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たーちゃんとアメリカと夢 5 たーちゃん高校3年生の悲劇の巻

たーちゃんの高校生の頃は、まだ暴走族やつっぱりが、盗んだバイクで走り出す時代でした。

たーちゃんは酷い乱視でしたが、眼鏡をかけたくないお年頃のため、裸眼で学校に行っていたので、かなりガンを飛ばし気味だったと思います。

そんなたーちゃんの高校3年生の担任の先生は、超体育会系の

「皆んな右向いてるんやから、お前も根性で右向かんかい。」

という雰囲気の先生でした。たーちゃんはどうしても、その先生の導くクラスの

「皆んなで右向うよ。頑張ろう!」

という盛り上がりに馴染めず、少しずつ学校に行くのが辛くなってしまいました。

担任の先生からは、目つきの悪い反抗的な生徒のハンコを押されていたんでしょうね。

たーちゃんはそれでも、大学行こうかなぁ。と呑気に思っていましたが、学校が辛くて沢山お休みしてしまったので、勉強にもついていけてなかったのでしょうね。 もちろん内申書という物もひどい物だったのかもしれません。

たーちゃんは大学受験にすべりまくりました。

それまでは殆ど傷ついた事が無かったのですが、たーちゃんの心には、大きな傷が出来てしまいました。

大学は諦めて働こうかと思っていたのですが、母に英語に興味があるなら外語専門学校を受けてみよう。と進めてもらって、やっとの思いで専門学校への進学が決まりました。

その後、アメリカに来て20年以上経ちますが、大学に行って英語を勉強して英語が話せるようになっても、文法に関しては本当に自信がなく、日本人の考える完璧な英語ではないのかもしれません。日本でしっかり勉強されている人に、英語の質問をされると、ドキドキします。

高校3年生の悲劇がここまで後を引くとは。末恐ろしい。

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