アナログ鍵の失効リスト(6)
## その6 (17:20)
終業の時刻が近づいてきた。このフロアは特別な事情がない限り、定時は17時半となっている。今日はノー残業デイではないから、半分以上の人が変わらずPCに向かっている。咲舞はこれまで残業をしたことがない。「他の先輩方が残業しているのに自分だけ早く帰宅して申し訳ない」と花山に話したら「無理に残業なんてしなくていいわよ。望まなくても、いづれね、てんてこ舞いな日々が来るから」と言われたことがある。そんな花山は毎日子どもを保育園に迎えに行く必要があり、16時に終業する特別勤務となっていた。
帰宅する前に電子メールの内容を確認し、PCをシャットダウンしようとしていたところ、篠原が青ざめた顔をしながら、あちこち尋ね回っていることに気がついた。
「33階のサーバラックの鍵を知りませんか」――メンバの作業している手がピタッと止まった。
サーバとはシステムやデータを格納している高性能なコンピュータのことで、顧客情報が格納されていることから、ソフトウエア的にもハードウエア的にも厳重に警備されている。多くの場合はデータセンタと呼ばれるセキュリティが担保された拠点に一括して配置するが、中小規模のシステムの場合は費用対効果の関係から自社ビルに配置することも珍しくない。篠原が言うには、そのサーバを格納しているラックの鍵が見つからず、付属しているコンソールからの操作ができないということだ。
課長が営業担当と共に外出していたため、課内ナンバー2の大江、当事者の篠原、そして福永が集まって話をしている。咲舞も帰宅するタイミングを逃したかのようににその輪に加わった。
「午前中に事前準備のためにアクセスした時はありました」篠原が事情を整理している。「この作業は、顧客の業務終了後にデータを補正する必要があったので、午後は別の仕事をしてました。確かにその時は自分の机の上においたんですよ。その後はえーと……」
「その補正とやらは今日中に必要なのか?リモートからのアクセスはできないの」大江が口を開く。
「業務影響という意味では今日でなくてもいいはずです。しかし、作業指示としては本日おこなうと合意をしてしまっています。それと、sshを利用してのアクセスはこれまでやったことないです。ポートが閉じてるかもしれません」
ポート?通信に必要なコネクタのことだろうか?そんなことを考えていた咲舞はあることに気がついた。
「あの、よろしいでしょうか?」皆の注目が咲舞に集まる。「もしかして、その鍵ってこのくらいの大きさですか?」
咲舞が右手の人差指と親指で5センチメートルほどの隙間を作り、右頬の前に示した。篠原がゆっくりと頷いた。
「今日の午後にそのくらいの大きさの鍵を触っているはずです。皆さん全員がです」
その場にいた全員が「あっ」と声をあげた。
「そうです。私、本日の大掃除でキャビネットを片付けたんですよ。その引出しにも小さな鍵がついていて、合わせて回収をしています。同じような大きさでしたら、紛れ込んでしまったのかもしれません」
――福永さんの資料の山がなだれ込んだ時に、という憶測は意図的に示さなかった。が、全員の視線が福永に集中した。
「も、もしかして僕のせいですか?」これまでは他人事のような顔をしていた福永が青ざめていた。
「こうなってしまったのは仕方がない。篠原くんは顧客に本日必達かを確認をしてれ――まだ電話は繋がるだろう。ただし、余計なことは言わなくていいからな。それと別のアクセス手段がないか至急確認してくれ。それと福永くんと西蓮寺くんは、このフロアとそのキャビネット集めた集積場所を探してきてくれ。もしかしたらまだ集荷されてないかもしれない。僕は課長に連絡を入れるよ――セキュリティ事故に該当するかも知れないからな」
大江の最後の言葉を受けて、全員が真剣な表情で頷いた。みなが指示通りの行動に移ろうとした時に、デスクで作業をしていた伊吹が背もたれに寄りかかりながら、「あのー」と声をかけてきた。
「どうした、伊吹」大江の声には若干の苛立ちがあった。
「タキゲンの200番ならここにありますけど――」
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