インディペンデント映画の父、ジョン・カサヴェテスの家庭劇の傑作『こわれゆく女』の感情の揺れの芝居に注目せよ!

アメリカのインディペンデント映画の父と言われるジョン・カサヴェテスの映画を久しぶりに見た。この『こわれゆく女』も観た記憶はあるのだが、詳細は忘れていた。ただ記憶に残っていたのは、ジーナ・ローランズが不安定な精神状態の女を演じた映画であったことと、特に覚えていたのがピーター・フォークの仕事仲間と食堂の長テーブルで食事するシーンだ。登場人物の表情を捉えた手持ちのアップ画面を多様するジョン・カサヴェテス。映画の中で、あれだけ多くの人物がいる食堂のシーンは、あまり見たことがない。不安定な女主人メイベルを演じるジーナ・ローランズが、必死に明るく夫ニック(ピーター・フォーク)の仕事仲間をもてなす。十数人はいる肉体労働者たちが朝帰りで家に突然やって来て、スパゲティを大慌てで茹でて食事を振る舞う。家庭を切り盛りする妻を演じようとする女。メイベルはそれぞれの男たちに名前を聞き、声をかける。やがてオペラが得意な男の歌が始まり、メイビルがある男に過剰に関心を寄せたりする。その慌ただしくもテンポがあり、賑やかで和やかだった食卓の空気が、あるキッカケで一瞬で変わっていく演出。まさに演劇的な緊張感溢れるシーンだ。

この映画は、そんな演劇的な緊張感溢れるシーンに満ちている。冒頭やエンディングほか、何度か出てくるニックの仕事場である採掘場のような殺風景な砂や土の土木現場以外は、ほとんどの場面が家の中で展開される。ジョン・カサヴェテス自身の家をロケ地に提供し、借金を背負い、自らの母までも出演させ、公私にわたるパートナーであるジーナ・ローランズのためにこの脚本を書き映画を製作した。ピータ-・フォークは、この映画のために『刑事コロンボ』のギャラをつぎ込んだとも言われている。まさに自主映画のような人々の熱い思いがこの映画に注ぎ込まれている。

子供たちを母親に預ける慌ただしい朝の母親としてのメイ・ベルとその後、家の中で一人になり孤独と不安を抱えるメイベルの演じわけ。さらにニックから「仕事で帰れない」と電話ももらって、夜の町を彷徨う女としてのメイベル。そしてその翌朝の大勢の食卓のシーンとつながっていく女の変化。その展開の見事さ。さらに、近所の子供たちを預かって大騒ぎするシーンも凄い。必死に子供たちを喜ばせようと、白鳥の湖を踊り、子供を仮装させる常軌を逸したメイベルの過剰な行動。ニックが帰宅してからの騒動。メイベルの必死な思いがまわりと歯車が噛み合わず、まわりの大人たちの困惑と怒りを買う。ニックのメイベルをしているからこその暴力性は、見ていてツラくなる。ニックとメイベル、どちらが精神的な病気を抱えているのか、分からなくなる。嫁と姑の争いも凄い。それは、6ヶ月後にメイベルが病院から退院する日の場面でも同じだ。退院祝いを賑やかに楽しくやろうと思うニックと、精神病院での電気ショックなどの治療で疲れ果てて帰ってくるメイベル。そのすれ違いがまたカオスを作り出す。集まった親しい家族たちの困惑。メイベルを必死で守ろうとする子供たちと、ニックの怒りと混乱。家庭という舞台が、こんなにも気持ちがぶつかり合い、思いがすれ違い、感情が溢れ、ドラマチックな空間になるということをカサヴェテスは描いてみせた。

登場人物たちがそれぞれの感情を爆発させるように、巧みに計算された脚本。役者たちの感情を揺さぶられる激しい芝居がここにある。言うまでもなく、ジーナ・ローランズのための映画である。その演劇的空間をドキュメンタリーのように、表情をアップを捉えながら活写していのがくジョン・カサヴェテスという監督だ。役者たちのそれぞれの感情の描写。その一つの到達点が、この映画であるように思う。

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