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対話を大切に

 よく人のことを蔑めるなとおもう。
 「あいつは使えない」、「どうせ何もできない」と言って他人を見下すその人は、「だから俺がやってやってる」と続けて言い自分を棚に上げる。
終いには「あなたはどう思うの?そう思うでしょ?」と半ば強制の同意を求めてくる。答えにくさとその話に全く興味のなさにぼくが「そうですね~~~~~」と、その話を早く終えたくて相槌だけ打っていると、「否定しないってことはあなたもそう思っているんじゃない」と半笑いで勝手に自分と同意見ということにする。 

 ぼくは、この人とのやり取りが苦手だった。仕事上の取引先であるその人とは、定期的に電話やメール、時には対面で打合せを要した。でも、4月からぼくが部署異動になり、定期的にやり取りをすることはなくなった。
 ひたすら人を蔑んで、自分を棚に上げて、自分の気に入る人だけを周りに取り込んで、それ以外は排除する。自分の意見に反することを言った人にはすぐ反論するし、時折高圧的にねじ伏せることもあった。そしてその人ももれなく自分の周りから排除する。反対に、ぼくとか周りの人が意見を肯定すると、まんざらでもない顔をする。なんなんだこの人は、とずっとおもっていた。
 しばらく接するなかで、この人は、プライドは高いけど自信が無い人なのだと気付いた。自分が成し遂げてきたことには相当な自信があるけど、それ以外のことは判らない。そしてプライドが高い。だからこそ、自分の処理できる範疇で対処したい。それ以外のことは受け入れない体質になってしまったのだろう。
 そこから、どういう人生を歩んできたのか気になった。生まれた「時代」が関係しているのか。育った環境なのか。これは想像に過ぎないから結論は判らないけど、とにかく、もったいないとおもう。

 反対意見を受け入れることは、自分の知識として蓄積されて、もはや「反対」ではなくなるとぼくはおもう。その「反対」が自分の既存の知識と合わさって、より良い意見ができるから。反対意見を述べている人も、その人自身を否定している訳ではない。なぜその反対意見が出るに至ったかの背景を知ることで、自分の意見と重なる部分もあるかもしれない。そうすれば、もっと良いように進めることができるかもしれない。
 ぼくは、人の発言のその背景や意図を確認することを大切にしている。そんなの当たり前と突っ込む方もいるかもしれないけど、ぼくは長年これができずに苦労した。「反対」に聞こえても、背景や意図を確認することで、自分の意見と近似していることもある。背景や意図すら合わなかったら、そういう考えもあるんだ、という新しい気付きになる。だから、ぼくはそういった深い部分まで話をすることを大切にしているし、そういった話ができる人がとても好きだ。

 考えは、固すぎるとほかの意見を跳ね返してしまう。柔らくしてほかの意見を受け入れる余裕は備えつつ、芯はしっかりとした考えを持っていきたい。

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