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きみは太陽だ

四柱推命は八字とか四柱とか命式とかいう呼ばれ方をしています。日本では命式ということが多いようですが、中国とか台湾のほうでは八字ということが多いようです。

この四柱推命ですが十天干とよばれる空間を表すものと、十二地支とよばれる時間を表すものから成り、個人のことを観ていく場合、その人の生年月日と生まれた時刻から観ていきます。

時刻というのは案外知らなかったりするんですけど、母子手帳かなんかをみると書いてあります。あとへその緒の箱とか。

ぼくも四柱推命を本格的に勉強するまでは自分が生まれた時刻なんて知りましなかったし、興味もなかったです。

でも、四柱推命って生年月日、時刻を八つの文字に変換して観ていくわけでしょう?なので時刻がないのってわかりにくい。

もちろん多分、この人はこの時刻くらいに生まれたんだろうなっていうのは推測はつくものの、実際に分かったほうが確実です。

だって正確には八つの文字のうちの6つ、6/8→3/4しかわからないんでしょ?それだとかなり精度は落ちる。それに、たとえばお金。財という星がいいという内容になるのか?お金持ちになりますよとか、お金には困らない運にいますねとか。そういうポジティブな内容になるのか?それとも、お金には苦労しますねとか、お金はまず一度出て行ってから入ってきますよとか、そういった一癖あるような内容になるのかは、わからないんです。

だから、星があるからどうとかいう人もいますけど、それだけじゃないんじゃない?っていうのがぼくの見解です。



このあいだ、家族で食事をしていましたら、ウチの妻が「これっ!」って言いながら、パッと新聞の広告をぼくに渡してきたので、手に取って、広告を観ましたら、革のバッグと財布。お揃いのセット販売をしているという広告でした。

「ほしいの?」って聞いたら「わたしじゃない。お母さんに買ってあげたら?」っていうので(ここでいうお母さんとはぼくの実の母親のこと)「わかった。観ておくから」って言ったら、妻が「お母さんのラッキーカラーにしてあげて」というので、母親の四柱推命鑑定をしました。

母親の生まれた時刻はわからなかったのですが、幸いわかりやすい命式と波乱万丈な人生だったので、鑑定自体はやりやすかったです(笑)


食事中ですので、実際には「ラッキーカラーにしてあげて」「はいはい」くらいで話題は終わっているのですが、そこからは別の話。

ウチの娘の話。ウチの娘の十天干の話です。

ウチの娘の五行は火なんですね。その火の五行の話です。ウチの娘の五行は丙(ひのえ)。火は火でも太陽を意味する火です。

太陽というのはあらゆるものを照らす。そういった根源。そして晴れの天気になって外に出たらみんながすること。太陽を見上げません?ドヨドヨと曇ってきても太陽を見上げますけども。とにかく、そういうふうに他人から見られやすい。


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だから、他人からはみられると思っておいたほうがいい。こそこそ隠れるくらいなら思いっきり失敗して笑い飛ばしておけばいい。なんせきみは太陽なんだから。

太陽が「わたしなんて」って変に謙虚というか謙遜というか卑屈になったらそれこそ迷惑だ。

空にある太陽はそんなことは思っていないぞ。「わたしなんて」っていって一か所だけしか照らさない太陽。こっちも照らしてくれ!ってなりますよね。遠慮しないでいいから。

太陽は細かいことはできないけど、ぶわーっとみんなを照らすんだ。たまに照らしすぎて、日差しがきつすぎて、それに負けて枯れてしまう草花もあるけれど、そんなことおかまいなしだ。そういった草花はちょっと湿った暗いところで生えればいい。

太陽はそんなこと考えなくてもいいのだ。

そんな話をしていたら、娘はわらっていましたね。


どうしてそういう話になったかというと、ウチの娘はよその人から言わせるとぼくに似ているらしい。妻に似ていると言ってくれる人もいますが、長男と並べると、娘のほうがぼくに似ている。娘はそれが悔しいらしい。

娘に似ているといわれてイヤになる父親はいないだろうけど、父親に似ているといわれてうれしい娘はいないだろう。多分。いたら相当うらやましい。

娘とぼくは誕生日も近くて「なんだか生まれ変わりみたい」「おいおい(お父さんはまだ生きているよ)」っていうくだらない食卓の話題。

でも娘と妻は同じ五行。ぼくとは違う五行。

そこから五行の話になったのでした。反省しても仕方ないところと自分の性質を知ることはときとして場を和ませるし、家族への話題提供にもなりました。よかったよかった。


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