見出し画像

映画『Playback』三宅唱~反復とズレと虚構~

『夜明けのすべて』の公開が待ち遠しい三宅唱監督の初期作品『Playback』を見直した(1回目のレビューはこちら)。時間が現在と過去が交錯する話で、何度も同じシーンが演じられながら前とズレていたリ、反復とズレ、そしてplayback=再生が描かれる。何が現実なのか分からなくなり、過去の死の匂いも立ち込めている複雑な映画だ。「もう一度見直さなくちゃなぁ」と思っていたので、日本映画専門チャンネルで放送・録画してあったものを見直した。

モノクロ映像が美しい。デビュー作の『やくたたず』もモノクロ映像だったが、『やくたたず』がワンカメのドキュメンタリー風な長回しが多かったのに比べて、 プロの俳優を使っているせいか、 この映画はしっかりカットを撮って、俳優の顔が何度も映し出される。しかも時間・空間を自在に移動させるためにカット割りや映像はかなり緻密に計算されている。

少年がスケートボードをしている。なんだか隆起・陥没しているような道であり、地震のことが想起される。その道端の草むらで一人の男が倒れている俯瞰ショット。男の脚だけが見えている。少年は慌てて誰かを呼びに戻る姿がチラッと映る。新興住宅街の開発が途中で止まったような場所の横にあるデコボコ道、そしてスケートボードの少年は、その後2回出てくる。

物語を説明しても意味がない。いやこの映画はリアルな物語の辻褄合わせなど目指していない。死んだ者が出てきて、過去と故郷(水戸)へと男(村上淳)を誘い、現実とも妄想ともつかない故郷での友人たちとの再会、墓参りや結婚式が描かれるだけだ。ただこの映画の面白いところは、その故郷への旅が2回繰り返される(playbackされる)ところだ。1度目は村上淳は死んだ友 (三浦誠己) に誘われて故郷に向かい、受動的に振舞っている。旅の途中で高校時代にタイムスリップして、学ラン姿のまま友人たちと戯れるシーンが描き出される。ラフなシャツ姿のままで結婚式にも出席する。死者との旅であり、非現実的な妄想と考えられる。2度目の旅には死んだ友は現れず、車ではなくJRで自ら水戸まで向かい、墓参りと友人の結婚式に出席する。今度はちゃんとしたジャケットを着て行く。その1度目と2度目の村上淳の振る舞いが微妙に違っているのだ。

2度目の結婚式の二次会の最後に、友人( 渋川清彦)の妹 ・河井青葉に今日の結婚式で彼女が撮ったデジカメ写真を見せられる。その中には、1度目のラフなシャツ姿の自分の後ろ姿と死んだ友・三浦誠己の後ろ姿が映っていた。妄想と死者が現実の写真に写り込んでいるのだ。

結婚式で集合写真を撮る場面がある。カメラマンは、「そこだと映らない」と言って三浦誠己を河井青葉のそばに移動させる。カメラに映る河井青葉と三浦誠己。だが、実際には河井青葉の隣には誰もいない。河井青葉は三浦誠己に何か特別の思いがあったのだろうか?死んだことも含めて映画で詳細は語られない。この集合写真と死者や不在というイメージは、『ケイコ 目を澄ませて』で最後にボクシングジムを引き払う場面で記念写真を撮るシーンがあるが、肝心のオーナーの三浦友和がいなかったことを思い出す。また『やくたたず』でも集合写真をタイマーで撮ろうとして失敗してやめてしまう場面がある。その後、このメンバーはバラバラになる。三宅唱にとって、集合写真はそこに映ることが出来なかった人の不在や死と結びついているような気がする。それは、小津安二郎の『麦秋』の最後の家族の集合写真と不在の兄のことをどこか想起させる。

この映画の主人公の村上淳は、俳優として行き詰まり、うまくいっていない。映画プロデューサーの菅井俊から、「人生は選択と結果の積み重ねで今がある」と言われ、村上淳の曖昧な振る舞いに「お前は何をやっているんだ」と厳しく問われる。 「俺もお前も、もう時間が無いんだぞ」と。40歳前後という中年にさしかかった人生、地震などの天災がいつ降りかかるとも限らない。 男は妻との生活もうまくいかなくなっており、今の彼はどん詰まりだ。そして意識喪失で道で倒れたりしている。そんな中途半端な中年男が、故郷へと過去と妄想の旅に出る話なのだ。

友人の三浦誠己が病院にやってくるシーンが面白い。電話をかけに出て行くマネージャーと入れ違いに入ってくる男の顔にピン送り。待合室で待っている姿も不気味で現実感がない。その三浦誠己の佇まいがいい。村上淳の肩に手をかけて「俺だよ」という三浦誠己。 最初はすぐに思い出せなかった村上淳は、「あぁ、お前か」と間をあけて言う。捨てたはずの検査結果の紙をいつの間にか持っていて「お前のだろ」と渡し、「きょう、忘れたのか?」と言って白いネクタイのスーツ姿で、同級生の結婚式に誘う。 村上淳のマネージャーが三浦誠己のことを気にかけない曖昧な感じが、不思議な空気を演出している。

そんな三浦誠己とのドライブから、村上淳は学生時代にタイムスリップする。水戸へと向かう車窓のカットを積み重ね、トンネルの闇から光へ。曲がってきたバスが映り、音楽がなくなって無音になり、中で座っている学ラン姿の中年の村上淳がいる。ここの時空間の転換が見事だ。それから学校前の横断歩道で同級生にカバンを奪われ、校庭で追っかけっこ、転んで上下が横になるカメラ。そのドタバタのアクション。そこから学生時代の描写がしばらく続いて、友人の渋川清彦や河井青葉も三浦誠己も出てくる。後に亡くなった先生(汐見ゆかり)の描き方も少し変だ。「どっちだ?こっちだ?」と言いながら自転車で向かう学生3人。2つある道路の反射ミラーに映る学生たちと入れ違うように白い車が入り込んできて、時制が過去から現在へとまた戻る。墓参りと2台の車での奇妙にカットが重なる会話シーンがあって、トンネルで車と歩いている学生の彼らが前後にすれ違うようにして、また現在から過去へと時間が移る。そして学生たちが「こっちだ」と言いながら、映画プロデューサーの菅井俊に初めて会う場面につながる。この学生3人の「こっちだ、あっちだ」と言いながらの人の動かし方が面白い。カメラのフレーム内への出入り、アクションのリズムと運動。どこに行くとも分からない学生たちは、『やくたたず』の学生たちのようだ。

菅井俊と映画の話で盛り上がているところに、渋川清彦の妹がバイク事故に遭い、先生に呼び出されて渋川清彦と三浦誠己がいなくなる大ロングがあって、一人村上淳だけが残る。俳優志望だったのは渋川清彦だったはずだが、一人残ったのは村上淳で、それが彼を俳優にさせたキッカケになったのかもしれない。「偶然の選択と結果」の過去の一つのできごとなのか。

また、妻とそっくり(渡辺真起子が二役)の母が出てきて、男は母親みたいな女を探す話をする。その通り、妻と一緒になった村上淳が後で出てくる。そして同級生 (山本浩司 ) の結婚式にラフなシャツ姿のままで参加する。途中抜け出して森の中を三浦誠己とその妹の河井青葉と歩きながら、中学時代にワカサギ釣りの最中、一酸化炭素中毒で倒れていたのを渋川清彦の父親に助けてもらった話をされるが、村上淳は全く覚えていない。「終わったことを話すのは罰当たり。これからのことを話すのは恥さらし」とお兄ちゃんが言ってたと河井青葉に言われる。ワカサギ釣りで事故で死んでいたかもしれない中学生時代の過去。人生はちょっとした運命(選択)で変わっていく。

結婚式場近くの森の抜けて、スケートボードで移動しながら、冒頭の陥没した道でわざと倒れ込む村上淳が映し出され、その後、結婚パーティーの二次会も終わる。そして最初にあったベッドで寝ている村上淳の足の裏のカットが繰り返され、再び自宅の朝のシーンになる。最初と違って今度は妻(渡辺真起子)がいて、村上淳が前日に道端で倒れて意識を失ったことを教えられる。再び病院での検査シーンがあり、今度は三浦誠己は現れない。叩かれない肩を気にする村上淳。故郷での墓参りは、 三浦誠己 はいなくて渋川清彦と河井青葉だけ。今度は結婚式にジャケットを着て参加するが、式を抜け出して森を歩くのは三浦誠己と河井青葉ではなく、渋川清彦。友人代表の挨拶を練習している。1回目の森で話が出た「ワカサギ釣りの一酸化中毒になりかけた話」を今度は村上淳が話し、渋川清彦がまったくそのことを覚えていない。ここでの村上淳の態度は、1回目よりも積極的だ。過去の死にかけた思い出や、死んだ友との妄想から、今この瞬間に前向きな態度を取ろうとしている村上淳の姿がある。ここでの彼の顔のアップは、これまでの無表情と明らかに違う。

村上淳はスケートボードに乗って再びあのデコボコ道へ。道端に倒れ込んでも意識は失わず、今度はスケボー少年たちが次々と現れてくる。ひょっとしたら、これは地震で死んだ子供たちなのか?そんな風にさえ思える。結婚式の二次会も終わり、帰ろうとする村上淳に河井青葉から見せられるデジカメ写真には、三浦誠己と歩いた森での自分の後ろ姿があった。そして三浦誠己の後姿もある。冒頭でうまくいかなかった中国語の吹き替え仕事は、今度はうまくいきそうだ。過去と故郷への旅で、少し今を前向きに捉えようとする村上淳がいた。

繰り返される場面は映画そのものとも言える。俳優は現場で何度も役を演じ、カメラの位置を変えて何度も撮り直す。時には台詞が変わり、虚構が繰り返される。作られた映画は何度も再生=playbackされ、虚構の物語の役と演じる役者たちそのものを観客は二重に重ねて観る。生きることは、過去の記憶を何度も再生しながら、虚構の物語として思い出を作り上げていたりもする。現実は虚構によってズレていく。事実がなんだったのか、人によっても記憶は違う。見る側の意識によって同じ物語(映画)でも印象は違う。死もまた思い出とともに現実に入り込んでくるし、映像に映らなくても映っているような気がしてくる。死者たちは映像によって召喚されたりもする。ある意味、再生(playback)とアクションを繰り返す映画そのものについての映画なのかもしれない。そんなまとまらないことをつらつらと考えさせてくれる不思議な映画だ。


製作年 2012年
製作国 日本
上映時間 113分
監督・脚本・編集:三宅唱
脚本:三宅唱
企画:佐伯真吾、三宅唱、松井宏
ラインプロデューサー:城内政芳
撮影:四宮秀俊
挿入歌:ダニエル・クオン、大橋好規
主題歌:大橋トリオ
キャスト:村上淳、渋川清彦、三浦誠己、河井青葉、山本浩司、渡辺真起子、菅田俊

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?