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色彩感覚と共感について

腰椎2番という骨があります。腰椎2番というのだから腰椎の中にある2番目の骨という意味です。腰椎というのは読んで字のごとく腰の骨なのです。腰椎というのは一般的には1番から5番まであるといわれており、解剖書などにもそのように記されています。

「腰椎の2番の圧迫骨折」だとか「腰椎2番と3番の間の椎間板の異常だ」などという使い方をしていました。

西洋医学的、病院や臨床の世界では腰椎2番は単なる腰椎の上から数えて2番目の骨なのですが、整体では腰椎2番には腰椎2番なりの働きがあると考えています。

腰椎2番の可動性を調べてみて、その他の4つの腰椎よりも2番の可動性がある人は特に色彩感覚に優れていると言われています。言い換えると整体の世界では、腰椎2番は色彩感覚を司っている、と考えています。

腰椎2番の可動性がよい人は書類なんかも色分けして書いてあったり、教科書に複数色の蛍光マーカーを使っていた人。それで効果があった人ですよ。ごちゃごちゃして逆にわかりにくくなったという人は腰椎2番の可動性があまりよくない人かもしれません。イラストとか色彩で頭の中を整理するのにも腰椎2番の可動性がどうなのか?というのはひとつの目安となります。

柳田国男は日本には色を現わす言葉が意外と少ないということを述べていたそうです。
白や黒、赤などいくつかの色を除くと空色とか灰色など物の名前からの転用が多く、オレンジやピンクなど外国語由来のものもあります。しかし、これは日本だけが特別に少ないということではないようでして、諸外国の言語を調べても、色特有の名前というのは多くても10いくつで少なくなると3つくらいの名前になるようです。

コンクリンという人の報告をレヴィ=ストレースが紹介しているのをみると、フィリピンのハヌノー族は、すてきな分類法を持っている。すなわち色をまず、「生きている色」と「死んでいる色」とにわける。
近代人からみると、はじめかれらは、色をまず、「赤」系統と「ミドリ」系統とにわけているようにみえる。ところが、切ったばかりの竹のつややかな栗色は、「ミドリ色」だとハヌノー族はいう。それは色相からいうと、むしろ「赤色」に近いものである。ハヌノー族はじつは近代人のように色相で色を分けるのではなく、生きている植物の色と乾燥した植物の色、というふうにわけているのだ。だから、切ったばかりの竹の生き生きとした赤色は、「ミドリ」の草木の色に近いと、ハヌノー族は感じ取るのだ。

真木悠介の著作からの引用である。

ハヌノー族は色というものは「生きている」ものと「死んでいる」ものをわけたのだという。整体操法にお越しになられた人もそうですが、出会った人の顔色を窺うというのは何も操法の現場だけに限ったことではない。朝起きたときから、ご家族の顔色を窺うというのは無意識的にしていることです。風邪をひいているのか、あまり眠れなかったのか、学校に行きたくないのか、というのは顔色に自然と現れます。

私の場合はですが、整体操法の現場で顔色の良くない人がいらっしゃったとしたら「あなた顔色悪いですね」とは、絶対に言わないのですが、顔色が悪い人は機嫌が悪かったり話が通じなかったりすることが多々あります。ですから、それからのお話、応対には注意するように心がけています。そもそも体調に異変があるときに人は不機嫌になったり、話がかみ合わなかったりするものです。


そういえばコロナが流行った時期には顔色が悪い人をよく見かけたものでした。
コロナはまだそれなりに流行っているようですが、数年前、コロナのワクチンとか治療薬とか、よくわかっていなかった頃、相当に顔色が悪い人がいました。コンビニで店員さんが手渡しでお釣りを渡したら「殺す気か!」と言って殴られた、などというニュースがあった頃のこと。

コロナに罹患したわけでもないのに、まだ罹ってもいないのに顔色が悪い人がいました。
人間というのは不思議なもので、身体的に問題がなくても心理的に不安になると顔色が悪くなる、おそらくハヌノー族で言う「死んでいる」色をしていたのだろうと思うのです。無意識、潜在的なものが隠しきれずに表に現れてくる。そう考えると「生きている」のか「死んでいる」のかを判断することは大切なことだと思います。

もちろん「生きている」のがよくて「死んでいる」のがよくないとも言い切れない。「生きている」のも存在すれば「死んでいる」のも存在している。単に分けるということであり、それは方向性を分けているのだともいえるのではないか。「生」という方向に向かうのか「死」という方向に向かうのか。ハヌノー族が色をわけた理由の一つに彼らの「生」と「死」に対して優劣をつけず、「生」も「死」も受け入れて、そのまま今の現状にあるという価値観に根差したものではないかと思うのです。

どちらかというと最近では「生」や「死」に対してさえ優劣をつけたがる傾向にあります。そればかりか「死」に方にさえ優劣をつけるようになりました。「生」も「死」も本来は渾然一体となっており、単にどちらに足を突っ込んでいるのかというだけに過ぎないのではないか。

整体では腰椎2番という骨は共感する力にも関係していると言われています。腰椎2番の可動性が豊かな人は共感する力も高いということです。
ある色とある色が溶け合い、渾然一体となって、「生」も「死」も混ぜこぜのままで優劣をつけないということが本当の共感と呼べるのではないかとハヌノー族のエピソードから思ったことです。


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