映画『グリーン・ナイト』の意味を超えた圧倒的な自然と幻想性の力

14世紀の作者不明の叙事詩「サー・ガウェインと緑の騎士」は、「指輪物語」の作家J・R・R・トールキンが現代英語に翻訳し、広く読まれてきた。この魅惑的な原典を、自分の内面と向き合って成長してゆく若者の幻想的で奇妙な冒険物語へと大胆に脚色したのは、『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』で知られるデヴィッド・ロウリー監督。(公式ホームページより)

デヴィット・ロウリー監督は気になっていたが、これまで見てこなかった。初めてのロウリー作品だ。アーサー王伝説のダークファンタジーと称されるだけあって、幻想的で暗く妖しげで美しい。森はいつも曇天で光が射さず、城内も館の中も光は蠟燭の灯りと限られた外光に限られており、闇が空間を支配している。派手な活劇はなく、緑の騎士の怪物性や彷徨う巨人の出現の仕方やしゃべるキツネや泉の聖女など、不思議な世界がガウェインの冒険の旅とともに描かれる。冒頭のワクワクさせる移動撮影から始まって、スケールの大きな圧倒的な映像世界が楽しめる。

クリスマスの日に首切りゲームを円卓の騎士団に提案する緑の騎士は、ガウェインに切断された自らの首を手に持って去っていくし、泉の中に切られた首を沈められた聖女も登場する。ガウェインの母は魔女という設定であり、緑の騎士の召喚は、母の息子への試練という意味合いもある。緑色は、明らかにケルト神話的な色であり、自然の力を象徴している。赤が人間の欲望の色であれば、その人間の欲望を覆いつくす自然の緑の力。環境破壊や気候変動など現代の人類が直面している危機と自然の圧倒的な力を、この中世の物語を借りて若者の成長物語として描いている。ガヴェインは、騎士でもない何者でもない若者として原作の設定を変えている。

緑の腰帯が若者を試す小道具として使われ、ラストの終わり方も見事だ。ガウェインの恋人エセルと城でガウェインを誘惑する奥方が同じ女優(アリシア・ヴィキャンデル)が演じているのも興味深い。母親といい、泉の聖女といい、恋人や奥方といい、ガウェインは女性にいつも試されている。目隠しした老婆もなんだか不気味な存在だ。上と下がしばしば反転し、360度カメラは時間を超越し、顔は姿や形を変える。首から上の顔(=人格)というものにどれだけの意味があるのか?顔(人格)を超えた神話、闇や自然や神秘や魔術、怪物や幻想、我々の理解を超えた意味のわからぬものにこそ、大いなる力が潜んでいることをこの映画は示している。その大いなる自然の前では、人間のちっぽけな名誉などとるに足らぬものだ。

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