自然災害はどうして起きるのだろうか?

 長雨の影響が出てきだしている。ついこのあいだも山陰地方には台風がやって来て大きな木々をなぎ倒していった。たまたま出張で出ていた先は朝から停電していて、昼過ぎにようやく復旧した。暑い中でクーラーもなしに過ごされていた。その前には大雨があって、冠水するところもたくさんあった。線路が丸々水没した駅がニュースに出ていた。

 今日からしばらく雨が続くという予報です。この雨がまたどのような災害をもたらすのか、どうってことないまま過ぎてほしいと願うのは誰も同じこと。災害自体の規模や程度も年々これまで以上になってきている。「いままでこんなことはなかった」という声を聞き飽きるようでもあるが、実際に災害が起きる前には「ここはこれまで大丈夫だったから」という古い声に引っ張られる。いままで大丈夫だったから、今回も大丈夫というのはどの事態でも当てはまらないのだから、用心するのに越したことはない。

 むかし、師匠がおっしゃっていたことだけど「自然災害の規模が大きくなって被害が大きくなっているのは、自然環境の破壊が進んだことが原因だ。どうして自然環境が破壊されるのかというと、人間の中の自然が破壊されているからだ」。

 自然災害が年々大きくなっている。ゲリラ豪雨というのも何年か前から耳にするようになった。線状降水帯というのがどれほどこわいものかも知るようになった。これらが人間の中の自然がこわれたから起きたのだとすると、この災害を仕方のないものと考え、避難することも大事だけど、あらしが過ぎ去ったら人間の中の自然を回復するよう努めなければならない。

 人間の中の自然が失われてきたか、そうではないか?という問いに明確な回答はできないけど、何となくいまの人間って自然でないような気がする。暗闇も雨風も克服してきたかのように振る舞う人間だけど、それが自然から乖離したように生活してきた代償のようにも思える。「人間の中の自然を回復することだ」という言葉といまのふるまいを照らし合わせてみることから始めてみよう。


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