インド夢の中へ2 *変圧器 *思いがけない旅の宿
*変圧器
インドに来てからまだ一度もビールが飲めていない。乗り継ぎのシンガポールでは飲んだのだろうか。記憶がさだかでない。その日の日記を見ると、食欲もなく水とチョコレートで済ますと書いてある。
わざわざ乗り継いだのは、インドに真夜中に着くのを避けたのだった。
シンガポールでは一刻も早くホテルの部屋に辿り着きたかった。まだ混乱しているプレゼンの諸々を点検しなくてはならなかった。
部屋に着くと早速自分の変圧器を試してみたがダメだった。持ってきたのはマルチタイプで、どんなコンセントにも対応できるはずだった。イギリスやスペインでは使用できたものである。
電話でホテルの人に頼んだら調べに来て、替えの変圧器を持ってきてくれるという。
お茶を飲もうと思ったが、部屋のポットの使い方がどこをどう押すのかわからない。バスの水道の捻り方もわからなくなっていた。
パソコンのアダプターが繋がらない。疲れていた。
ところが急にパソコンの画面が動き出した。スライドショーのようである。
なぜ?
突然、新しいギターを買ったという男の歌声が流れる。カウボーイが歌っている。その後本がたくさん見える。大学の研究室の資料の棚のようだ。そして能楽師の書いた「ーーー」という本。そのタイトルは一瞬見えたのだが消えてしまった。そして画面全体が消えた。
今見たのはなんだったのだろう?
呆然としていると、ホテルの人が替えの変圧器を持ってきてくれた。そしてパソコンはつながった。
翌朝、インド人のボーイがトラムのステーションまで案内してくれた。そのボーイの顔は誰かに似ていた。インド人顔の日本人の男性ー思い出せない。
飛行機が飛び立つと私はフライト·パスをずっと見ていた。ベンガル湾をずっと行っていた後地図がなくなり、高度とか時間だけしか出ないので不安になった。その上お腹が変になり、究極のインド亜大陸着陸だった。
*思いがけない旅の宿
ホテル·トリニティ·インの受付は間口が狭かったが、上階は広く、ボーイも何人かいて、リーズナブルなビジネスホテルという感じだった。
そして、寝る段になって落ち着いて部屋を見ると、シーツが下しかない。上は毛布があるのみ。そのままではなんとなく気分が悪いので、新聞紙を広げて毛布の間のシーツとした。
しかし朝起きてみると、新聞紙の面積が足りなくて、パジャマに毛布の毛玉がいっぱいついている。持ってきたガムテープでそれを取った。
私は猫を5匹飼っていて、いつも服や家具についた毛をガムテープで取っているのだが、なんで外国に来てまで同じことをせねばならないのかと思うのだった。
2日目、会場にノートパソコンを持って行ってプレゼンを取り仕切る人と打ち合わせ、日本用変圧器をもらった。ホテルに帰って試したらたくさんの差し込みを全部つけたので、バチッと音がした。壊れたのかもしれなかった。
その夜はインド舞踊があった。3人のダンサーが一人づつ出て来て、ソロで踊るのだが、最初のダンサーは絶世の美女だった。シヴァ神が片足を上げて森で憩うポーズ、その目の配り方、身のこなし、この世のものとも思われなかった。
なんというダンサーなのだろう?
しかし3人出てきたのに4人の名前が書いてある。最初はジョアン。次に**、3番目**、4番目**
終わるとダンサーたち一人一人に学会参加者が花束を渡すのだが、私が3番目のダンサーに渡す役になっていた。名も知らない花々で作られた花束を差し出すと、高貴な美貌のダンサーは微笑んだ。
その瞬間目の錯覚か、彼女はすでに花束を両手に持っていて、もう一組の手で私からの花束を受け取った。
わたしは目を瞬いた。
インドの音楽の女神のサラスヴァティーが降りて来たのかと。
自分は疲れているのだと思った。
コンサートが終わってバスでホテルに着いてから外に食事に行くことになった。ウッポラと中央アジア研究者でシタールも弾いているアメリカ人青年ハンスについて行った店にはインド料理と中華料理のメニューがあった。エビチリとミントヌードルを頼んだ。そしてキングフィッシャービール。インドでやっとビールにありつけた。これでやっと調子が出そうだと私は思ったところが...。
このホテルではいろんなことがあったが、次の日の夜中に私はバスルームから出られなくなった。
この鍵というのが、閉めるときは右に回して飛び出たものを押す。開けるときには左に回して飛び出たものを押す。ところがなぜか開かない。
こういうときはファイア!と叫ぶのがいいらしいと思い、叫んでみたが聞こえないのだろう、誰も来てくれない。
窓なども天井の近くに細長くあり、換気扇がついていて、そこから脱出も無理。
朝までこうしているのだろうか。
一応新聞が入っていたので、朝入れに来たらその時を逃さず叫ぶなどと考え、チェックアウトまで掃除には来ないし、このまま発見されなかったらどうなるのだろう。
私の発表は2日後だったから、その時になって来ていなかったらおかしいと思われるくらいのことか、と絶望的になり、拳骨でゴン!と鍵を叩いたら嘘のように開いた。
全てのものはあり、全ての扉は開いているのに、気がつかないだけなのか。
インドに来る前、やたらインドのシンクロニシティに遭遇した。
出発前、プレゼンの準備で心斎橋のMacに行って店から出て来たら、三つ編み頭のインド人の少女が自転車でサーっと通って行ったり、ビザを取りに行ったインド大使館の帰りに本町の問屋街で、土産の手ぬぐいや扇子を買っていたら、ターバンを巻いたインド人がいたし、ふと見上げると、インドの女神の像が柱に飾ってあった。日本のものを扱っている店の柱に普通はないものである。
大阪にはインド人が多いのか?と思いながらデパートに入っていくと、インド人の夫妻が出て来た。
TVをつけるとインドの鉄道の旅をしているし、それも南インド。漠然とコモリン岬に行きたいと思っていたのだが。
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