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成瀬巳喜男のメロドラマの傑作『乱れる』

[c]1964 TOHO CO., LTD.
松山善三のオリジナル脚本。最近読んだ塩田明彦の『映画術』という映像演出を解説する本で、この成瀬巳喜男の『乱れる』を題材にして、役者の位置関係(二人の境界・結界)、橋の演出、衣装(着物を着ることでの鎧を身にまとう)などの話が書かれていたので、それを確認する意味でも見てみた。成瀬巳喜男監督作品は、『浮雲』『乱れ雲』など、どれも驚くべき傑作だ。まだまだ見ていない作品も多いので、全ての作品を見たいと思っている映画監督だ。

「メロドラマ」や「女性映画」の名匠などとよく呼ばれている成瀬巳喜男。黒澤明のように派手な演出はないし、小津安二郎や溝口健二のような独特のスタイル、日本的様式美やダイナミズムもないが、日常の庶民の心の機微、「目線の芸」とも言われる役者たちの細やかな演技、動きの演出力が際立っている監督と言われている。だからプロの映画人のファンも多い。成瀬巳喜男の映画はとても演出の勉強になるし、役者の勉強にもなる。

さてこの映画は、義理の弟(加山雄三)と姉(高峰秀子)との禁断の恋物語である。二人の距離がどう近づき、離れ、また近づき、一線を越えるのか、越えないのか?そんな男女のメロドラマである。そう言ってしまえば、どうということはない物語だ。だけど、見ていてモヤモヤ、ハラハラ、ザワザワするのである。

スーパーマーケットの宣伝トラックが「高校3年生」の曲を流しながら何度も登場する。静岡の清水市の商店街。夫が結婚して半年で戦死して18年間、焼け跡の混乱期から森田屋酒店を切り盛りして軌道に乗せたのは、森田家に嫁いだ戦争未亡人の礼子(高峰秀子)であった。しかし、近所にスーパーができて、タマゴが安売りされてお客が奪われていく。義理の弟・幸司(加山雄三)は、大学を出て東京の会社に就職するも、すぐに辞めて清水に戻ってパチンコ、麻雀、女遊びとプラプラとしていた。母(三益子)も、嫁いで出て行った娘たち(草笛光子、白川由美)も幸司に酒店の跡を継いでもらいたがっていた。そして礼子に再婚話を娘の草笛光子が持ってくるのだが、礼子は「再婚なんて考えてもいません」と断ってしまう。そんな商店街の時代の変化と跡継ぎ問題をめぐる家族の話かと思いきや、映画は後半にかけてどんどん幸司と礼子の二人の禁断の恋物語へと突き進んでいく。

つまらない女(浜美枝)と遊んでいる義弟を非難してケンカになったキッカケで、若い加山雄三がストレートに自分の思いを高峰秀子にぶつける。加山雄三の不器用なセリフ回しが、直情的な役柄とうまくマッチしている。「義姉さんが好きだから、一緒にいたいから、会社も辞めて戻ってきたんだ」。その部屋での二人のやり取り、役者の動き、目線、光と影の使い方など見応えがある。

一つ屋根の下で義理の弟の思いを聞いてしまった姉、秘めた思いを口にしてしまった義弟。それから二人の関係がギクシャクしていく。二人が近づくと意識的に避けたり、お互いの思いが狭い空間で溢れていく。酒店で真剣に働き出した幸司の思いを、和服を着て鎧をまとい、義弟と距離を作ろうとする姉の高峰秀子。その葛藤の芝居が上手い。そして礼子は森田家の家族を集めて、「山形の実家に帰ること」を宣言する。酒店をスーパーマーケットにする話を「幸司さんを社長にして進めて欲しい。そのいい話の邪魔になっているのが私」だと言って森田家を去る決意をするのだ。

ところが故郷へ帰る列車に幸司が一緒に乗り込んでくる。礼子の帰郷旅は義弟との禁断の逃避行のようになっていく。列車の席を少しずつ近づけていく幸司。二人の目線が何度も交じり合い、弁当を楽しそうに食べ、礼子と一緒にいられる旅を楽しんでいる幸司。考えてみると、幸司はいつも食べている芝居が多い。そして冗談を言ってはぐらかし、時にムキになって本音を子供のようにぶつける。そんな幸司のまっすぐな思いに女性としての喜びを感じる礼子の表情も少しずつ和らいでいく。そして幸司の寝顔を見ていた礼子が涙する。「どうしたの?」と礼子の隣に座る幸司。二人の距離が初めて至近距離になる。突然「次の駅で降りましょ」と言う礼子。二人は温泉町、銀山温泉の宿に泊まるのだ。『浮雲』でも温泉街(伊香保温泉)が出てきたが、成瀬巳喜男映画にあって、温泉街はどこか不吉なのどん詰まり、死の気配が漂っている。

温泉宿での部屋での二人のやり取りの芝居がまた素晴らしい。一線を越えようとする抑えられない欲望と越えてはならない心の葛藤が二人の距離感や芝居によって見事に演じられている。逃げる礼子、追う幸司、抱き合う二人、また逃げて泣き崩れる礼子、そんな姿を見つめる幸司・・・。その動きと目線と光と影の描写。

酒に酔った幸司が礼子に外から電話するシーンが清水と同じように再び繰り返され、指に結びつけられた紙の指輪が目印となって、翌朝、幸司と思われる男が礼子の目の前で運ばれていく。それを必死な形相で追いかけ、立ち止まる高峰秀子。運ばれていく幸司。礼子の顔のアップ。終の文字。その見事な終わり方に多くの人びとが惹きつけられた。映画史に残る名シーンである。


1964年製作/98分/日本原題:Yearning
配給:東宝

監督:成瀬巳喜男
脚本:松山善三
製作:藤本真澄、成瀬巳喜男
撮影:安本淳
美術:中古智
音楽:斎藤一郎
録音:藤好昌生
照明:石井長四郎
編集:大井英史
キャスト:三益子、高峰秀子、加山雄三、草笛光子、白川由美、 浜美枝、坂部紀子、柳谷寛、中北千枝子、十朱久雄、北村和夫

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