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2023年は10年に一度の転機。札幌から白老町に移住するまでのアレコレを振り返っておこう

「今の会社入って10年だからさ、次のこと考えようと思って」
星野リゾート トマムで広報担当だった時、10年を節目に次のキャリアを考えてるのだと話してくれた女性が何人かいた。その人たちは皆素敵で、輝いていたように思う。
それ以降、私自身も「10年」と言う節目をすごく意識するようになる。2023年はその10年の節目の年となる。

私の10年を振り返ると、おおよそこうなる。

〜2003年     学生期(なので、ざっくり)
2003年~2013年 星野リゾート期
2013年~2023年 フリーランス期
2023年~      白老期?

10年ごとに転機をつくってきてる感じ

ということで、私、山岸奈津子が白老町に移住するまでの振り返りと合わせて、自己紹介になればと思うので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

白老町ってこんなまち

先に白老町について簡単に説明をしておこう。北海道の南西部、新千歳空港から南に車で40分くらいの場所にある人口1万5千人ちょっとの町で、2020年にウポポイ(民族共生象徴空間)が出来たことで話題にもなっている。海・山・河川・湖、さらには4種類の泉質が楽しめる温泉があり、水資源が大変豊か。
居住エリアは東西に25km細長く伸びていて、エリアによって全然表情が異なる(これについてはまた別途書きたい)。縄文時代からの遺跡や、住んでいてより色濃く感じるアイヌの人たちの暮らしと文化、先日北海道遺産にも登録されたばかりの幕府の命令により仙台藩が築いた北方警備の拠点「仙台藩白老元陣屋資料館」など、文化的な側面でも大変に魅力的な町だ。

今の自分のベースをつくっている星野リゾート期

2013年、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで事業を拡大していた星野リゾート(正確には星野リゾート・トマム)を退職した。
当時は、星野リゾート トマムの企画立案から広報マネジメント、ブランディングなど多岐に渡って関わり、本当に色々なことをやらせてもらった。
なんとか会社を良くしようと、血反吐を吐き苦楽を共にした同僚は今も定期的に情報交換をするし、大好きな仲間だ。
勤続10年を前に、仕掛けていたプロジェクトも軌道に乗り、ずっと赤字経営だった会社も「利益が出るかも!?」みたいなタイミング、さらに札幌に彼氏ができるなど(笑)、なんだか退職に向けた舞台が整っていった感があった。

なんかの取材の合間に撮ってもらった躍動感溢れる私。
めちゃ楽しそう。ちゃんと仕事して?笑

「なんで?今?これからじゃないの?」とか色々言われたりもしたが、ちょっと会社の枠が窮屈になっていた(やっぱり会社の利益になることをやる必要がある)し、今自分が出来ている仕事は、会社の名前によるものなのか、自分の力なのか、と疑問に思い始めていた。会社の外でチャレンジしたかったってことなのだと思う。

当時の総支配人は「今のナツコと、会社のフレームが合わなくなってきたんだろう。自分と会社がwin-winな関係ではなくなるなら当然の判断だし、自分もそうする」と言ってくれ、同志のように働いてきた上司も背中を押してくれた。本当に心強かったことを覚えている。

会社とは、広報・PRとは、マーケティングとは…そのベースは全て星野リゾートで教えてもらったと思う。本当に感謝している。
そして、会社が私に投資してくれた分は返して会社を辞められたと思っている。(たぶん、いや、そうに違いない笑)
星野リゾート・トマムの雲海テラスのメインビジュアルとして長年使用されていた写真は、私が当時買ったばかりのCanon EOS KISSで撮影したものなのだけど、なんならあのビジュアルだけでペイしているはず(笑)なーんてな。
ちなみに、星野リゾートの当時のホテル・旅館再生のお話がまとめられている書籍『星野リゾートの事件簿』の表紙には私の写真が使用されており、カバーの裏には、私の名前がクレジットされていたりする(自慢)。

会社辞めてよかった!
出会いと刺激に溢れるフリーランス期

話を戻そう。
2013年春、いろんな舞台が整い、いよいよ私は10年働いた大好きなトマムという土地を離れ、独立するという道を選ぶ。
当初は、他の業種なんかを調べたり転職エージェントに頼ったりもしていたのだが、会社を辞める話をするとみんな口を揃えて「独立?独立?」なんて言うもんだから、「そんなに言うなら独立してみっか!」くらいの軽い気持ちでスタートした(もちろん内心はドキドキだった)。当時は北海道でフリーランスの広報PRと名乗っている人はほぼいなかっただろうと思う。「えー、北海道で広報PRで食えるの!?」と随分言われたし、私もまさか10年やれるとは思ってもいなかった笑
最近では、フリーランスで広報やPRを生業にしている方も増えてきている様子。

退職直前に、北海道新聞社が出しているフリーペーパーで取り上げてもらった。
これが10年前かと思うと、それなりに成長してる気がする(笑)

これまで本当にたくさんの事業に携わらせていただいた。
観光はもちろん、飲食、大学広報、公共施設のオープン、アート、演劇…
特に2022年が最強で、「アートに、葬儀に、宇宙までー」と話していたくらい幅広かった。
新しい仕事のたびに業界について学ぶことになるのだが、それもまたとても刺激的で、独立していなかったら出来なかったことをたくさん体験している。収入が無くて、花屋でバイトしたり、派遣に登録したりと綱渡りの時期もあったりする(笑)が、それも含めて、本当に幸せ。

フリーランスとして活動する中でも、2023年の今に大きく影響している仕事が2つある。
1つが2014年に開催された「札幌国際芸術祭(以下SIAF)」だ。
広報PRの人員がいないからとお声がけいただき、アートはさっぱり専門外なところからスタート。時に困惑し腹を立てながら、関わっていくことになる。

ここでの仕事については、ここで書き切れるものではないので端折るが、仕事を通して関係する人が大きく変わり、世の中に対しての視点も随分変わったと思う。このSIAFとの出会いがなかったら、また全然違う人生だったのは間違いない。
(実際、白老町に移住するきっかけになるアートプロジェクト「ルーツ&アーツしらおい」は、SIAF2017でプロジェクトを担当していた木野哲也氏と出会いから、広報を手伝ってほしいを声をかけてもらったのが始まり。)

そしてもう1つが、「NoMaps」。産官学が絡みながら札幌・北海道の未来の可能性を広げていくプロジェクトに参加したこと。2019年から本格的に関わることになり、4年目。それぞれの業界、フィールドで社会を面白くしようというマインドの人たちとの出会いに刺激を受けていくのだが、特に、ここ数年の、北海道の地方で活躍するプレイヤーたちが新しいことを仕掛け続ける様子は、白老移住を決める要因の1つになっている。
それは、私が"フリーランス広報PR"として名乗り働くことに悶々としている部分を刺激していた。

NoMaps2021では、トマム時代にずっと一緒にプロジェクトに取り組んでいた、北海道大学大学院環境科学院の山中康裕先生と一緒にトークセッションをやらせていただく。嬉しかった。

やっぱり何か企てたい、見たい景色のために企画して動くことは楽しい

少し時は戻るのだが、トマム時代は、本当に色々なプロジェクトを立ち上げては、それを広報して、取材を受けて…とやっていたし、充実していた。自分が仕掛けたことが、お客様にも、会社にとっても、社会にとっても良い結果になるという経験は、私にとってこれ以上ないものだった。
上述した上司は「ナツコは、自分で投げて、打って、取りに行ってっていうのをやってるな」と笑って言ってくれて、ちょっと鼻高くなっていたが、今こうして書いてみると全然褒められてないなと思う笑。が、時に一人突っ走って、時に同僚と一緒に、小さいプロジェクトからちょっとずつ大きくしていき、大切なサービスにまで成長させていった。

喜んでくれる人がいて、会社のブランドにも寄与し、社会的にも評価される(広報的にはメディアが注目するなど)、まさに三方よし、”してやったり”である。
独立時、実はこの三方よしを会社の外、トマム以外でもやりたいと思っていたのだった。これまで関わってきた仕事の中で、いくつか近い事例はあれど、結論から言うと、自分が思うように動けず悶々とする10年でもある。
その理由はいくつかあれど、やっぱり自分が動かせる立場・ポジションにいられないこと、100%当事者として動けないことが大きい。内部の人間であるということは何より強い。(と思う反面、外側から圧倒的なパワーと行動力で動かしている人たちにも会っているので、力不足なだけと言われたらぐうの音も出ないのだが。)

札幌国際芸術祭2017で、札幌の老舗企業「中山ミシン」の看板娘 千鳥ふみ子さんを迎えプロモーションを展開した時の思い出の一枚。

フリーランス広報PRとして、社会からクライアントから求められることと、本当に自分がやりたい・関わりたいことのギャップはずっと持っていた。そんな中で、地域を舞台にさまざまなプロジェクトを起こしては発信しているプレイヤーたちは本当に魅力的だった。

フリーランス広報PRとして求めてもらえる一方で、自分が仕掛けていく側になりたいのであれば、何か環境ややり方を変えていく必要があるのは明白だった。

地域には課題と余白がたくさんある。10年目のタイミング

最初から白老町で働こう、何か起こそうと思っていたわけではなかった。二拠点居住にはずっと興味があったので、札幌をベースに仕事をしながら、良い環境で暮らせる場所はないかなと、銭函や余市、長沼?などなど気にしていた。

そんな中、上述した、新しいアートプロジェクト「ルーツ&アーツしらおい」が立ち上がるので、広報で手伝ってほしいとオファーをもらい、2021年から札幌と白老町を行き来することになり、白老町との縁が深くなっていく。

昔から水辺が好きで、海も川も湖もある白老町はいいなー、温泉付きの物件いいなー、移住もいいなーなんて言っていると、某企業の社長から「家探してるなら、祖父母が住んでた空き家があるけど見にいく?」とのお誘い。軽い気持ちで「見にいきたいです」と申し出てみると、敷地も建物もとんでもない物件(庭めちゃ広っ!え。母家と離れもあるの!?)で、そこから一気に、あれもこれもできそう、こんなことをしたら面白いか…もと妄想が暴走してしまった。ただ移住するだけじゃもったいないと言う気持ちが溢れてきた中で、「地域おこし協力隊」で白老町に来たらいいじゃないと、あれよあれよと話が進んでいった。
結局その物件には条件が合わず住むことにはならなかったのだが、スイッチが切り替わるきっかけだった。

自然環境も、食も最高(美味しいお店がマジ多い)な白老なのだけど、一番の決め手はやっぱり人だった。「ルーツ&アーツしらおい」をきっかけに地域の人たちとのコミュニケーションが生まれ、なっちゃん、なっちゃんと親しく接してくれる人懐っこい人たちがいて、居心地が良くなっていった。

関わりが深くなっていくと、地域にある課題と余白がたくさん見えてくる。もっとこの町で出来ることがあるんじゃないか、もっと腰を据えてやることで、住んでる人も、地域も、自分にとっても面白いことがやれるんじゃないかな、と思うようになっていった。そう、そしてちょうど10年という節目のタイミングだったのだ。
フリーランスになることを決めたときと同じく、「よっしゃ、これはこの波に乗ってみっか!」というまた軽くもドキドキの決断。

本当においしいものだらけの白老町。左から、町の財産「ファミリー居酒屋 河庄」の白老鯖のバッテラ、「haku hostel + cafe bar」のフィッシュ&チップス、「北の彩味 いちひろ」のさんまおにぎり、「MAIKO'S BAKE」のエッグタルト。あー、もう美味しい。

そして、2022年7月、地域おこし協力隊として白老町民となり、半年が経過したところ。
星野リゾート トマムで働き得た繋がり、フリーランスになり札幌国際芸術祭の仕事からアートに関わる繋がりや興味が生まれ、さらにNoMapsや企業などの出会いの先に、この移住がある。すごい。

フリーランス広報PRとしての仕事を引き続き請け負いながら、協力隊として白老町にも関わるという、かなり欲張った選択をした昨年。
札幌の仕事を中心とした刺激的なコミュニティ、そして白老でこれから広がっていくコミュニティ、自分の視野や視点が増えて今めちゃくちゃ楽しい。それらが相まってもうひと広がり生み出せるのではないかという期待や高揚が私の中に生まれている。
2023年はよりそれが加速していきそうなので、伴走してくれるチームづくりも急務(ご興味がある方はぜひご連絡を)!

いつぞやの白老町の海と日の出。

もちろん不安もあるが、フリーランス広報PRという顔だけで過ごしていくよりもエキサイティングであるのは間違いない!新しい環境に飛び込むことは、新しい可能性を広げる選択だと思う。

2023年、そして次の10年、面白い1年にしていきます。
ぜひご注目いただけたら嬉しいです。

2023年1月3日 山岸奈津子



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