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お盆の準備

 受け継ぐべきものがあって、ぼくも父親や祖父から受け継いできたものがあって、それをおそらく子どもたちにも伝えていくんだろうなと思う。会社とか土地とか家とかそういったものだったらわかり易いんだろうけど、そういったものは受け継いでこなかったし、わたすものもない。でもいくつかのプロセスの中で断片的にでも伝えて、わたして行っているんだろう。

 誰かが目に見える形のものを受け継いで、それをさらに次の世代にわたしていくための決意をする。いまの時分になってそういうもんだったんだと気が付くパターンもあれば、物心ついたときから理解しているパターンもある。いわゆる跡継ぎっていうやつだね。地方にいるとそういったことのほうがある意味で常識的な考えになるし、兄弟の中で何番目に生まれたのか?ということの方が重要になってくる。

 ウチにはそういったものがないなぁって考えていたんだけど、系譜をたどればおもしろいことにそれなりに同じようなものを受け継いで、わたして、生きているように思う。年をとってくると親父に似てくるというのはそういったところに要因があるのだろう。受け継いだものがその人間の形を作り、印象を与える。うどん屋さんはうどん屋さんのようになるし、牛飼いは牛飼いのようになる。

 整体でいうところの体癖というものがいわゆる遺伝的に伝わっていくから姿かたちが似てくるものなんだと思っていたけど、そういったものだけではなく、その家で過ごした時間が何かを受け継がせ、何かをつないでいく。そういった観念的なものでも人間は形成されていくんだなと感じた。もちろん体癖だからこそ観念づけられるものもあるんだけど。

 四柱推命で観るとウチのむすこは家業を継ぐ。ウチの家業というものを伝えなきゃな。牛飼いが牛飼いを継ぐように、教員の家庭が教師を育てるように、そんなふうなものを伝えることはできないんだけど、ひとつ上の世代、もうひとつ上の世代から受け取ってきたものだったらわたしてあげられるような気がする。こういったことを考えるのもお盆という風習があるからだろうと思う。移動できないお盆だけど、田舎ではお盆の準備は進んでいる。


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