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映画『白鍵と黒鍵の間に』冨永昌敬~ゴミ溜めの混沌から紙一重の本物のジャズが生まれる~

※画像(C)2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会

冨永昌敬監督作品ということで見た。この監督は奇妙で面白い作品を作り続けている監督であり、デビュー作の 『パビリオン山椒魚』(06)から『パンドラの匣』(09)『乱暴と待機』(10)『ローリング』(15)や『南瓜とマヨネーズ』(17)など奇抜な佳作も多い。なかでも雑誌編集者・末井昭の1960年代後半から1970年代の自伝的エッセイを柄本佑主演で映画化した『素敵なダイマイトスキャンダル』(18)は珍作だった。

さてこの映画もミュージシャンの南博の回想録「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」を大胆にアレンジして映画化したものだそうだが、まったく奇妙な映画である。池松壮亮が一人二役のピアニストを演じ、1988年の銀座のキャバレーを舞台に描かれている。この二人の池松壮亮、博と南と呼ばれているが、博と南は、同一人物の3年前の過去と1988年の現在なのか?それとも別人なのか?曖昧なまま描かれているから混乱する。しかも同じ役者が演じ、同じ時代の同じ夜の出来事としてピアノを違う店で演奏しているのだから、ますます混乱する。

ジャスピアニスト志望の博(池松壮亮)が、ある日場末のキャバレーで「ゴッド・ファーザー愛のテーマ」をある客(森田剛)のリクエストで演奏する。ところが、この曲をリクエストしていいのは、銀座界隈を牛耳るヤクザの会長(松尾貴史)だけであり、演奏を許されているのは会長お気に入りのピアニスト南(池松壮亮の二役)だけだった。そんな銀座の掟を破ってしまったジャズピアニストの虚と実の騒動が勃発する。

とにかくジャズセッションが楽しい。クリスタル・ケイがジャズボーカリストとして登場し、本物のミュージシャンでサックス奏者の松丸契も参加してのセッションがある。なによりもそんなジャズセッションを楽しむ映画である。池松壮亮と仲里依紗の共通のピアノの師匠を佐野史郎が演じており、池松壮亮の演奏を「硬い」と指摘し、もっと「ノンシャラントに」と言う。その「ノンシャラントとは何だ?」と池松壮亮が自問自答する場面があるが、仲里依紗は「紙一重なのよ」と言う。つまりそれは、虚と実、白と黒、ジャズとノイズ、偽物と本物、音楽と花瓶、希望と倦怠、美と醜などの裏と表が混沌の中で紙一重ということか。そこに「ノンシャラント」した本物の音楽、ジャズが生まれる。

半被と御面をかぶった夢あふれる若きピアニスト博と、すっかり初心を忘れて惰性で弾いている高級クラブのピアニスト南。3年前の過去と現在の同一人物が、同じ夜にピアノを演奏している。まともに演奏など聴かれていない酔客たちのBGMでしかない演奏。花瓶のようなものでしかない音楽。一方、初めてのピアノ演奏でジャズアレンジをいっぱいして怒られる姿。そんな過去と未来が交錯する中で、もがくミュージシャンたち。ゴッドファーザーをリクエストした客で、刑務所を出所したばかりのチンピラ森田剛、ヤクザ会長の松尾貴史、バンドマスター高橋和也、博のピアノの先輩の仲里依紗など、銀座で浮き草のように漂うしかない者たちの一夜のドタバタ劇だ。南の母親役で登場する洞口依子は、貫禄があり過ぎて、最初誰だか分からなかった。

後半はヤクザの二人が同じ店で衝突して大乱闘となってハチャメチャな展開に。ナイフで刺され、テープレコーダーで頭を殴られ、二人のヤクザの森田剛も松尾貴史も殺されてビルから転落。ゴミが散乱するビルの谷間に、気絶した池松壮亮も転落し、死んだ人間が起き上がって幻想的なシュールな展開となる。さらに3年間、ゴミ溜めで暮らしたような浮浪者姿の池松壮亮も登場し、過去と現在がゴミ溜めで交錯する。ボストンへ海外留学する池松壮亮と3年前初めてクラブでジャズピアニストとして店に出ることになった池松壮亮が最後に描かれて映画は終わる。

時制と過去と現在の人物(南博)が交錯する銀座のジャズピアニストの物語。ゴミ溜めのような混沌の中から「ノンシャラント」した軽やかな関係とセッションが生まれる。変な映画である。

2023年製作/94分/G/日本配給:東京テアトル
監督:冨永昌敬
原作:南博
脚本:冨永昌敬、高橋知由
プロデューサー:横山蘭平
撮影:三村和弘
照明:中村晋平
録音:山本タカアキ
美術:仲前智治
編集:堀切基和
音楽:魚返明未
エンディング音楽:南博
キャスト:池松壮亮、仲里依紗、森田剛、クリスタル・ケイ、松丸契、川瀬陽太、杉山ひこひこ、中山来未、福津健創、日高ボブ美、佐野史郎、洞口依子、松尾貴史、高橋和也

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