コトノハ町

「輪切りにされた採りたてのオレンジのようにみずみずしい朝日だわ。さあ、たった一度きりの、撮り直しもやり直しもきかない今日という一日のスタートよ。」

母親は、止まることを知らないゼンマイ仕掛けの時計のように、日の出とともに忙しく動き回っていた。父親や息子たちは、ファーストクラスの乗客のように、母親の魔法の腕から作り出されるバランスのとれた最高級の作品が、目の前に出されるのをじっと待っていた。

「ママ、最高だよ。口の中に夢の世界が広がったよ。」と長男が言えば、次男も負けじと、

「僕の歯も舌も、アンコールの大合唱さ。」と言葉をつなぐ。

「身体中の穴という穴を塞いで、この味と香りと余韻を封じ込めたいぐらいだ。」と父親も参戦した。

この一見不思議な光景は、ここでは当たり前のものだ。ここは、コトノハ町。言葉をいかにつなぎ、いかにうまく飾るかだけに、住人たちが命をかけている町だ。素晴らしい表現を紡ぎ出せる者こそが、ここでは勇者。人の命や人間関係、財産、友情、どんなものよりも優先されるべきは、言葉を重ねる作業なのである。

「ありがと。三人の言葉を聞いて、裸足で草原へ駆け出して、そのまま寝転がりたい気分よ。」


授業が終わったばかりの教室では、生徒たちが思い思いの休み時間を過ごしていた。

「今の授業、内臓の水分が全部吸い取られちゃうほど、つまらなかったな。」

「ああ。俺なんて、意識と感覚がスペースシャトルに乗って宇宙の彼方へ行ってしまったのかと感じたよ。

教師だって、やる気のない生徒相手に授業はやりたくない。

「こんな授業をするより、あの池にいる鯉の鱗の枚数を数えていたほうが、まだ未来への可能性を感じるな。」

「ああ。カラスの羽色が、いくつの色をどうやって混ぜれば作り出せるのかの答えを考えて過ごしたほうが、意味のある時間になるな。」


言葉は思いを伝えるためのツールである。と同時に、使い手のセンスを表すアクセサリーともなる。しかしそれは、伝わることが前提だ。意味の伝わらない言葉は、言葉ではいられない。


就職活動をしている学生の元に、面接結果を知らせる連絡がきた。

「あなたは、工具箱だ。どんな場面にも対応できる様々な種類とサイズの工具が、漏れなく揃っている。蹴りあげた空き缶が、そのままゴミ箱に入るよりも、素晴らしい。あなたという工具箱に、我が社というメンテナンスが備われば、スリムになったサンタクロースにも、昼間も活動できるドラキュラにも負けない。しかしこの先、これまで経験したことのない規格外のボルトやネジに遭遇したら、どうだろう。その時にも、現在の能力が存分に発揮できるなら、あなたは世界の工具箱にさえなれる。」

採用通知なのか、不採用なのか。喩えばかりに力が注がれすぎて、肝心の結果が全く見えない。


ここまでくると、単なる飾りに成り下がってしまう。言葉という飾りで塗り固めて武装したところで、すぐに剥がれ落ちてしまい、結局は核となるメッセージすら残らない。言葉はシンプルであるべきだ。


学校からの帰り道、楽しげにおしゃべりしている二人の高校生がいた。

「おい、うちの猫が逆立ちしてヒゲを使ってエサを食べるくらい信じられないことが起こりそうだ。このままだと俺たち、仙人が住むと言われる桃源郷かユートピアか、いずれにしても己のコントロールが及ばない場所への片道切符が天から贈られ……。」

「キーッ、ドンッ。」

間髪入れず、二人に暴走車が突っ込んできた。自分の身に危険が迫っている時にまで、言葉で着飾ることを選ぶとは……。

言葉は、伝えるために存在する。誰かに届けたいからこそ、発する。先ずは、メッセージを届けよう。その上で、飾るのは個人の自由である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?