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出張は疲れるけどきらいではない

 電車に乗っていたり、クルマを運転していたりという移動時間は特に何もすることがないので本を読んだり、音声を聞いたりして勉強するのにちょうどいい。それなりの期間にそれなりの移動時間を確保するのはぼくにとってとても大事なことだ。部屋で音声を聞いたり、デスクの上で本を読んだりするのもいいんだけど、意外と移動中の方が集中できたりもする。これが出勤中とか毎日の決まりきった移動時間ではないところも重要だ。

 音声も本も過ぎ去ったと思っても、もう一度聞き直したり読み直したりすると新しい発見とよろこびがあるから、新しい音声と新しい本と、これまでの音声とこれまでの本と、聞いたり読んだりするものは増えてくる。新しい音声や本に取り組むのは別にして、以前聞いたり読んだりしてしまったものに向かうのは何かしらの特別な動機がひつようだ。取り組んだら取り組んだなりに好ましい出会いはあるのだけど、はじめの取り組み方としてハードルは高い。

 聞き直したり読み直したりに取り組む前には何かしらのきっかけがあるのが必然で、あまたある中からそれを選択するにも意味がある。老子を読み直すにしてもそれなりの理由があるし、師匠の音声の中からある回を選択するのにも理由がある。一度で頭に入ってしまったいいものなんだけど残念ながらそうはならないことを自分自身がよくわかっている。ノートに書いたり、メモしてみたりしても頭の中に居続けてはくれない。くりかえしのきっかけが留めてくれるきっかけにもなる。

 そういった経験や体験が自分自身を積み上げて行ってくれるのだ。時間は過去から来て、現在にいて、未来へと横軸的に動いていくものだと思われている。学校でもそう習う。英語の過去形edを習うときとか現在形ingを習うときに学校の先生は横線で時間軸を説明した。しかし、時間軸は縦に存在し、降り積もるものによって未来へと引き上げられていく。未来が現在の自分を引っ張る。縦軸なのだから行くべきところにしか行きようがない。人生における選択など無意味なのだ。きっかけというバグに引っ張られるように降り積もる。それを埋める時間はぼくの場合、移動時間になる。とても必要な時間。だから出張は疲れるけどきらいではない。


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