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庶民の生活を描き続けた成瀬巳喜男 『驟雨』~夫婦ゲンカは続く


『あらくれ』のレビューで、成瀬巳喜男の登場人物たちは「彷徨い歩き移動することが多い」などと書いてしまった直後に見たこの『驟雨』は、平屋の住宅街に住む夫婦の物語であり、映画の中では彷徨い移動しない。岸田国士の原作のよるところも大きい夫婦の諍いの話だが、夫の佐野周二は、会社の合併問題で早期退職者を募る話が出て東京を離れて田舎に帰るつもりだと言うが、妻の原節子は東京で「自ら働きに出たい」と主張し、夫婦の意見が合わない。そんな言い合いで映画は終わる。紙風船を庭で二人でつきながら、「えい」とか「そら」とかやりやっているのだ。そんなケンカばかりする夫婦の日常が続いていく。この映画は、夫婦がバラバラになって彷徨うところまで行かず、平屋住宅に踏みとどまるであろう夫婦の物語なのだ。ややコメディタッチで、テレビドラマのような軽妙なもめ事が原節子の回りに次々と起こる。男女が暗いどん詰まりに行き着く話ではなく、明るい日常的な夫婦ゲンカの話だ。

成瀬巳喜男映画は、いつも庶民の姿をリアルに描いているだけに、家計の状態、社会や経済の変化に伴う生活の厳しさが背景にいつもある。『流れる』であれば時代の変化による芸者置屋の経済的困窮があり、『乱れる』であれば、スーパーマーケットの進出による小売商店の変化があった。社会の移り変わりや時代の変化に翻弄される庶民の姿がいつも描かれていた。小津安二郎よりも社会や経済を丹念に描いているのだ。その経済的な時代変化があってこその男女や庶民の姿がある。この映画は、女性の社会進出の問題と会社の吸収合併によるリストラ問題が背景にある。それで、同じような平屋の住宅が並ぶサラリーマン家族の姿が描かれるのだ。

結婚4年を迎えた倦怠期の日曜の朝のたわいもない夫婦ゲンカから始まる。ケンカの末に家をふらっと出て行った夫。そこに新婚旅行から帰ってきたばかりの姪、香川京子が原節子に夫の愚痴を言いに来る。「男ってそんなもんよ」と笑いながら答える原節子だが、帰ってきた夫の佐野周二が男性の肩を持つと、夫婦の諍いが再び始まる。隣に小林桂樹と若い妻の根岸明美が引っ越してきて、いろいろと隣人夫婦とやり取りがあったり、原節子が庭で餌をあげている野良犬が近所で騒動を起こしたり、他愛もない日常的なトラブルが積み重ねられていく。驟雨が降り出して、隣の小林桂樹が原節子の洗濯物の取り込みを手伝って、妻の根岸明美に怒られたりする場面もある。庭越しの隣人の会話があり、町内のもめ事がある。生活の細かな描写が当時の風俗や時代を感じられて面白い。原節子の商店街を歩く場面やぬかるんだ家の前の路地を歩く場面は何度も描かれ、考え事をして下を向いて歩くので、近所の人に「挨拶をしない奥さんだ」と非難されたりもする。幼稚園の園長演じる長岡輝子が箒で野良犬を追いかけたり、鶏が襲われたり、騒音や野良犬をめぐる町内会の会議も描かれる。サラリーマンの朝の通勤風景や満員電車、デパートの屋上での旧友夫婦との待ち合わせなど、戦後の昭和の風景がいろいろと楽しめる。胃がいつも痛い佐野周二もサラリーマンのストレス時代の始まりを告げるものだろう。

夫の会社の同僚たち(加東大介ほか)が家に押しかけて、早期退職をしてとんかつ屋やスナックを始めたらいいと、近所で襲われた鶏の鍋をつつきながら勝手なことを言い、原節子はそんな料理を忙しく給仕しつつ、町内会の会議に出て行って責められ、帰って食器の片付けをしていると、夫が「話があるからちょっと来い」と言われる。原節子が「お昼ご飯も食べてないのよ」と言いながら、台所で立ったままお茶漬けを食べる場面がある。小津安二郎の映画に出ている上品な嫁の原節子とはまた違った生活感のある原節子が描かれているのも面白い。そして最後は、自分も社会に出て働きたいと言うのだ。どうということもない庶民的映画だが、当時の変化が始まる風俗が感じられるのが面白い。

1956年製作/90分/日本
原題:Passing Showers
配給:東宝

監督:成瀬巳喜男
脚色:水木洋子
原作:岸田国士
製作:藤本真澄 掛下慶吉
撮影:玉井正夫
美術:中古智
音楽:斎藤一郎
録音:藤好昌生
照明:石井長四郎
キャスト:佐野周二、原節子、香川京子、小林桂樹、根岸明美、恩田清二郎、加東大介、堤康久、堺左千夫、松尾文人、伊豆肇、塩沢とき、長岡輝子、中北千枝子、出雲八重子、水の也清美

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