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小津安二郎のホームコメディ『お早よう』~無意味な挨拶の会話にこそ関係の核心がある~

(C)1959 松竹

小津安二郎の原点は無声映画にある。身振りの反復、同調、台詞のオウム返し、肝心の意味を欠いたやりとり、挨拶や無駄話。小津映画にあって、大事なことは話されないと言っても過言ではない。喜怒哀楽の表情やアクションさえ多くの映画では封じられている。無声映画の『生まれてはみたけれど』の戦後版とも言えるホームコメディのカラー作品だ。

この『お早う』では、テレビを買ってもらえない子どもたち兄弟が不満を言い募り、父親の笠智衆から「お前はおしゃべりだ。子供のくせに余計なことを言い過ぎる」と叱責される。それを受けて「大人だって余計なことばかり言っているじゃないか」と子供に反撃されるのだ。「こんにちは、お早よう、こんばんは、いいお天気ですね、ああそうですね・・・」。この子供の指摘にあるどうでもいい挨拶こそ、小津的な登場人物が繰り返す大事な台詞なのだ。

「余計なことばかり言う」と父親に叱責された兄弟は、この後しばらく口を利かない。学校でも口を利かない兄弟は、先生からも、英語の家庭教師の佐田啓二からも不審がられ、給食費を持っていくことを伝えるのに、ジェスチャーで伝えようとして親たちに伝わらない。兄弟の間で、タンマを仕草で沈黙を中断して話をするのも繰り返される。そのせいで夕食が食べられず、兄弟はお腹をすかせ、お櫃とヤカンを持って青空の下、河原で白米を食べたりもする。それも警官に見つかり、夜遅くまで帰ってこないという事態にまで発展する。そもそも子供同士でおでこを押すと、オナラをプッと出して、ヤッタぜ的なアクションをする遊びを繰り返している子どもたち。なかには、オナラを出せずにいつも漏らしてしまう子供もいたりする。まさに反復とズレだ(笑)。英語の勉強をしていた兄弟の弟は、何か言われるたびに「アイラブユー」を繰り返して笑いを誘う。動作や台詞の反復が子どもたちによって徹底的に繰り返されてテンポが良くて楽しい。「テレビを買う」という経済的な問題と子供たちの他愛もないやり取りの微笑ましさを描いたという意味では、『生まれてはみたけれど』と相似形である。とくに兄弟の微笑ましい振る舞いが笑える。ラストは、「好きだ」という思いを伝えられない佐田啓二は、朝の駅のホームで会った久我美子に、「いいお天気ですね」と言い、久我美子も「ほんとに、いいお天気ね」と反復するばかりなのだ。

シンメトリーな両サイドの長屋の縦構図の向こうに見える狭い空間の道と土手の上の道を、子どもたちが左右に行き来する特徴的な映像、同じ間取りが続く長屋の住人たちのやり取りなど、同じ構図の映像が何度も繰り返される。酔っ払った東野英治郎は間違って、隣の家に帰ってしまうくらい同じなのだ。赤い洗濯物や赤いランプシェード、赤い鍋に湯呑み、赤いジャンパーにフラフープなどの赤の色づかいも小津らしい映像が楽しめる。もちろん会話は正面からの切り返しが多く使われ、玄関の押し売りや裏口からの出入り、無責任な噂の伝搬なども楽しい。朝に挨拶をしない兄弟の振る舞いから、母親の三宅邦子の悪口として杉村春子や長岡輝子へと噂が隣から隣へ伝えられていくのだ。

無駄なこと、余計なこと、挨拶や天気のやりとりにこそ、人間的な振る舞いがあるし、心のやり取りがある。反復の動作や振る舞いにこそ、人間的な核心があるという小津安二郎らしい楽しい映画である。


1959年製作/94分/日本
配給:松竹

監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
製作:山内静夫
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:黛敏郎
録音:妹尾芳三郎
照明:青松明
編集:浜村義康
キャスト:笠智衆、三宅邦子、設楽幸嗣、島津雅彦、久我美子、三好栄子、田中春男、杉村春子、白田肇、竹田浩一、高橋とよ、藤木満寿夫、東野英治郎、長岡輝子、大泉滉、泉京子、佐田啓二、沢村貞子、須賀不二男、殿山泰司、佐竹明夫、桜むつ子、菅原通済

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