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『エドワード・ヤンの恋愛時代』の虚妄な関係の先にあるもの

©Kailidoscope Pictures

エドワード・ヤンの圧倒的な傑作「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を観て、その素晴らしさに驚いた。夭逝したエドワード・ヤン監督の4Kリマスター版が次々と日本で公開され、『恐怖分子』『台北ストーリー』も観たがいずれも面白かった。そしてやっと観ることができた『エドワード・ヤンの恋時代』である。『牯嶺街少年殺人事件』が暗い画面で懐中電灯なども使いながら闇と光を見事に描き出していた印象が強く、もっと闇を使った映像が使われるのかと思いきや、この映画は基本的に明るい。そして会話が饒舌だ。

「急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北を舞台に、財閥の娘で会社を経営しているモーリー(ニー・シューチュン)と親友のチチ(チェン・シアンチー)を主軸としながら、同級生、恋人、同僚など10人の男女の人間関係を2日半という時間のなかで描いた作品 」なのだ。恋喜劇であり、まさに男女の群像劇で次々といろんな人物が出てくるので、姉妹なのか同級生なのか、誰と誰がカップルなのか、なかなか掴めず少し混乱する。基本的なカット割りした切り返し画面ではなく、ワンシーンワンカット的な長回しが多い。何か満たされぬ思いを抱えつつ、喧嘩をしたり不満をぶつけたり、一方通行的なおしゃべりという感じだ。そのおしゃべりの内容がなかなか頭に入ってこない。みんな都会の豊かさの中で不満と孤独を抱えているようなのだ。広告制作会社の女社長モーリー、彼女の片腕ともいえる親友のチチ、モーリーの婚約者アキン、チチの恋人ミン、モーリーの同級生の舞台演出家のバーディ、TVプロデューサーのモーリーの姉、その姉と別居中で小説家の夫、アキンに取り入る策略家ラリー、その人で女優志望の女フォン・・・。

車やエレベーターなどが上手く使われている。人の出し入れや動かし方が長回しのカメラの中で見事に演出されている。明るい場面が多いと言ったが、逆に暗い夜のシーンは大事な場面が多く美しい。夜のプールサイドのモーリーとチチの水の反射光、小説家の男が自殺を試みる歩道橋に腰かける場面、そしてチチを追いかけて走る小説家がタクシーが止まって激突する喜劇。最後の会社のシルエットのチチとモーリーの二人の会話。チチはモーリーに、「会いたかったの。あなたもでしょ?」とストレートな思いをぶつけ、虚妄と見せかけ(フリ)の関係の世界からチチは一歩踏み出すことができるのだ。それはラストのキュートなエレベーターの扉の演出につながっていく。チチが他者に頼らずともやっていけるという自信を手に入れたことによる前向きなミンとのやり直しの言葉。この映画の主人公はチチであり、八方美人で自分で何も決められなかったチチの成長の物語でもあるのだ。あるいは、チチとモーリーの女性同士の関係の物語でもあるのかもしれない。

冒頭にあのインチキくさい舞台演出家のバーディが、ローラースケートを履いて動き回りながら、「大同主義」の意義を語っていた。同じであること、その同調主義からいかに自立して抜け出せるかが本作の大きなテーマになっている。「獨立時代」という原題にあるように、見せかけの虚妄の関係から、いかに誠実にシンプルに他者に語りかけ、自分の足で立つことが出来るのか、そんな希望が描かれている。

1994年製作/129分/G/台湾
原題:獨立時代 A Confucian Confusion
配給:ビターズ・エンド
監督:エドワード・ヤン
製作:ユー・ウェイエン
製作総指揮:デビッド・サン
撮影:アーサー・ウォン、リー・ロンユー、ホン・ウーショウ
美術:ツァイ・チン、エドワード・ヤン
音楽:アントニオ・リー
キャスト:チェン・シャンチー、ニー・シューチュン、ワン・ウェイミン、ワン・ポーセン、ワン・イエミン、ヤン・ホンヤー、チェン・イーウェン、ダニー・ドン、リチー・リー、チェン・リーメイ

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