バランス感覚と背骨の関係
毎日毎日生活していると、毎日毎日生きていると、これって大切なことなんだな、って思うことがあります。
それはバランスを取る、ということ。
いいも悪いもそのさじ加減ひとつです。
右に行ったり左に行ったりもそのバランスの加減。
人の評価や意見も同じことだといえます。
よかったり悪かったりです。
その強弱の程度で納得できたり、受け入れることができたり、受け取ることができずに、ただただ傷付いたりします。
感情の起伏が激しいタイプだとか冷静なタイプだとかいいますが、それもそのさじ加減といいますか、バランス次第なのです。
その人の中ではそれなりに揺れ動いている。
極端に激しく大きくある一定の方向に振れてしまうとよろしくない。
例えば、ほんの些細なことで激烈に怒ってしまったり、え?そこで?と思うような場面で泣き出してみたり。そのさじ加減はある程度、周りの人の予想の範疇でないと具合が悪い。
しかし、適度に振れないと、それはそれでつまらない人間に思えてしまう。
ある程度の揺れ動きがあり、揺り戻しがあり、そういった一見して不安定なものの中でバランスを取りつつ生きているのが人間である、とも言えるのです。
整体的な観点から申しますと、このバランスというものを司っているのは腰椎2番の働きなのです。
腰椎2番がうまく働いてくれませんと、重心の移動が難しくなる。
人と人との関係性においても柔軟にバランスを取ることが困難なようです。
腰椎2番の異常がある人はどうもこのあたりのバランス感覚にも異常がある、という傾向性があるようです。
しかし、腰椎2番の異常がある人からしますと、腰椎2番の異常のないバランス感覚のいい人を観ますととても不思議でなりません。
どのようにしたら、あのような場面で、あのように振る舞えるのかが不思議でならないのです。
どちらかといいますと、わたし自身、それほどバランス感覚に優れた人間だ、と思ったことがない方ですので、このことは身に染みてよくわかるのです。
腰椎2番というのは人の感情も現わします。
腰椎2番がよく動く人は感情も豊かです。ものごとの好き嫌いがはっきりしている、そういったタイプの人が多いようです。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
どうして嫌いなの?と聞いてもだって嫌いなものは嫌いだもん!というように本人にもどうして嫌いなのか理由はわからない。でも嫌いなことだけはよくわかるのです。
好き嫌いというものですから食べ物の好みもはっきりしています。
どちらかといいますと食べることは好きな方で、好きなものを好きなだけ食べる、という傾向性が強いです。
胃袋はわりと強い方で、体調が悪いときでもしっかりご飯だけはいただきます。
この方の生きる目的の中に「食べること」というのはかなりのウエイトをしめており、朝ごはんをさっき食べ終えたばかりだというのに、晩ごはんの算段ができるようです。
腰椎2番はひざとの関係性も深いです。
ひざというのは足の中でも股関節や足関節の間にあり、そういった意味ではバランスを司っているといえます。ひざが悪い人はどこかしらバランス感覚に異常がある、といっても過言ではありません。
ひざをこわしたとたんに、過剰なくらいたくさん食べるようになってしまった!という人もおられるくらいです。
そう考えますと、人の行動というものは背骨によって支配されている、ともいえます。
自分自身が無意識にしている行動や決定が背骨によって左右されている。しかも、それが好ましいとか好ましくないとかも含めて自分というキャラクターを形成するということです。
背骨は存在する位置の関係から自分でなかなか観ることはできません。
それゆえ自分自身というものは自分ではみえ難いものかもしれませんし、自分自身がこうだ、と思っている自分は本来の自分ではない可能性があります。
観えない何かに突き動かされる衝動。
それは背骨の影響かもしれません。
背骨というのは無意識の脊髄反射を司ります。その伝達は大脳の支配の何倍にもなります。
衝動を大脳が支配できないのはごくあたりまえのことなのです。
自分が好ましいと思わないキャラクターを好ましいキャラクターに書き換えることはできないかもしれませんが、ほんとうの自分というものを見つめる手段になり得ます。
整体というものは治療という世界に存在しません。
例えば食べすぎて腰椎2番が異常を起こすのは当然のこと。ある意味、この身体は正常に働いているといえます。
しかし、この過ぎる行動を整える手段を持たないとまた腰椎2番の異常をくりかえすだけなのです。
それを変えたい!と強く願う人と共にその方向に向かっていくこと、それが整体というものです。
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