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アナログ鍵の失効リスト(5)

## その5 (13:00)

「さて、さっさと片付けてしまいますか。あ、これって片付けを片付けるって意味ね」

 花山の冗談に、咲舞は曖昧に微笑んだ。

「まずはデスクを掃除させに行くわ。咲舞ちゃんは古いキャビネットが空いたら、順次廊下に出して行ってね――さあ行くよ」

 花山はデスクの島の周りをゆっくり歩きながら、メンバに声をかけていった。

「はいはーい。第四開発のみなさまー!年末の大掃除ですよ。原則、机の上には物は置きません。資料や本も立てておいてください。デスクの下にも物は置かないください――これは災害時の避難場所確保にもなります」

 灰色の岩山のように資料が積み上がっている机を、第四開発の面々はいそいそと片付けを始めた。こうして各メンバの机を見ると、散らかっている人は多いが、その度合は異なっていることが分かる。クリーンデスク・ワーストランキングをつけるとしたら、課長の江森がダントツでトップだ。江森はとにかく書類が多い。キングファイルにバインドされているものやクリップに挟まれているもの、あるいはそのままの状態の紙が、PCのモニタを取囲み、サイドキャビネットの上、そして足元にまで広がっている。保管しておくのはよいが、必要な時には適切に参照できるのだろうか。次にひどいのは係長の大江だ――ほぼ課長と同じ惨状である。なお、このチームのもう一人の係長は現在、客先に出向中であり席は残っているが荷物は何もない。ランキングの対象外となる。

 どうやらこの会社では出世すればするほど机が汚くなるようだ。サンプルとしては少ないかも知れないが、両隣の担当の机を見ても同様の傾向が見られる。オフィスの上座(この表現が適切かは分からないが、入口から遠いという意味)に行けば行くほど、散らかり具合は増していている。話は変わるが、課長はチームのトップであるから、そんな端にいないで、島の真ん中にデスクを構えたほうがコミュニケーションが円滑に進むのではないかと思っている。

 さてランキングに戻ろう。これまでの傾向に反して三番目に汚いのは、入社3年目の福永である。無機的な煩雑さに加えて、カップ麺やお菓子の空が机の上に転がっている。隣の篠原(彼は5年目の社員である)がきれいなことは対照的だった。

 その福永が花山に泣き言を言っている。

「デスクの掃除、明日じゃダメですかね。社内研修の資料を今日の18時までに提出しないと行けないんですよ」

「そんなのダメよ。今日が大掃除だってことは何週間も前から周知があったでしょう。それに今日締切りの資料を、今作っていることもいただけないね」

「そんなぁ」と情けない声を出しながら福永は頭を抱えている。

「まずはこれ捨てちゃいなさい。機密情報はセキュリティダストボックスに入れてね……」と山積みの書類に花山が手をおいた。――その瞬間に不安定だったプリントの山が崩れ、隣の篠原のデスクになだれ込み、置いてあった紙コップをなぎ倒した。コーヒーが溢れる。

「あっごめんなさい。大丈夫?」花山は急いで積み直す。災難なのは篠原だ。コーヒーを吸ったプリントがデスクの上に広がっていった。

「福永、お前いい加減にしろよ。このコーヒー買ったばかりだぞ――いや花山さんが悪いんじゃないですよ。こいつが悪いんで――いっつもこっちのデスクまで侵略しやがって」

「すみません。今雑巾を持っていきます」と廊下にある流しに福永はかけて行った。篠原が「ついでにコーヒーも買ってこいよ」と声をかけると、花山が「私達の分もよろしく」と言うと、場の雰囲気は一気に和んだ。

 笑って許される失敗というは、職場では貴重なことである。思わず和んだ雰囲気のなか、咲舞は伊吹の席を見る。こちらの様子を気にする素振りも見せずに、キーボードを打鍵していた。その机には書類は一切なかった。紙資料の保管方法について「重要で直近に必要な資料は内容を覚える。重要で遠い未来に必要な資料は電子ファイルの保存フォルダを覚える。それ以外は記憶から抹消している」と言っていた――これは咲舞の記憶方法に似ているが、咲舞の場合はもっとシンプルにできる。重要なものは覚える。それ以外は覚えない。

 伊吹のデスクには紙の資料が散らかっていないことは問題ないが、咲舞には以前から気になっていたことがあった。

「ねぇ花山さん」と小さな声で話しかける。

「どうかした?」

「机の上には『物を置かない』でしたよね?あれはセーフ何ですか?」伊吹のデスクを指差した。

 そこには機械人形の模型が2体飾られている。ひとつは緑色、もう一方は茶色だった。緑色のほうは無骨な体形で、マシンガンを両手で構えている。おそらく誰かと戦うための機械なのであろう。茶色の方はもっと、ずんぐりむっくりで、手はつめのような形をしている。何をする機械なのかは分からない。2体とも綺麗に塗装がなされており、立体感に見えるような陰影のグラデーションがなされていた。

「あれは原則から除外します」と肩をすくめながら言った。

「去年も伊吹に片付けてよって言ったんだけど、なんかすごい怒ってね。ぶつくさぶつくさ言い始めるのよ。『これが失くなったら、仕事のモチベーションが30パーセント下がる』とか何とか言ってね。もう面倒くさいから、指摘しないことにしたのよ」

 確かに伊吹の生産性が7割になったら大変なことである。

「あの茶色い方なんですが。ピンクにしてみたら可愛いと思いませんか?」

「あの体育座りしてるほうでしょ?いいね。今度こっそりマニキュアで塗ってみようか」

 伊吹がじろりとこちらを睨んだ。

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