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鈴木清順のナンセンスで荒唐無稽な傑作活劇『殺しの烙印』を見よ!

鈴木清順の大好きな映画を久しぶりに見た。数十年ぶりだろうか。鈴木清順の大好きな映画と言えば、『けんかえれじい』『東京流れ者』『ツゴイネルワイゼン』、そしてこの『殺しの烙印』だろうか。

久しぶりに見ても、そのあまりの荒唐無稽さ、内容の無さに唖然とする。ここには何も描かれていない。殺し屋がナンバーワンの座を賭けて争うだけの映画だ。日活社長が「わけがわからない」と激怒したというのも頷ける。高級クラブのバーテンダーに「飯を炊けって言ってるんだ」と難癖つけて、キッチンでご飯の炊ける炊飯器の匂いを嗅いで恍惚ととなる殺し屋の宍戸錠。そのバカバカしいキャラクター造型。なんでもこれは、パロマ炊飯器のタイアップから生まれたギャグみたいなものらしい。確かにしっかりパロマというメーカー名が画面に映る。

プロの殺し屋ランキングNo.3の花田(宍戸錠)は、組織の幹部を護送する途中でNo.2とNo.4の殺し屋たちに襲撃されながらも任務を終え、殺し屋No.2へランクを上げる。しかし、たった一度の失敗(蝶が銃口に止まること)によってランキングを転げ落ち、組織から命を狙われる中盤からの怒涛の展開は、まさにシュールそのもの。花田の妻の真美(小川万里子)さえ、殺し屋となり命を狙ってくるし、アンドロイドのような真理アンヌは雨や噴水、水とともに現れ、鳥や蝶の死骸がいっぱいの部屋にいる。真理アンヌとの愛情と殺し合い。そして組織に捕まった真理アンヌが火炎放射器で拷問されるフィルムを見る。後半は、ナンバーワンの殺し屋(南原宏治)とのコメディのような同居生活。お互いがお互いを殺そうとしながらも、奇妙な友情のようなライバル関係が生まれる。そして夜の後楽園ホールでの対決。まさに虚無的な死闘。勝者は誰もいない無人のリングが映し出される。結局、組織にいいように使われている殺し屋たちの個の虚無とでも言うべきものか。

脚本家の名前にある「具流八郎(ぐるはちろう)」は、「グループ8」という意味だそうで、「曾根中生さんの呼びかけで大和屋竺、岡田裕、山口清一郎といった日活助監督の同期八期生に先輩の榛谷泰明(日活助監督六期生)および脚本家の田中陽造といった1966年当時の日活の助監督/脚本家さん達に加えて美術の木村威夫さんをアドバイザー、監督の清順さんをまとめ役として集まった計8人の流動的なメンバー」だそうです。『殺しの烙印』の脚本は三部に分かれており、前半は大和屋竺(本作で「殺し屋ブルース」を歌い、殺し屋ランキングナンバー4のコウ役を演じた)、中盤は田中陽造(清順監督の「大正ロマン三部作」の脚本家)、後半は曽根中生がリーダーシップを取って書いているそだ。確かに、前半のハードボイルド、中盤はフィルム・ノワール、後半はブラック・コメディと、テイストが変わり、ジャンルを飛び越えている映画と言える。

螺旋階段や格子、曲線美など美術的なセットとロケ、斬新な映像感覚をとにかく楽しめる映画である。排水管からの殺害やビルの動く広告看板からの狙撃、アドバルーンでの逃走など、リアリティ度外視の荒唐無稽さがたまらない。映画は無意味でも遊びとアクションに満ちていれば面白いのだ。

1967年製作/91分/日本
原題:Branded to Kill
配給:日活

監督:鈴木清順
脚本:具流八郎
企画:岩井金男
撮影:永塚一栄
美術:川原資三
音楽:山本直純
録音:秋野能伸
照明:三尾三郎
編集:丹治睦夫
キャスト:宍戸錠、小川万里子、真理アンヌ、南原宏治、玉川伊佐男、南廣、久松洪介、緑川宏、荒井岩衛、長弘、伊豆見雄、宮原徳平、戸波志朗、萩道子、野村隆

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