見出し画像

ぼくたちは選びたい

 小学校と中学校の冬休みがはじまって子どもたちが朝から出かけることなく、家にいるようになりました。学校がある間はそれはそれで朝は慌ただしくバタバタとしているのですが、学校がおやすみの平日は親としてはそれはそれでたいへんなものなのです。

 ウチの妻は昼休憩に家に帰ってきてくれて子どもの昼食をなんやかんやしてくれてパッと職場にトンボ帰りしたようでした。

 ぼくはぼくで仕事の合間を縫って観に行けるときは観に行ってというようなことをしています。

 なんだか気忙しく感じてしまうのです。


 子どもの頃って学校が休みの長い休みが待ち遠しかった。

 中でも夏休みが一番うれしかった。冬休みもうれしいのだけれど冬休みはなんだかすぐに終わってしまう。クリスマスやお正月、そしたらあっという間に学校がはじまるので、なんだか遊んでいないような感じになってしまう。

 ぼくが子どもの頃って冬休みやお正月にどこかに出かけるというよりも親類が集まってくる方だったので普段はあまり会わない、見たこともないような知らないおじさんやおばさんが来て、帰って行ったら一日が終わる。そうやっている間に冬休みも終わっていました。

 冬休みって案外つまらないものだなぁって思っていました。

 ぼくの友だちもたいてい似たようなもので誰かと遊びに行ったりあまりできません。年末年始の忙しいときに誰かの家に遊びに行くわけにもいかないし、公園で遊びに出ることもなかなかだったような気がします。普通の日の方が集まりやすいし、堂々と遊べる。

 宿題や年賀状、大掃除や親せきの集まり。冬休みってつまらないなあって思っていました。


 これはこれで子どもの世界というものはとても狭いもので、自分の身の周りの範疇から出ないものですから、ついつい普段合わない親戚よりもいつも遊んでいる友人を優先してしまいます。

 でも大人になって行きますと、それこそ正月くらいしか合わない人物もいます。正月が来るたびに思い出す。一回でもその正月をパスされると忘却の彼方へと過ぎ去ってしまう。そういった身内もいるにはいるのです。

 ただまぁそういった親戚なのかはわかりませんが、ぼくから観た何代か上の誰かのつながりでおられる。そしてその上の方のつながりがなければ今の自分も自分の子どもたちもなかったかもしれないと思うと、急にその何回聞いても忘れてしまうつながりと名前のおじさんを有難がったりするのです。

 でも結局は覚えらえないんですけどね。

 子どもの頃はお年玉を配りに来るおじさん、おばさんというくらいの認識しかなかったおじさんやおばさんに急に感情引入するものですから、大人になるというのは多少は情緒が不安定になるということなのかもしれません。

 そういえばウチの父や母も急にそんなこと言いだしたときがあったなと思っています。


 ヒトとヒトのつながりというものはほんとうに偶然の産物だと思いますし、それこそ奇跡なんだなぁって思います。冬休みに家にいるウチの子どもたち。この子の親はぼくと妻なのですけれど、ぼくと妻というのはどういう偶然でそうなったのでしょうか?

 推命命式の中に夫妻宮というものがあって、その夫妻宮にどういったものがあるのかによって、たとえばぼくの妻になる人はこういう人だよっていうのがわかるんです。

 ぼくが自分の命式の夫妻宮を観ていて、ウチの妻のことを思い返してみて、あぁこういう人だよなぁっていうのはわかります。もちろんそれを偶然の軌跡として出会い、お互いがお互いを選び、手繰り寄せたのはぼくと妻自身なのかもしれませんが、誰とご縁を持つのかもある程度定められているものかもしれないと思います。

 何となくですが、長年連れ添われたご夫婦を観させていただいた時にはそれなりにご夫婦がお互いに切磋琢磨して今まで歩んで来られた軌跡を思い描くことができて、感動を覚えます。

 反対にまだお付き合いしておられる段階のお二人はたまにう~ん??って思うこともありますが。

 これは相性というものとはまた異なったものです。もちろんお二人の相性は?っていうのもありますけど、この方はこういった方に惹かれるのだろうな、っていうのはあります。その上で相性もよかったらめっちゃいいですけれどね~。

 自分が選んだパートナーが自分に合った人なのかどうなのかは自分が決めればいいことですし、たまには隣の芝生が青く観えることがあったとしてもそれは単なる気の迷いということです。

 自分が迷っていることすらわからないというのが一番厄介です。迷って迷った挙句に最悪の選択をするのです。迷って迷っている時にはほんとうにどうしたらいいのかわかりません。そして不安になります。どういうことかわからないことが何よりも不安であるし、怖いのです。

 こうなりますよっていう結果なんてほしくありません。ただ方向性を示してほしいのです。こうなりますよ、だからこうした方がいいですよ、なんていう言葉に従うのは自分を軽視している無責任な人だけです。

 学校の進路相談でもそうではありませんでしたか?ここを受けたら○○%の確率でしか合格しないとか。その言葉にしたがって自分の未来を変えるのでしょうか?言う方も言う方で、それだったら勉強の方法とかを教えてくれたらいいのにと思います。

 わたしたちは案外自分自身に絶望していません。ただ方向を示してくれたら自分で選んでいきたいと思っているのです。

 AIがいろんなわたしたちに合ったもの、わたしたちが好むもの、ほしがるものを的確に選んでくれる時代になります。でも、それだからこそわたしたちは自分で選んだことに後悔するかもしれないけれど、それでも自分で選びたいなって思っているんです。


 こういった女性があなたに合うかどうかはわからないけど、あなたはこういった女性に惹かれる傾向にありますね。

 ぼくがまだ妻と出会う前にこのように言われたらどう感じただろうか?いやいや、ぼくはもっと違うタイプの女性がいいですよって思うかもしれないし、実は案外図星なのかもしれない。でも振り返って思い返してみたら、まんまとその通りになっているところがまたおもしろいと思います。


 本日もお読みいただき、ありがとうございます。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。