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腰痛とハンバーグと体癖

人が何かしらの行動をとるときには原動力となるべく存在があります。欲求とか責任感とか使命感とか、そういったさまざまなもの。行動で是か非か判断されたり、行動の結果どうだったか、成功したのか?失敗したのか?ということで価値が判断されます。

ここで言いたいのは行動することがすばらしいとか行動した方がいいとか言うことではなく、行動しようがしまいが、原動力が存在します。

他人と同じ行動原理を持っていても行動する人もいれば、行動しない人もいます。その結果だけを見て是か非かを判断される。

たとえば食べ過ぎたのが誘因となって腰が痛い人もいれば、明日の会議が心配で腰痛の人もいます。妻にハンバーグが食べたくて腰痛になる人もいます。出世争いで負けそうだから腰痛になる人もいます。そういった腰痛にいくらクスリや注射をしたところで変わることはありません。コルセットやなんかしても同じことです。食べ過ぎを控えないと腰痛は消えないし、明日の会議が終わらないと腰痛は改善しない。腰痛という現象だけを見ていても変わることはないのです。

だからといってどんな現象や結果を引き起こしてもよいというのではなく、行動の原理を理解し、その欲求を適切に果たすことが重要です。
妻のハンバーグが食べたいのなら、マクドナルドに通い詰めても欲求は解消されません。ご家庭の食卓にどうしてハンバーグがのぼらないのかという原因を解消しなければならない。ご夫婦ともにお仕事が忙しくて、帰宅が遅くなるからハンバーグを作っている暇がないのかもしれませんし、もしかしたらお子さんがおられて、お子さんがアレルギーか何かでハンバーグが食べられないのかもしれません。奥さまに対して「ハンバーグを作ってほしい」と言えないのが原因かもしれません。

悲しくて泣く人もいれば、嬉しくて泣く人もいます。私たちはその違いを見分けることができると自負しています。泣いている人が悲しいのか嬉しいのかはわかっても、ハンバーグが食べたいのか、出世争いに負けたくないのかはわからない。これは私たちが鈍いというだけではなく、そこまで考えが及んではいないからです。

私たちは行動を起こすとき、起こさないとき、どちらにしても行動の原理があります。ある人は「損か得か」、またある人は「勝つか負けるか」。または「好きか嫌いか」。
整体ではこのような行動原理を背骨から判断し、体癖と名付けました。

「損か得か」が行動原理な人と「好きか嫌いか」が行動原理な人では、そもそも事の発端からして異なります。行動という結果が同じでも全く違うものになります。

ちなみに現代社会の構造的には「損か得か」で動いていそうな気がします。コスパ、なんていう言葉は「損か得か」が起源なのでしょう。誰もがみんな「損をしたくない」「得をしたい」社会なんて、私には窮屈そうに思えるのですが。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。