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分離意識をやめよう

私 私たち 私たちチーム 私たち家族 わが社 私たちの業界 わが国
いろいろな言い方をしていますが
私たちは私たちを区切って暮らしています

最小単位が私だと思ってみても 
私すら細分化しています
会社にいるときの私は私を形成する一部分でしかないし
家族や友人といてもある側面の私しか表に現れません

まるでホールケーキがあって
おなかが減っているのに
たくさんの人に分け与えなくては行けなくて
もの足りないなと思っているみたい

それが区切るということではないだろうか


解剖実習に出たことがあります
某大学に行き ご検体になられた方々の検体を解剖書と比べて学ぶ
教科書に書いてある通りに臓器が並んでいて
筋肉が配列されていました
Aというご検体もBというご検体も違いはなかった

顕微鏡の世界で私たちは観ると細胞の集まりだそうで
それももっと細かくしていくと分子になり
原子と電子になる
もうそこまで行くと目に見えない世界で
知識とか教科書で読んだことがあるという世界になる


私たちひとりひとりは自分自身を切り刻んで生活しています
実際に切り刻んではいないけれど 
実感としてはかなり切り刻んでいます

分けることは正解なんだろうか

ご検体も私の肉体もさほど大きな違いはない
仮のご検体Cが私の肉体でも誰も気が付かない

ご検体は動かない
私は動く
そういえば亡くなった祖母も動かなくなった
そこにいるのに

私が動いているのは命があるからだ
命があるから動く
肉体が動いている原動力は命である

亡くなる前の祖母は優しかった
いろんな話をしてくれたし 
お好み焼きを食べに連れて行ってくれました
駅前から続く寂れた商店街にあるお好み焼き屋さんが好きで
よく連れて行ってくれたものです

祖母が亡くなって
動かなくなった命が去ってしまった後
私は彼女と話すことができなくなりました

祖母がどんな存在だったのか
祖母をどう思っていたのか
ただ
祖母自身が命そのものだったことを感じています

私たちは命があるから歩いたり話したりご飯を食べたり誰かを好きになったりすることができます
命は見えない現象として存在し
解剖書にも記載されていません

しかし 私を動かしている命はどこから来るのかわからず
祖母を動かしている命との違いも理解できません


原子と電子が私たちを形成している
私用の原子とか祖母用の電子とか
誰にもわからない
というか違いなんてあるのだろうか
ないだろう

私も祖母も同じ材料からできている
命の源も目に見えない何かなんだろう
私と祖母だけではない
犬も草も石ころも同じ材料でできている

もともと同じものを特別なもののようにして
分け隔てるから争う
同じだったとわかりあえればいいのだ


読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。