シャンタル・アケルマン『囚われの女』視線が交差しない幻影を愛する男

ベルギーの女性監督シャンタル・アケルマン作品を見るのはこれで4作目となる。今作は原作がある。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第5編「囚われの女」を、アケルマンが自由な発想で映画化したもの。同じ『囚われの女』という日本語タイトルで、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの遺作、1968年の作品があるが、こちらは2000年のシャンタル・アケルマン作品だ。

ラストと呼応するように夜の海から始まり、その後、海辺で楽しそうに戯れている女の子たちの8ミリ映像が映し出される。その映像の一人の女性に向かって愛を告白する青年シモン(スタニスラス・メラール )。青い目をした金髪の美青年が主人公だ。映写スクリーンの女の子とシモンの影が重なる。そう、この映画は虚構の映像に魅せられる私たち観客のように、自分の虚構のイメージの女性を愛する男の孤独な愛の物語だ。女性を主人公とする映画が多いシャンタル・アケルマンにしては珍しい男性が主役の映画だ。男が恋する女性の謎が描かれる。

街を颯爽と歩く女性を横移動のカメラで映しつつ(『アンナの出会い』でもホテルの廊下の横ドーリーがあった)、車に乗りこむ姿を見つめる別の車のシモンが映され、車が走り出すとともに尾行が始まる。オープンカーで髪が風に揺れる後姿をストーカーのように車で尾行する男シモン。どうやら8ミリに映っていた女性を尾行しているようだ。女は車を降りて石の階段を上り、路地に消える。男も階段を上って女を追いかける。あるホテルへと入っていく女。男はその後を追いホテルまで入っていく。サスペンスのような追跡。女に固執する偏執的なストーカーの物語なのかとまず思わせる。しかし豪華な屋敷に住む男シモンは、祖母(フランソワーズ・ベルタン)とメイドと若い女性と住んでおり、その女性が先ほど追いかけていたアリアーヌ(シルヴィー・テステュー)だとやがて分かってくる。さらに女友達のアンドレ(オリヴィア・ボナミー)も屋敷に出入りしているので、最初は人間関係がよくわからず混乱する。

シモンはアリアーヌを追いかける。美術館のような部屋の中をコツコツと靴音を響かせながら歩くアリアーヌ。その後を足音を立てぬように忍び足で追いかけるシモン。アリアーヌの歩く後姿と追いかけるシモンの顔がカットバックされる。アリアーヌが友達のアンドレと出会ったところで、男は引き返して姿を消す。ショートカットの美女アンドレは、シモンの密偵のようだ。シモンはアンドレにアリアーヌの報告を頼んでいる。シモンとアンドレの関係も妙に親しげで、三角関係の映画かなとも思わせる。

そして、屋敷の中でシモンが風呂に入っていると、隣のガラス越しの浴室にいるアリアーヌの鼻歌が聞こえる。二人の会話はまさに恋人同士のようだ。アリアーヌは性器の匂いの話をし、シモンは寝ているアリアーヌの陰部を見て臭いを嗅いだことを告白する。アリアーヌは、シモンにされたことを「好きにして」とまったく気にしていない。そして磨りガラス越しに見えるアリアーヌの裸体。シモンのベッドに招かれて、キスをする二人。ところが、キス以上の展開は始まらない。眠るアリアーヌを後ろからシモンが抱きしめ、自慰的に服の上から腰を押し付け欲情するだけだ。

二人の間には隔てられたものがある。浴室の磨りガラスのように。普通の恋人同士ではないことが分かってくる。シモンは、アリアーヌのすべてを知りたいと尾行を繰り返す。しかし、アリアーヌはシモンに全てを伝えない。「わからないことがある方が好きでいられる」と後にアリアーヌはシモンに言う。疑心暗鬼になっていくシモンは、アリアーヌがアンドレと恋人関係なのではないかと疑うようになる。女性同士の関係への疑問と謎。それはアケルマン自身の問題でもある。シモンは花粉症で、アリアーヌが友達と過ごすような場所に行けない。部屋に閉じこもり、秘かに尾行するだけだ。記憶力もなく、アリアーヌの行動を不審がる。しかし、オペラのパーティー会場でお酒を飲んでいるアリアーヌを無理やり連れ帰る場面がある。アリアーヌは、そんな強引なシモンに腹を立てることもなく、ただ従うだけ。シモンへの愛を口にするが、観客にもそれが本心かどうかわからない。

車の後部座席で、疲れて眠るアリアーヌに体を寄せるシモン。シモンという男は、相手が眠っている状態でないと、愛を示せないようなのだ。ここで面白いのが、突然アリアーヌが「運転をしたい」と言い出す場面だ。「運転すること」、そして「歌を歌うこと」がアリアーヌの限られた能動的なアクションになっている。部屋の窓から歌っているアリアーヌが、向かいのアパートの窓辺で歌う女性と歌の掛け合いをする場面がある。それをただただ聴くしかないシモン。いつも無表情で、シモンの要求に従うだけのアリアーヌが、歌っていると生き生きと楽しげだ。

同性愛を疑うシモンは、アリアーヌの友達で女性同士のカップルに話を聞きに行ったり、娼婦や男娼たちが立っている森に行き、一人の娼婦を車に乗せ、目をつぶらせてアリアーヌと同じことをさせる。しかし、どうもしっくりこない。アリアーヌへの疑心暗鬼に耐えられなくなったシモンは、別れ話を切り出す。あっさり素直に受け入れるアリアーヌ。シモンはアリアーヌの叔母の友達の家へと彼女を車で送っていく。問い詰めるシモンにアリアーヌは嘘などついていないし、シモンへの不実などないと繰り返す。アリアーヌの行動はシモンの妄想に過ぎないのか?別れ話を撤回し、再び引き返す二人は、海辺のホテルに泊まる。旅をしながら、もう一度二人でやり直そうとするシモンだったが、アリアーヌは夜の海へと突然消えてしまう。

アリアーヌが本当にアンドレと女性同士の関係を持っていたのか、シモンのことを愛していたのか、本心はどこにあったのか、観客には何も明かされない。アリアーヌが夜の海に消えた真意も分からないまま、翌朝一人、小舟で戻ってくる震えたシモンが映し出されて、映画は終わる。

シャンタル・アケルマンの映画にあって、登場人物たちはいつも人との関係を築けない。人間関係の葛藤のドラマは描かれない。一方的な独白と独りよがりの妄想が広がるばかりだ。あるいは、セルフ映像の記録。個人の想いは相手に届かないし、相手もまたその想いを受け止めるわけではない。反発するわけでもない。このアリアーヌのように、受け止めるフリをしているかのようで、本当のところは謎のままだ。それだけ、人間同士のコミュニケーションへの不信と疑いがあるのだろう。他者と葛藤し、関係を作りあげる他者を他者として描けない。眼差しは交差しない。眠る女や後ろ姿への一方的な眼差しがあるだけだ。そこに性的な関係がうまく機能しないアケルマンのジレンマも加わっているように思える。車でのドライブや、車の中での二人の関係が印象的な映画だった。

2000年製作/117分/R18+/フランス・ベルギー合作原題:La captive
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
監督・脚本:シャンタル・アケルマン
原案:マルセル・プルースト
撮影:サビーヌ・ランスラン
キャスト:スタニスラス・メラール、シルビー・テステュー、オリヴィア・ボナミー、フランソワーズ・ベルタン

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