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文字にするのが恥ずかしいほど、弱音

春は多くの蕾が花開く季節である。その花が咲いた過程にはつらく、厳しい冬を乗り越えたと言う事実があって、それを祝福し、褒め称える季節でもある。

周りを沢山たくさん祝福して、なぜか、それが苦しい。当たり前なのかもしれない。なぜなら私にはそれができなかった上、これから花開かせるバイタリティもないからだ。そう決め付けているからだ。
高2の冬、病気になった。闘病した。なんとか生活を送れるようにはなった。一応卒業した。さあ?次の一手は?行動は?私の周りにいた人たちのように当たり前に大学に行く?専門学校?何をする?そのために何をしたらいい?

何にもしてないのに、疲れた。多分甘えてるんだろう。それでもいい。
あー、死んじゃおっかなーと軽々しく思う。
死ぬほど辛かった闘病前期の私が沸騰して怒るだろう。あの時は絶対死んでなんかやらないと思っていたから。
この苦しみを描き続けることで未来の死にたい子たちを励ますんだと思っていた。
それが私の唯一の支えだった。
出来上がってみるとこんな鬱々とした文章しか書けない私。もうすぐ19になる。

「ねえ、見てる?」そう問いかけてみる。17の時そうしたように。現状を打破するには行動するしかないのにそれすらできずに縮こまってるよ。何か大きな波が私をさらっていってくれないかなんてファンタジー。そんなものすら期待しているよ。そういえば病気もある意味大波か。なんでもいいけどこんな感じで君の夢は叶っていますか。こんな19歳でごめんね。理想やプライドと自分の弱さを兼ね合わせるのにまだ時間がかかりそうです。でもとりあえず死なないで偉かったね。君よりお姉さんなので私も死なずに頑張りたいと思います。自分で頑張れていると思えるようになるのはもっとずっと先のことになるかもしれないけど。