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自信があるとかないとかいうのは経験値に由来するものだと思っていた。ゲームのように経験値が増えると自然にレベルアップしていき、同時に難易度の高い敵にぶち当たる。それを苦闘の末に乗り越えていくことでさらに経験値が増え、自信もついてくるものだと。 同じ技術を持っていても上手とか下手というものは存在していて、いかに一般化し簡略化されてもついてまわる。自信があるとかないとかにも左右されるのではないかと思うのだが、この自信というものがやっかいだ。そもそも同じ技術という言い方に語弊が
受け継ぐべきものがあって、ぼくも父親や祖父から受け継いできたものがあって、それをおそらく子どもたちにも伝えていくんだろうなと思う。会社とか土地とか家とかそういったものだったらわかり易いんだろうけど、そういったものは受け継いでこなかったし、わたすものもない。でもいくつかのプロセスの中で断片的にでも伝えて、わたして行っているんだろう。 誰かが目に見える形のものを受け継いで、それをさらに次の世代にわたしていくための決意をする。いまの時分になってそういうもんだったんだと気が付く
孤独という感覚は好きな人もいれば死ぬほどきらいな人もいて、ここ近年の世界のありようからすると孤独を感じている人の方が多いように思うし、国家の政策、地方自治体の政策でも孤独を促す方向性に行っている。ことが事だから致し方のない面もあるが、孤独が死ぬほどイヤな人からするととても辛い期間だろう。孤独が好きというか、程度にもよるかと思うんですが、「死ぬほど」ではない人からしてもまったくの孤独を感じ続けるのには厳しいものがある。 人間は他者と共存し、他者がいるからこそ自立したり支え
四柱推命命式の中に大運というものがあって、この大運というのは運氣の運行、流れを示している。10年ごとに変化していくものであり、〇3歳ごとに変化する人もいれば、〇7歳ごとに変化する人もいて、それぞれに異なる。10年ごとだから傍からみれば落ちぶれたようにも見えるし、飛躍したようにも見える。仮に20年間運がよかった人が21年目から運が悪くなると途端に事件を起こしたり、不祥事が発覚したりする。そういったできごとが大運によって読むことができるのだから、四柱推命というのも侮れないものだ
誰かの命式がふと気になることがあって、それが今をときめく有名人な場合もあるし、そうではない場合もある。一般人の時もある。気になると眠れなくなり、ごそごそと起きだしては命式を調べてみる。これまで気にも留めなかった人の場合もあるし、気になっていた人のことがさらに気になることもある。それが自分にとって重要な場合もあるし、まったく害にも得にもならないこともある。 四柱推命の勉強をし出す以前に出会っていた人のことを思い出す。もう疎遠になってしまって、誕生日すら覚えていない。今更聞