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溝口健二の『近松物語』日本映画史に残る名作~死から生への反転、そして晴れやかな死

(c) KADOKAWA 1954

近松門左衛門の世話浄瑠璃「大経師昔暦」を下敷きに、 川口松太郎が劇化(オール読物所載「おさん茂兵衛」)、 依田義賢 が脚色して、溝口健二が映画化した。

『雨月物語』同様に湖に舟を浮かべ、生と死の狭間である水辺が映画中盤に出てくる。心中しようとする二人。まさに死へと向かう二人だったが、死の間際に長谷川一夫が香川京子にの告白をする。「ずっとお慕いもうしておりました」と。その言葉を聞いた香川京子が「私を?」と驚いて、「おまえの今の一言で、死ねんようになった、死ぬのはいやや、生きていたい」と、死への道行きのベクトルを生へと反転させるのだ。香川京子が長谷川一夫に舟の上で抱きつく。ここから後半の男女の物語になっていく感じが面白い。

京都の大経師以春 ( 進藤英太郎 )は、町民でありながら帯刀も許され、 毎年の暦の刊行権を所持して大儲けをしていた。以春は後妻のおさん( 香川京子 )をもらいながら、女中のお玉(南田洋子が若い!)にも手を出し、金にもケチで傲慢な男だった。お玉は 店の手代で腕利きの職人、茂兵衛(長谷川一夫)に思いを寄せていた。おさんのところに道楽者の兄が借金の工面をこっそり頼みに来る。おさんは、ケチな夫の以春に頼んでも無理だと思い、茂兵衛に相談する。茂兵衛は店の金を用立てようとするのだが、それが主人の怒りを買い騒動になる。お玉が自分のせいだと嘘をついたことで、さらに以春の怒りが爆発。夜に茂兵衛とおさんが一緒にいるところを見つかり、不義密通だと誤解され、茂兵衛もおさんも店を飛び出す。この一連の騒動、お玉とおさんの寝床の入れ替わりや、茂兵衛とおさんの偶然の鉢合わせ(光りの使い方がうまい)、嘘と誤解から二人の運命が狂っていくところが面白い。江戸時代は、不義密通は重罪で、町内引きまわしの末、磔にされるのであった。そんな不義密通で引き回しにされる男女の姿が前半に予兆として描かれている。その時は「人の道を踏み外したらいかん」と女中たちを諭す茂兵衛であったのだが、後半は違う茂兵衛になっていく…。

茂兵衛は金を工面するために一人で大阪に行くつもりであった。「どこへ行ったらいいか・・・」と途方に暮れるおさん。結局、置いていけずに一緒に大阪へ行くことになるが、宿に泊まるときも、自分のおさんへの思いを押し隠し、あくまでも使用人としての立場を守り続けた茂兵衛。しかし不義密通の罪で追われる立場になり、心中を決意して二人は湖に舟で出る。死の間際、自らの思いを初めて告白した茂兵衛。そこから、二人は生きるための逃避行へと反転する。

慣れない山歩きで足を挫いたおさんがある家で足の手当てをしている隙に、彼女を置いて一人自ら捕まるために茂兵衛が山を下りていなくなる。足を引きずりながら、 「茂兵衛 、茂兵衛」と必死で名前を呼びながら追いかけてくるおさん。物陰に隠れている茂兵衛だったが、山道で転んだおさんの姿を見て、思わず物陰から飛び出して二人は山道で抱き合う。そして茂兵衛演じる長谷川一夫は、おさん(香川京子)の挫いた足首に口づけするのだ。溢れる狂おしいの表現。このシーンがいい。

そして父がいる実家の竹藪に匿われる二人だったが、追っ手に捕まり、おさんは実家に連れ戻され、茂兵衛は役人に突き出されることになる。しかし父の情けで、再び自由になった茂兵衛だったが、逃げずに再びおさんがいる実家に姿を現す。殺されてもいいからおさんを連れに来たのだ。おさんの母( 浪花千栄子 )に「この家も潰す気か」と言われる茂兵衛だったが、倫理的な「人の道」よりも大事な「」を見つけてしまった茂兵衛は、もはやおさんと離れるようなことは出来なかった。

繁盛していた 大経師以春の店も取り潰しになり、荒れた店内が俯瞰ショットで映し出される。女中たちも使用人も散り散りになるのだ。磔刑になる二人は馬上に乗せられ、町内を引き回される。集まる群衆。その馬上の二人の顔。おさんの「あんな明るい顔、見たことない」、「茂兵衛さんも晴れ晴れした顔色で」と囁かれる。そしてしっかりと繋がれた二人の手。馬上の二人と群衆の俯瞰ショットで終わる。ちょっとした嘘による誤解から、運命があっという間に狂い、死の間際にして本物のが生まれ、それが二人の不義密通になっていく。そのことによるお家の栄華盛衰、運命に翻弄される人々の物語でもある。

特別な長回しのクレーンショットなどは使っていないが、お嬢さんでしかなかった若妻の香川京子が、運命にイタズラで自暴自棄になって死を覚悟していたのに、を告白されてから「女」へと変わっていく変化が見どころだ。着物は汚れ、髪も化粧も乱れていくのに「女」として生きる歓びを獲得する皮肉。死へと向かいながら。実家で再会してしっかりと抱き合う二人と磔刑される直前の馬上の表情。近松モノながら、ドロドロした欲の心中ものではなく、上品な男女の愛の道行きになっている。それは香川京子のキャラクターによるところが大きかったのか、溝口演出がそうさせたのか、いずれにせよ日本映画史上に残る名作であることは間違いない。


1954年製作/102分/日本
配給:大映

監督:溝口健二
劇化:川口松太郎
脚色:依田義賢
原作:近松門左衛門
企画:辻久一
製作:永田雅一
撮影:宮川一夫
美術:水谷浩
音楽:早坂文雄
キャスト:長谷川一夫、香川京子、進藤英太郎、小沢栄太郎、南田洋子、田中春男、浪花千栄子、菅井一郎、石黒達也、水野浩、十朱久雄

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