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強さというものは攻撃よりむしろ防御にあるもの

 人間として強い人間になりたいなって思うのは、ぼくだけにかぎったことではないと思います。

 人間だれしも弱い部分というものは持っていて、じぶんの弱さというものに出会うたびになんだかわからないけれど泣きたくなってしまうのです。

 泣きたいなって思うまでになみだがポロポロ流れて、あれっ?って思うこともあります。

 じぶんって弱いよな~って思うことってありませんか?ぼくはありますよ。

 この強さっていうものについて考えたいと思います。


 強いってゲームの世界だといろいろな数値として描かれています。体力が100の人と80の人を比べると100の人のほうが体力がある。それはある意味では強いとなります。

 その他にも攻撃力や防御力、すばやさとか魔法の力なんかも数値化されています。

 そのいろんな数値が高い方が強いとなります。

 これはゲームの世界の話だったのですが、人間の実社会ではどうでしょうか?


 人間における強さの定義って難しいですね~。有事のときにはサバイバルの能力や知識はものすごい重要になりますが、平和な日常ではサバイバルの能力より、きちんと毎月決まったお給料を稼いでくる能力が重要になります。

 そうやっていちいち比べることは、置かれている状況下によって変わりますので難しいです。

 以前、風水は守りじゃないか?という記事を書きました。

 この攻めるとか守るとかっていう部分から強いということを考えていきたいと思います。


 強さというものは攻撃よりむしろ防御にあるものだと思います。

 この防御の強さをシンの強さといいます。

 シンが強い人って本当に強い人だと思いますよね。どういった人がシンが強い人かというと防御の強い人。相手をやり込める強さというよりはじぶんを守る、味方を守る強さを持っている人がシンが強い人だと思うんですね。

 思いやりとか慈しみ、そういったものを持って誰かと接することができる人ってシンが強い人だと思います。


 むかし、理学療法士時代にお世話になりました先輩療法士が女子サッカーをしておられて、県の選抜チームに入って国体に出るような名プレーヤーだったんですけど、その先輩にサッカーについてお聞きすると「わたしは守る女だけん」って言っておられました。この女性のもつ強さというものに心惹かれたものです。厳しくも優しい先輩でしたね。


 この強さというのを人体の構造で考えてみますと、骨というよりかは肉にあります。


 骨の強さは攻撃の強さです。攻撃はどちらかというと我という部分。じぶんさえ良ければいいという我欲になります。
この我欲を抑えたり、楽しむことを覚えたり、明朗さを出したり、優雅さを出したりするのはすべて骨を包む肉のつき方なのです。


 骨の構造は本来はそんなに大きく異なることはありません。もちろん男女の違いや年齢による違いはあります。長骨の長さや強度は違いますし、骨盤を構成する角度も違います。その骨がやわらかいとか硬いとかの違いもあります。そういった違いはあるものの、骨というものが持つ強さというものは攻撃の強さだと思うんですね。

 だから、我欲も大きくは違わない。我が強い人間もそうでない人間もそれほど我欲というもの自体に違いはないのです。

 でも、この骨を包み込む肉の度合いによって人間は違いが出るのではないのかなと思います。


 それは筋肉を鍛えたからどうとかということもあるかもしれませんが、それはほんの数%のことに過ぎません。

 我欲むき出しのわがままな人と我欲を克服したえらいお坊さんのような人がいたとします。骨だけを観てもどちらがどうなのかはわかりにくいものです。しかし、肉と言いますか、ふたりが並んでいたら、どちらがわがままな人で、どちらがえらいお坊さんなのかはわかりそうな気がします。

 楽しみがいっぱいある人はニコニコした笑顔でいることでしょう。骨からは観えません。骨から相を観ることもあるのですが、今回はその話はしません。

 優雅に動いたり、気品を感じられる人はその動きや表情を観ているとわかります。


 ちなみに人相の世界から言うと、眉間が狭い人は物事に対する考えや捉え方も狭くなりがちです。そういった意味で言うと心の狭い人間。いつもぶつぶつ不平不満を言っている人間。言わないけれど、いつもそういった思考に囚われている人間となります。

 顔や表情というものは肉の性質が決めるものです。そういった意味から言うといつもニコニコしている人の元にニコニコするような出来事が寄ってくるというのも、さもありなんです。

 それを攻めていると考えるよりは、むしろじぶんや周りにいるたいせつな人を守っていると思うのです。


 いい表情は気品を生みます。柔らかいしぐさは思いやりを生みます。

 それはじぶんや周りの人をあたたかく守ることにつながるのです。


 そういえば子どもが産まれて、だっこしながらあやしていた妻の表情を思い出しました。


 本日もお読みいただき、ありがとうございます。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。