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SHIPS活動通信「百舟(モモフネ)」 vol.02 特別インタビュー 田湯加那子

百舟vol.02に掲載した特別インタビューを、noteでも公開します。

百舟vol.02 特別インタビュー

9月1日より開幕となった文化観光プロジェクト「ルーツ&アーツしらおい2023」。そのメインビジュアルを飾る作家 田湯加那子さんは、白老町竹浦在住。2005年のしらおい創造空間「蔵」での個展をきっかけに、日本国内の展覧会などでも注目されている作家です。
 画用紙に色鉛筆で何度も塗り重ねられた力強い筆跡と色使いが印象的な作品は、そこに込められた思いや時間を想像せずにいられないエネルギーを感じるものばかり。
 今回、加那子さんのお母様ひろみさんに、これまでの田湯加那子さんのエネルギーの源や活動の軌跡、そしてSHIPSのテーマでもある「可能性を拡げる」ということについて、SHIPS山岸がインタビューしてきました。


◉ルーツ&アーツしらおい2023
今年で3年目となる白老町内を舞台に開催される文化観光プロジェクト。社台/白老市街地/虎杖浜の3地区で展示やパフォーマンスなどを行う。
日時:9月1日㊎〜10月9日㊊ 10:00-16:00
定休日:月・火・水(祝日を除く)
観覧料:無料
主催:白老文化観光推進実行委員会

田湯加那子 氏 プロフィール写真

田湯加那子
1983年生まれ。白老町在住。1990年代後半から本格的に絵を描き始め、黒くて太い輪郭線、色鉛筆とは思えない強い筆圧、独特で大胆な構図などが作品の特徴である。ほぼ毎日スケッチブックに向かう彼女にとって、絵を描くことは日常生活の一部であり、ライフワークとなっている。今までに多数のアールブリュット展覧会に出品、国内外から注目を集めている。


ルーツ&アーツしらおい2023での展示や、加那子さんの作品制作について

ー 今回の「ルーツ&アーツしらおい」では、旧社台小学校の一階部分で、本当に大規模個展といって良いものになっていると思いますが、ひろみさんから見てどのような展示になっていますか。

2005年にしらおい創造空間「蔵」でご縁があり開催させていただいた初個展から、白老町では18年ぶりの展示となりました。
 これまで家にこもりっきりで描き続けたものの中から、200点以上を選んでいただきました。それ以外にも、今回企画していただいた toita(洞爺)の高野さんが、加那子が使用して2㎝まで短くなった色鉛筆を保管している瓶も、ぜひ会場に置きたいということで、展示しています。

旧社台小学校での展示会場の様子|ルーツ&アーツしらおい2023

ー 本当にずっと絵を描いているんですね?(ご自宅でのインタビューにて)

毎日、うん、ずっと描いてますね。本当集中力だけは自慢できるかもしれない。最近は、雑誌とかカタログの上に絵を描いていくようなことをやっていますね。

ー エネルギーがすごい。ちゃんと寝てますか?

それが、この8月この残暑ですよね、白老にないぐらいの暑さでしたけれど。夜中に、色鉛筆を置くコトン、という音が聞こえるんです。ちょっと覗いてみたりはするんですけどね。それこそ中高生の時にはすごい気になって、なんとか寝せようと色々したりもしました(笑)

ー 絵を描き始めたのはいつぐらいからなんですか?

加那子は、こだま園というハンディキャップのある子の通う母子通園施設に8ヶ月頃から通っていたんです。なぜかと言うと、生後42日目でビタミンK欠乏症という病気で脳内出血があって、それを取り除く手術をしているんですね。幼いときにそういうことがあると、ハンディキャップの形で出てきちゃうこともあると早くから言われていました。それが加那子の場合、知的障がい、広汎性発達障がいです。その特性でもあるんですけど、あんまり賑やかすぎたり、明るすぎたり、うるさすぎるところは苦手で。慣れるまでに人より時間がかかったり、独特な距離感が必要だったり。だからといって人が嫌いなわけではないんですけどね。
 それで、その母子通園施設が森野の小中学校と廊下続きで。森野小中学校には特別支援学級もあったので、赤ちゃんのときからのつながりで、希望して森野に入れていただいたんです。小学校4年生までは普通学級に在籍して、以後特別支援学級に入りました。
 加那子も同じ学年の6人の教室で並んで勉強していましたが、当然遅れがあるわけですから、加那子の授業の部分が終わったら、先生がプリントの裏に絵を描いてていいよって。当時みんなクーピーペンシル持って行ってたんだと思うんだけど、それで絵を描くようなことは、1、2年生の頃からしていたようですね。その当時はどんな絵になってたかはわからないですけどね。
 展覧会で見ていただいたディズニーランドの絵を描いたのは、4年生頃だと思うんですけど、その時も同じようなスタイルで学習をしていて、帰ってきた途端、ディズニーのキャラクターを、本当にはっきりくっきり色も塗って、溢れるばかり描き始めたみたい。
 だから、それがやっぱり大きなきっかけにはなったのだと思います。

ー ディズニーランドの絵は本当に楽しかったんだろうなっていうのがビシビシ伝わってきます。いつも同じペースで描いている感じですか?描けなくなるようなこともありますか?

 高等養護学校時代は寮生活で、自分の机に座って当時流行っていた歌のCDを聞きながら、スケッチブックに歌手やアイドルを描いて過ごしていたんですね。そこで加那子の絵が随分熟成されたと思う。絵を描くことが本人にとっては大事なことになっていったんだろうと感じます。
 加那子が中高生時代に、私が当時、社会福祉法人(現ホープ・フロンティア)を立ち上げるべく、育成会などにも参加して活動していたんです。そこの共同作業所で彼女も一緒に働こうとなったときに、体調を崩してしまって。高等養護学校での寮生活や作業所での環境などでのストレスがうっせきしてしまったのか、今までないようなパニックになり不適応状態に陥ってしまって。私としてはフロンティアの社会福祉法人化を目指していた時期でもあったんですが、思い切って辞めて、しばらく家にいるということにしました。
 当時は結構大変で精神科や普段かかっている脳外科の先生などずいぶん助けてもらったんですけど、不安定な時期が10年くらい続いたかもしれない。赤ちゃん返りとか、眠れないとか、食べられないとか…それと同じでそのときは、絵を描くことも出来なくなって。鉛筆は絶対ないと困るっていうことは加那子がアピールするので、鉛筆と紙が常にあるようにはしてたれど、 気持ちと、描くという行為がうまく繋がらないようでした。

ー これだけの絵を描き続けていて、きっと描くことが加那子さんの気持ちの発出の手段なのだとすると、描けないことの辛さみたいなものは、少なからず感じることができる気がします。

結果的にはですけど、そういう感情を本人が表現をする術を持っていたし、そこまで考えてはいないし、意識してるわけはないはずですけども、それを続けようとするその意思は多分強かったように思うので、それがすごく幸いしたのではないでしょうか。大変な時期もあったけど、描くことがあって救われたとも言えるかな。

ー そのスランプの時期や、年齢・年代などその軌跡も含めて、作品の変化みたいなものは感じられたりしますか?

それを皆さんにも当然聞かれるんですよ、こういうお話をすると。
 描けないって言っても、全く描けなかったわけではなく、泣きながら描いてたりもしてました。
 あと、今もそうなんですけれども、ずっと描いてるでしょう。ここは、生活の場で、私は私で家族として一緒にいるわけですけど、居住空間と(加那子さんが描いている部屋は)繋がってて、寝る時以外はいつもオープンにしていて。描いている時は、用事とか、ご飯だよとかいうぐらいは、 声かけることもあんまりないので、そんなにね、その時々の絵を認識してないんですよ。
 特に当時は、そんな絵をずっと描き続けるってことになると思わないし、そんなに、皆さんに面白いねって見ていただけるような環境になっていくとは思ってないわけですから(笑)
 だから、自分の子供が、とにかく絵が好きで描いてるなというくらいでした。

ー 確かに、作品を描いている作家として見守っているわけではないですもんね。セーラームーンや、PUFFYやアイドルなんかの絵は、同世代なら、あぁ、私たちも描いたわーって感じします(笑)

加那子さんと作品がくれる出会いと、その可能性

ー 実は、私がアートに関わり始めて、本当にアートが良く分からないなって思ってたとき、作品を見るってことに対してとても開放的になれたのが、2015年に札幌芸術の森美術館で加那子さんが参加されてた「すごいぞ、これは」展だったんです。そのときに初めて加那子さんの作品を見ました(そのときはセーラームーンの作品だった)

セーラームーンの作品|田湯加那子

※「すごいぞ、これは」
2015年11月〜12月に、札幌芸術の森美術館で開催された展覧会。学芸員らが全国の障がいを持つ創作活動をしている作家を調査し、12人を選んだ。その中の一人が田湯加那子さん。この展覧会は全国の美術館を巡回している。

https://artalert-sapporo.com/events/detail/552

えー、そうなんですか。あの展示を見てくれた知り合いの80代のおじいさんが、 今まで俺、何して生きてきたんだろうって言われたり。なんかね、あんな絵なのにね(笑)

ー 「アートってよく分からない」ってよく言っちゃいがちですけど、いやそもそも「分かる」ってなんだろうって。実際描いてる本人も分かんないんだから、自由に楽しく想像しながら感じてみるって鑑賞の仕方もありじゃん!と思わせてくれたのが、そのときの展示だったので、加那子さんの作品に限らず、すごく印象に残っています。

だから、生き方にも響くというか、絶対こうであらねば、ということではないと思うんです。今、いろんな意味で、何もハンディキャップのある人だけじゃなく、生きづらい世の中になってるから、そういう中で、ちょっとね、ガツンとね。
 決して王道だなんてちっとも思わないし、私たち、いわゆる一般人が暮らしているところがあるとしたら、周縁である意味ひっそりかもしれないけど、コツコツつなげていく、ずっとずっと続いてるっていうこと自体の強みはあるのかな。これだけの時間が経っているので、そう思うようになったというのはありますね。

ー 今の「すごいぞ、これは」展も含めて、定期的に作品展などをやられているのですよね。

人や機会のご縁に恵まれていたと思います。
 当時、中学校の職業体験実習の先生が「かなちゃん絵を描くのが好きだから、絵に関わることが出来たらいいよね」って一生懸命探してくれて、竹浦在住だった、漫画家さんでもあり、イラストレーターでもあり、イタリアのボローニャで開催されている国際絵本原画展で賞もとられたことがある方に、授業を請け負ってもらえることになって。加那子が心の調子を崩していた時に、その方が、こんなに絵があるんじゃないの、みんなに見てもらわない?って言ってくださって、「蔵」で展示することになったんです。そのときの友の会の方たちが展示も手伝ってくださって。(それが2005年の蔵での展示)
 いろんな人が見にきてくれて、声をかけてくれて、力をいただきました。

本当に、ずっと家にいる人で、ほっとくと日曜日でも机から離れませんから、親子ともに気分転換も兼ねてちょっと景色を見に出かけることが多くて。いろんなところを巡っていた中で一番心地よかったのが、洞爺だったんです。その中で、toitaの高野さんと知り合って、高野さんは年に一度、アール・ブリュット(既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品の意味)の展覧会を企画していたのですが、2018年に「感性のキオク展」に出してもらう機会をもらって。

ー その後も大小の展覧会やグループ展などに参加されたりしていますよね。描き続けている加那子さんはもちろんですが、それを支えてきているご家族もやはりすごいことだと思います。
 SHIPSが「可能性を拡げる舟を出す」ということを基本理念に活動していきたいと思っていますが、ひろみさんが感じる「可能性を拡げる」ために必要なことはどういうことだと感じますか?

今までの特別支援学級や高等養護学校なんかに在籍してる間に、親も子もすごく叩き込まれるわけですよ。世間が、一般社会が、それは親も含めて”障がいのある人はこうあるべき”という、求める像っていうか姿があるのかなと。社会的自立=社会に役立つ仕事をするみたいな。それこそが君たちの幸せだよっていうことだから、親も就労の場を早くから探しなさいって。もちろんそうなんだけど、それだけかなってずっと思い続けていて。 ハンディキャップのある子はこういう風に生きるべき、これが幸せの形よみたいなことが、まだまだ根強くね。
 多様性って言われて久しいし、どういう子であろうと、可能性はあって然るべきだと。

ー なるほど、確かに「固定概念」みたいな”こうあるべき”という考え方は、可能性を拡げることの真逆のことかもと思いました。

例えば知的障がいっていう言葉があって、知的能力、知能指数は一般的な数値より低いかもしれないけれど、それだけがこの人の全てではないし、その分感性が鋭くて、世の中のさまざまな状況を、本人なりの仕方で感じ取っていると思う。加那子には本当に色んなことを教えられました。加那子を通して知り合えた人たちや経験が私たちの幸せや宝になっている。今回は、toitaの高野さんや、同世代を含むルーツ&アーツの皆さんとのご縁がありました。加那子も、周縁であってもみなさんと同じ社会に住んでいるのですから、同世代の人と繋がっていけるのが、やっぱり大変貴重なことじゃないかと思っています。

取材を終えて

1時間を超えてインタビューにお付き合いいただく中、シャッシャ、ザザザと色鉛筆と画用紙が擦れる音や、ときに何か歌っているのかなと思えるハミングのような声…。ずっと加那子さんの気配を感じていました。途切れることのないその集中力とエネルギーに嫉妬心を感じてしまうほど。(加那子さんの横で仕事したら、そのエネルギーに引っ張られてすごい進むのではないかと思っているので、今度一緒に机を並べてみたい…)
 ひろみさんがおっしゃった「こうあるべき」は、ハンディキャップがあるなしに関わらず、誰もが晒されていることだと思います。例えば、結婚すること、子どもを授かること、身体的な特徴や服装・髪色、出自・性差・年齢、家族の形や生き方まで…。気づく・気づかないに関わらず日々私たちは「こうあるべき」という社会がつくってきた固定概念の中で生活しています。もしかしたら、そう思う気持ちがハンディキャップを生み出し、誰かの可能性を狭めてしまっているのかもしれません。

 「こうあるべき」ところにはまっている方が安心感がある場合もあり、それを利用して生きることもその時の選択だと思いますが、「そうじゃなくても良いんじゃない?」と別の視点から見てみるときに新しい可能性が拡がるってことかも!という気づきをいただいた時間でした。

 加那子さんの作品を通して、本当にたくさんの視点をもらうことができます。ぜひ会場で、それぞれの見方で加那子さんの作品と向き合ってみてもらいたいなと思います。(山岸)



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