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静けさと夏休みの思い出

愛光流からだと心整体ではお客さまからのお支払いに現金とクレジットカードでお願いしております。一部お振込みをご利用いただいておられますお客さまもいらっしゃいますが、概ね現金もしくはクレジットカードでお願いしています。
都会、大阪とか東京ではほとんどがクレジットカードか電子決済とお聞きしていますが、こちらの地域ではまだまだ現金をご利用の方も多いです。
現金決済ですので、おつりを用意しておかなくてはいけません。おつりの準備をするのもワンオペ個人経営者としてはいつものこと。オープン前やお昼休みを利用し、近所の金融機関へおつりを作りに行きます。

いつものように金融機関へ行きました。お盆期間も変わりなく金融機関は営業しています。ただ、行員さんはかわるがわるお休みをいただいておられるのか、いつもより人数が少ないように感じました。
必要書類に記入し、番号札をとって順番を待ちます。
現金でのおつり、1000円札の場合はなるべく新札でお渡ししたいので、おつりを揃える際に窓口のある金融機関にお世話になっています。新札に巡り会えるとうれしい気持ちになる。

金融機関の前の駐車場、ガラガラでした。「やってるのかな?」って思うくらい閑散としていました。普段ならATMに来る人や窓口に来る人のクルマで駐車場はいっぱいになっています。窓口で順番を待っている人は、私の前におひとりいただけ。誰もいない待合室のテレビから高校野球が流れていました。
いつもは電話をしたり、話し合ったり、なんだか忙しそうにしている窓口のうしろにいるおじさんたちもなんだかゆっくりしています。夏休みの職員室みたいでした。

普段なら入りづらい職員室も夏休みだけは何となく身近に感じます。それは先生方も同じでした。いつもは話しかけづらい先生方も夏休みの間はのんびりしていて、せみと陽ざしと風がある。風が吹くと風鈴が鳴って、校庭で水を撒いている音がする。

夏休みが終わると秋になります。秋から冬に向けての喧騒がまた始まります。拡張していったものが急ストップし、拡大から収縮へと方向転換する。陽の世界から陰の世界へと様変わりする。身体は季節を先取り、次の準備をしています。お身体を拝見していると、秋が近いのだなと感じます。


お盆休みを利用して、ご新規の方からもご連絡をいただきます。
ご新規の方はいろいろとお話をお聞きしながら進めます。それとともに愛光流からだと心整体、多くの場合は右と左の両側を刺激することはなく、片側の刺激に対しての生体反応を利用して身体を整えていくこと、治っていくことが大切ですということなどを説明しながら行います。

生活習慣やお仕事の状態などかなりパーソナルな部分をお聞きして、お身体の状態を比べていきます。脈や息の強弱はもちろんのこと、8月という季節の影響や生年月日から導き出される四柱推命の関与も視野に入れながら、整体操法を進めていきます。

ある時にはこのようなお話もありました。若いご夫婦がお越しになりました。ご主人さまが体調不良でご予約くださいました。奥さまは付き添いで来られました。問診表を書いていただき、いくつかご質問させていただきました。操法が終わり、生活指導を行います。その中で運命を切り開く5つの要素という話題になりました。命・運・相・陰・学の5つです。ここでこれらをひとつひとつ説明するのはやめておきますが、これから生活を共にしていこうとされる若いご夫婦にとって、どれだけお力になることができたのかわかりません。

しかし若いおふたりの先行きに幸運が待っていることを望まない人はいないでしょう。これからもおふたりの幸せな未来に少しでもサポートすることができたらと思います。


誰だって失敗することはありますし、失敗したときに大切なのは、それからどのように対応したかです。誰だって間違いはありますし、いわゆるやらかす時だってあります。私はめちゃくちゃあります。

思い込みをしてしまうことも多々ありますし、それで会員さまにご迷惑をおかけしてしまったことも一度や二度ではありません。それはもう反省していますし、単なるヒューマンエラーであることは疑いようのないことなのですが、紙に書いて貼っておいて、二度としないように誓うのですが、忘れたころにやってくるのも事実。

失敗したときには誠心誠意謝る他ありません。だってやらかしたのですから。それを追従したり、ごましたりすると、すぐに伝わります。フォローしているのだなってすぐわかる。不思議なもので、メールでもLINEでもすぐにわかる。普段言いっこない文面が書いてあり、聞くまでもないことを聞いてくる。あまりに見え透いているとこちらも悲しくなってくるので、何となく返信しますが、ごまかしたりフォローすればするほどペラペラになる。

ごまかしたり、宥めすかそうと見え透いたフォローをしているのは、すぐにわかるのに、誠心誠意謝っているのはどうして伝わりにくいのだろう。こちらの謝罪を受け取っていただく前に、相手方が持っている不平不満や失敗に対する怒りを手放してもらわないといけないからだろう。

相手の立場になると、ごまかされたり、宥め透かされるのは論外であるが、こちらがまだ持っている不平不満や怒りを無視して、誠心誠意謝られるのも、どこか軽んじられた気持ちになる。返事が遅いのにも腹が立つが、あまりに即座に返事されてもイヤな気持ちになる。やはり人はひとりひとり自分独特のリズムとテンポを持っていて、それを破られると不快な気持ちになる。誰かと対峙するときはすでに私や我、個性というものは余計なものになるのかもしれません。



読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。