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ごま団子

いつも不思議に思っていた
人が1人いなくなっても
そんなこと忘れてしまったように
なにもなかったかのように
変わらず続いていく日常があること
人々は笑って怒ってご飯を食べて
朝と夜は繰り返されて
地球はくるくる回っていて
同じようで違う日々で
変わらないようで目まぐるしく
変わっていく
そんなこと拒絶したいと思っていた
だって、あの人はもういないのに
「幸せだ」なんて許せない

「いらっしゃい!」

どうして中華屋の床というものは靴に貼り付くのだろうか

にちゃり、にちゃりと音を立てるこの床に閉口するねと言いながら歩くのは案外好きだったりする

「ことみ、決まったか?」

「うん、わたし餃子定食。それと……」

「「ごま団子」」

「よし、あっ注文お願いしまーす」

悪戯っ子のように笑う父が見たくて中華屋で頼むこれ。わたしはそこまで好きじゃないのだけれど、まだデザートにはしゃぐ子供でいたいというちょっとした気持ちがあって、道化を演じて父に甘えているのだ。ツーカーで通じる相棒のようでなんだか秘密な感じもする。この日だけ特別に頼むごま団子。

それは、

母さんの大好物で
今日は母さんの命日だ。

今年は大雨にならなくてよかった、と雨粒を拭う父の髪には、あの日はなかった季節外れの粉雪がちらちら積もっている

笑い皺の谷もより深くなった

時が経ったのだ。

向かいに座る父もまじまじとわたしを見ている
きっとおんなじことを考えているのだろう

2人で見つめあってクスクスと笑う

あの日小学生だったわたしは今年めでたく高校に上がった

相変わらず似合わないスーツの父と違って

まだぎこちないセーラー服のわたしは

中学生のブレザーとは随分違って見えるのだろう

「いやーことみもついに高校生か、通りで父さんもおじさんになるわけだ」

「それもう十回くらい聞いたよー耳にたこができるよ」

「言わせてくれよ母さんのぶんもさ」

「……」

いやあごめんなあと返事がくると思っていたのでつい黙ってしまった

そうだね、と返せばいいものを。

そうしたくはないのに6月の湿気と比例してしっとりと湿る空気

「……なんかごめんな。ことみ」

「ううん全然……」

全然気にしてない?それとも全然大丈夫?
どの言葉を選んでも何かが違う気がして
全然の次の言葉を探してわたしの視線はメニューに落ちる

ごま団子、300円

この机に注文したものが届いたら、300円で気まずい空気は浄化されるだろうか。

なんとなく落ち着かないでいる父といつもと違う雰囲気を感じ取ってしまう妙なところで敏感なわたし

そして、沈黙

だんまりが続くと思っていたその矢先

「実はことみに話があるんだ」

口火を切ったのは父だった

「16歳のことみへ、母さんからの手紙があるんだよ」

「……いいんだよ。いいんだけどさ、普通中華屋さんで渡すかな?」

「あっいや違うんだほら父さんこんな性格だろう?だから黙っていられなくなっちゃって。
父さん宛にも手紙があるんだ。同じ日に読んでくださいって。」

「だから、はい」

ことみのタイミングで読みなさい、父さんはもう読んだんだ。と言われて手渡された手紙は可愛らしいイラストがついていて、ああこの作家さんのこと母さん好きだったよなあと懐かしく思い出す。

そこからぽろぽろと流れ落ちるように、闘病中の母さんの様子が思い出された

「中身なら食べられるのよ。」
口内炎と食欲低下で物が食べられなくなっても、胡麻団子の中身だけは食べられると笑っていた
「こしあんじゃダメなの?」
「ダメなの。油で揚げてある中身がいいのよね」
ごま団子を割って中のあんこを丁寧にすくう母
それを見た父が、母が以前好きだったコロッケを買ってきた。コロッケの中身を食べて嬉しそうな母。お父さんは昔からアイデアマンだからねとクスクス笑う

朝起きると居間で2人が抱き合っている時があった
サンドイッチ!と叫んで母に抱きつきながら
母と父の間に挟まる。
なぜか母は泣いていた。
「幸せすぎると涙が出るのよ。」

体のむくみがひどくなっても笑顔を絶やさなかった母。

痛みがひどい背中をさすって欲しいと言われて華奢になった背中をさすった。

小学校の6年になっていたわたしは病状の悪い現実から逃避したくて、

ゲームをすると言って
父に代わってもらったこともあった。

食べられなくなってからはすぐだった
それでも頑なに家にいることを望んでいた。

5時42分、ご臨終です
そう言われても布団にいる母に変わりは見えなかった
眠っているだけのような気がして
なんてね?と笑って起き上がるような気がして
泣けずにいたわたしを
訪問看護師の方が見ていて手助けしてくれた。

「お母さんのお腹に触れてみて。どう?あったかいでしょう。これから冷たくなっちゃうのよ。最後に触ってあげて、ね。」

最後の母の温もりを感じて
それが冷えていくのを感じて
涙が止まらなくなった
心を切り刻んだ傷は生傷のようにずっと痛い物だと思っていた
でも違った
いつまでも治らないことを期待しても
傷は閉じていく
思い出す回数は減っていく
脳内に焼き付けたはずの立ち振る舞いの解像度はどんどん下がっていく
わたしが完全に覚えていることで
永遠に一緒にいられると思っていたのに
神様どうして、どうして?
もう痛くないんです
古傷のように時々うずくだけになってしまった
そのことが痛いんです
変わりたくなんてないんです
癒されたくなんてないんです
母さんお願いだから
わたしの記憶からまで消えないで

滲みそうになる視界を振り払うようにして
わたしは手紙を開いた。

「あなたがこの手紙を読む時、わたしはもうこの世にはいません」なんて手紙の始まりかたは大げさで悲しいと思うの。だってあなたが読んでいる時どうであろうと手紙を書いているわたしは今生きているんだし、それが大切なことだと思うわ。第一、そんな文句わたしに似合わないしね。だから

わたしの大事なことみへ
今言わなかったら言えなくなっちゃうかもしれないから、大人になりかけてるあなたに伝えておきたいことがあります。

まず、高校入学おめでとう。綺麗な女の子になったあなたの姿が見えるようです。

絶対絶対可愛いに決まってるわ小学生からあんなに可愛いんだから。
こんなこと言っても親バカだって笑わないでね。

お勉強は、嫌じゃないならしといても無駄にはならないわ。今の世間の価値観に無理に逆らう必要はない。でもそれがあなたの価値の全てだと勘違いすることだけはやめてね。

あなたは、あなたの幸せを見つけるために生まれてきたんだわ、そしてそれを叶えるいろんなもんを揃える為のお金を稼ぐのよ。勉強もお金もそのヒント。幸せを見つける手段として賢く使いなさい。

お金も学歴もそのまま使えば人様にもらった物差しと同じなの。それにすがって生きていくのは大変だけど簡単よ。わかりやすいもの。でもそれってちっとも面白くない、かっこ悪いわ。
わたしはそう思う。あなたがどう思ってきたのかわたしは知り得ない、だけど、
わたしはあなたをいっとうかっこいい人間にしたいと思って育ててきた。自分の幸せに敏感な子に育ててきたつもりよ。

でも、自分の幸せなんていう抽象的なものを選ぶ道は時に修羅の道へと変わるかもしれない。

特にこれから思春期を迎えるあなたには

答えのない問いに向かっていく厳しさがあなたの身を砕く時があるかもしれない。

ふふ、怖くなった?

でも大丈夫。

あなたはわたしの子供なんだから
きっとうまくやって両手にもてあますくらい素敵な幸せを掴み取るわ
いろんなものを好きになるわ
わたしがそうだったように。
例えばね

ほこほこのごま団子を1人で3つ食べること!

100円玉だけ握りしめて駄菓子屋に走ること

楽しみな旅行に興奮して眠れなくなること

ちょっとだけ早く帰れた帰り道

目覚ましよりも1分早く起きれた朝

お天気のいい日に干した布団で寝ること

夜更かしできる金曜日

500円玉貯金で500円玉が見つかると嬉しくなること

6月の雨上がりに自転車に乗ると風がすえた初夏の森の匂いがすること

いつもより少しだけうまくマフラーが巻けた時

初めて美容師として職場に通勤した日

お得意さんができた日

樹の筋張っている左手に右手を絡めること

その笑い皺がくしゃっとするのを見る時

一口目で「お代わりある?」と聞かれたトマトシチュー

潰れたハンバーグは自分のものにして、綺麗なハンバーグを彼の皿によそる気持ちを知った時

「この人のために生まれてきた」という言葉の意味を初めて知ったと思ったこと

この世界にあなたが存在すると知った時

あなたを初めて抱いた日

あなたが初めてわたしを呼んだ時

泣きやまないあなたを外に連れ出して、二人乗りの自転車で近所中を冒険した深夜

あなたと一緒に絵本を読んで、もう一冊もう一冊と沢山読んでいるうちに寝るのが遅くなった夜

泣いて、笑って怒って拗ねて忙しいあなたを抱きしめた時

抱きしめ返してくれた時

つたない言葉で今日あったことを話してくれた夕方

お母さんの似顔絵を沢山沢山描いてくれた時

ランドセルが歩いてるように見えるくらい小さかった見送る背中がいつのまにか大きくなっていた時

いつも3つのごま団子をあなたが2つ、わたしが1つ分けていたのに「お母さん好きでしょ?わたし1つでいい」と言われた時

ねぇ?沢山あるでしょう
そうあなたにもらったものが沢山あるの

いつか、あなたがごま団子をわたしと分けずに食べる日がくる。それはわかっていたことだけど

ああ、神様どうしてこんなに早く
早くその時が訪れてしまうのか

だってあの子はまだ幼くて

さよならの時期さえまだ教えられなくて

それに、

あなたは優しい子だから、わたしを忘れないようにと思って苦しむかもしれない

でも変わっていくことを恐れないで、忘れてしまうことを恐れないで
否応なく変化する自分を責めないでほしい

大丈夫。何もかも遠くぼんやりとした印象になっても

わたしがいて、あなたがいた。その日々は永遠に変わらないのよ

わたしの死も人生の糧にして、たゆまず歩んでいってほしい

どうか幸せになってほしい

あなたが愛しい

あなたと出会えてよかった

あなたと出会えて幸せ

それだけを伝えてきた、そしてこれからも変わらず伝えたいの

愛してる

書き始まったらきりがないのよ、だから

もうこの辺にしておきましょうか
もうすぐすっかり痩せたわたしを空元気で喜ばそうとする小学4年生のあなたが病室に飛び込んでくる頃だから

それまでそうね、さよならの代わりにいっぱい愛してるって書いておきましょう

あなたの幸せを心から願うわ。いつまでも愛してる、わたしの大事なことみ

愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛し

「はいっ餃子定食とごま団子お待ちっ。」

「父さん」

「なんだい?」

優しい目と視線が合う

それだけでまた涙が溢れてきて、とめどない涙を線香くさい袖で受け止める。

「今日はごま団子から食べていいかなあ。」

「ふふっ、いいんじゃないか、餃子から食べないといけないという決まりもないし。」

「そうだよね。」

「それじゃあ今日はお父さんもひとつもらうとするかな」

「あれ、甘いもの苦手じゃなかったの?」

「まあまあ、いいじゃないか父さんがごま団子を食べてはいけないという決まりもないんだから。」

「それもそうだね。」

見つめあってまた笑い合う

ごま団子はいつもと変わらずやっぱり懐かしい味がした

「「ご馳走様でした。」」

「あ、雨、降ってないよ。」

「本当だなー墓参りの時にこんな天気ならよかったのにな。」

「そうでもないよ。」

「え?」

天気は変わっていく。
季節は巡っていく。

人が1人いなくなっても
そんなこと忘れてしまったように
なにもなかったかのように
変わらず続いていく日常がある
人々は笑って怒ってご飯を食べて
朝と夜は繰り返されて
地球はくるくる回っていて
同じようで違う日々で
変わらないようでめまぐるしく
変わっていく

幼なじみのよっちゃんは看護師になるために親元を離れてこの春から一人暮らしをすることになった。
「自分で決めたことだから。」
震える右手を強く握った。
「応援してるよ。」
わたしも高校で新しい友人ができた。部活動の仲間も、先輩もできた。
人間関係も変わっていく。
母さんのことを考える時間も、減っていくかもしれない。
けれど
もうわたしは大丈夫。
ごま団子と餃子定食でいっぱいになったお腹と、自分の頭で考える力と母さんの子供であると言う誇りを持って。
新しい道で幸せになろう。

いや、ここは選手宣誓だな

「幸せになることを誓います」

気持ちよく晴れた空にかけて誓いの言葉を呟いたら、空の向こうのあの人も笑って応援してくれるような気がした。

ああスカッと晴れた空に虹がかかっている

それだけでもう

ごま団子3つ分くらい最高に幸せだ。