シャンタル・アケルマンの傑作『アンナの出会い』の驚くべき完成度

シンメトリックな映像。2ショットの二人を会話を真横から撮る構図。ホテル、駅のホーム、部屋やベッドなど二人が出会い、相対する場面を固定した画面で長回しで撮影し、単純に会話でカットを割らずに撮るスタイリッシュな映像が静かで知的な印象を与える。そして、歩く横移動ショットや後ろ姿や正面の特徴的なカット。また、車や列車からの車窓の映像が多く使われている。それは主役のアンナ自身の心象風景のようでもあり、他者と深く交わらない孤独な心の有り様を示している。まるで女性版ミケランジェロ・アントニオーニだし、女性版ヴィム・ヴェンダースのさすらうロード・ムービーのようだ。

初めてシャンタル・アケルマンの映画を見た。これまであまり日本で紹介されてこなかったベルギーの女性監督だ。

1950年6月6日、ベルギーのブリュッセルに生まれ、両親は二人ともユダヤ人で、母方の祖父母はポーランドの強制収容所で死去。母親は生き残ったのだという。女性でありユダヤ人でありバイセクシャルでもあったアケルマンは15歳の時にジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』を観たことをきっかけに映画の道を志し、18歳の時に自ら主演を務めた短編『街をぶっ飛ばせ』(68)を初監督。『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地ジャンヌ・ディエルマン』など数々の作品を発表。ジム・ジャームッシュ、ガス・ヴァン・サント、トッド・ヘインズ、アピチャッポン・ウィーラセクタン、ミヒャエル・ハネケなど、多くの映画監督に影響を与えた。母親との対話を中心としたドキュメンタリー『No Home Movie』(2015)を編集中に母が逝去。同作完成後の2015年10月、パリで自ら命を絶った。(「シャンタル・アケルマン映画祭」HPより一部引用)


多くの人物は登場しない。映画監督のアンナ(オーロール・クレマン)がヨーロッパ各地をプロモーションのため旅してまわっている。そしてそれぞれの場所で人と出会う。そのアンナが出会った人間以外は映画には人は登場しない。妻に逃げられ、小さな娘が二人いる教師の男(ヘルムート・グリーム)との出会い、息子とアンナを結婚させたい母の友人(マガリ・ノエル)との駅での出会い、列車の中でのドイツ人男性(ハンス・ツィッシュラー)との出会い、ブリュッセルでの母(レア・マッサリ)との再会、ホテルのベッドでの会話、そしてパリでの恋人(ジャン=ピエール・カッセル)との再会。ホテルでアンナは男のためにエディット・ピアフの唄を歌う。しかし、男の体調が悪く、は交わらない。最後は自分の部屋に戻ってきて、留守番電話を聴く場面で終わる。アンナはイタリアの女友達に何度も電話をかけるが、二人はつながらない。それぞれの場所でのそれぞれの関係の会話が淡々と描かれていくだけなのだ。関係は深まらないし、ドラマも起きない。その関係の交わらなさがアンナの心の空白と孤独を浮き彫りにしていく。

アンナのホテルの部屋で何度も見せる白い裸体が印象に残る。列車での男との会話のシーン、前と後ろの交わらない顔の向き、あまり人がいない通り過ぎる夜の駅の車窓風景がいい。アンナは多くを語らない。出会ったものたちの話を聞く。唯一、母にかつて女性との一夜をともにした体験を告白をするくらいだ。だから会話はモノローグのように一方通行なのだ。最後にアンナが聴く留守番電話のように。「アンナ、いま、どこなの?」と問われ続けている。


1978年製作/127分/G/フランス・ベルギー・ドイツ合作
原題:Les rendez-vous d'Anna
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
監督:シャンタル・アケルマン
脚本:シャンタル・アケルマン
撮影:ジャン・パンゼル
キャスト:オーロール・クレマン、ヘルムート・グリーム、マガリ・ノエル、ハンス・ツィッシュラー、レア・マッサリ、ジャン=ピエール・カッセル

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