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# 4-3 Robbie the Sitter (少しだけ不自由な私たちの殻)

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 ロビィは連日に渡って公私のメディアに取り上げられた。数日前にはしっかりとした身なりをした報道機関の方からも取材を受けた。

 これまで社会から注目されることがなかったロビィは有頂天となっていた。聞きかじった阿彌陀佛の教えなどを、得意げに発信した。これは旧世紀にアジアを中心に信仰された宗教だった。意味もわからず念仏なるものを唱え、死に姿を様にしようと、その時代のモンクが着ていた衣装も真似て用意した。

 なんの気なしに「私の御霊は阿彌陀佛となり、皆を見守るであろう」と発言した映像が、全世界で反響を呼んだ。

 あれよと言う間に、広告収入や寄付という形で、大金が転がってきた。それをお布施という形で処理した。そんなお金を「仕事ひとすじで生きてきた。最後くらいは贅沢をしてもバチは当たるまい」と豪遊に使った。――それがよくなかった。

 毎晩、遊び呆けていると、日中の祈りに身が入らない。今夜はどこで残りの人生を謳歌しようかと考えることが多くなった。そして、何よりタツキを偲ぶためという想いが薄くなってきてしまっていた。

 刻々と自殺すると宣言した日は、近づいてきた。

 ロビィは死にたくないと思った。しかし、周りの熱狂はとどまらなかった。ロビィの発言に感化され、先んじて死んでしまった愚かな人間もいるという。ロビィを紹介するニュースは増えつづけ、そのそれぞれがロビィの日々の様子が公開し続けた。そして、そこには自殺の日までのカウントダウンが大々的に表示され、みながコメントを添えていた。――世界中の人が「死ねよ」と煽ってくる。

 夜は眠れなくなってきた。なんとか寝たとしても、不安を具象化したようなイメージが脳裏に浮かぶ。どうやらこれが『夢』というものらしい。それも悪夢だ。

 この晩も夜風にあたろうと、玄関から庭に出た。しばらくすると、無人航空機のブーンという音が聞こえ、そこにに搭載されたカメラがこちらを覗き込んでいた。ひゃあと声をあげて、家に入った。調べてみると『話題の自殺ロボット ロビィの自宅を生放送』というライブ映像を公開しているチャンネルがあった。

 げっそりと疲れた果てたまま、その日を迎えた。

「日が悪い」などと言い訳をして先延ばそうとしていた。しかし、その目論見を裏切るような、秋晴れの日だった。ライブ映像ではすでに多くの人が視聴をしているようだった。呪われたように見える法衣を身にまとい。ガタガタと震える。

 そういえば、肝心の自殺の方法を考えていなかった。周りに迷惑を掛けるわけにもいかないため、庭にみえる大きな木のしたで首をくくろうと思った。そもそも私の体は機械である。そんなことで、死ぬことができるだろうかと考えたあとに、「どうして私が死ななければならないのか」と、さめざめと泣いた。

 家のコールが鳴った。また取材か。まさか――業を煮やした人たちが死への催促に来たのではないか。恐る恐る玄関を開ける。

「ロビィさんでしょうか?」

 無機質な声で聞かれた

「はい――そうです」蚊の泣くような声で答える。

「オートマトン管理局調査課のナギと申します。本日の自殺の件ですが、少しだけ協力をいただけないかと思い――」

 女性が要件を言い終える前に、ロビィは彼女に泣きついた。

「何でもいたします!どうか私を助けてください!」

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