私たちの言葉や経験で先人たちの知恵を理解することが困難であることも承知しなくてはいけません。

今はまだわからなくてもいい。必ずわかる私まで上り詰めるから、という姿勢でいたいと思います。


感情と感覚について考えていました。
感情と感覚について考えるきっかけになったのは以下の文。

気難しさと感覚の過敏さはどこかでつながっているようにも思う。

頑固おやじとか日本の古い職人気質の人とかのイメージ。
気難しい人だけど、とにかくこだわりがあって、俗にいういい仕事をする。繊細で不器用だ。感覚が過敏であるがゆえに、ほかの人にはわからないところで急に怒り出す。過敏であるがゆえに氣がついて、ほかの人からは気難しいと揶揄される。反対に考えると、気難しくない、おおらかで凡庸な人は感覚が鈍いのだろう。

私には見えないものの味を過剰に知りたがり、また過敏に捉えすぎ、それで事物を判断しようとする癖がある。でもそれでもよいと思っている。

自分の感覚に他人の評価や戯言が介入することをよしとしない。ややもすると他人に自分の基準さえも委ねがちな現代の風潮からすると炎上必須。

感覚の過敏さはそのまま美しさや何事かのこだわりと切れ目なく連続していて、そういう人でなければ通じない話がある。

人間同士は意外と同じ言語で話していると思っているが、同じ言語でも同じ言葉を話しているとは限らない。感覚や美しさというようなびっくりするほど個人的なことになればなるほど話す言葉は違う。もし仮に、同じ言葉を話す誰かに出会うことができたら、とても幸せなことなのだろうと思います。


読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。