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大運が決める

 四柱推命命式の中に大運というものがあって、この大運というのは運氣の運行、流れを示している。10年ごとに変化していくものであり、〇3歳ごとに変化する人もいれば、〇7歳ごとに変化する人もいて、それぞれに異なる。10年ごとだから傍からみれば落ちぶれたようにも見えるし、飛躍したようにも見える。仮に20年間運がよかった人が21年目から運が悪くなると途端に事件を起こしたり、不祥事が発覚したりする。そういったできごとが大運によって読むことができるのだから、四柱推命というのも侮れないものだと思う。

 「当たった」「当たらない」ということで済ませるのはその人の自由だし「いいことしか信じない」のもその人の自由だと思う。でも飛躍する前に実力をつけるべく下積みを積んでおこうとするのも自由だし、落ちぶれる前に最小限にとどめようとするのも自由だとも思う。

 大運には一定の流れがあり、その吉凶は各人で異なる。ずっと運が悪かった人もいればずっとよかった人もいる。運というのはデジタル式に変わるものではない。徐々によくなる傾向や悪くなる傾向というものがある。「なんとなく運氣がよくなってきたな」意外とそういう直感が当たるかもしれない。

 これまで「わたしはどうしたらいいんですか?」「それってこうですか?」「そうは言いますけど」「だったらどうしたらいいんですか!」って相談に来ては逆ギレしていたような人でも大運が変わると「そうなんですね~」「やっぱりそうですか~」「じゃあ○○したほうがいいですね」という風に話す言葉や助言の受け取り方までも変わるからおもしろい。素直だとか遠回りをするとかも運次第というところがまたおもしろい。浮いた経験、沈んだ経験がある人が強くなるというのはそういうことだろう。運がいい人は女性も男性も魅力的に見えてくるのもおもしろい。「努力」と書いて「足掻く」と読むのではないか、とも思う。


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