ジーンズは平和の象徴【Late1960s~1970s】

KENZOです。

アメリカの矛盾した正義に当時の若者たちは疑問を抱いていました。1950年の朝鮮戦争、1955年から始まったベトナム戦争は全米中の若者に、アメリカの在り方について、アメリカの民衆主義について考えなければならない大きな出来事でした。

カウンターカルチャー

すべての人種が自由を謳歌できていない事実や、徴兵制や公民権などの問題が常に絡みついていました。それらについて多くの若者が出した答えは、カウンターカルチャーという大きなムーブメントとしてアメリカ全土を動かすのでした。

「反戦運動」や「人種差別の撤廃」を主張した学生運動が起因となり、カウンターカルチャーは全米の若者を巻き込んでいきました。

当時のアメリカでは、ジーンズは'50年代から若者たちの間でファッションとして広まっていました。若者たちはジーンズを穿いて体制に立ち向かったのです。

1969年8月には「ウッドストック・フェスティバル」という40万人をも動員した大規模な野外フェスが開催されました。そして同年の12月にもサンフランシスコ郊外のオルタモントで開催されたのですが……。このイベントが一連のカルチャーを終焉へと向かわせていくのです。

オルタモントの悲劇

”愛と平和”がスローガンだったイベントで殺人事件が起きたのです。被害者は黒人男性。この事件以外にも3人の死者を出したイベントはのちに、「オルタモントの悲劇」ともよばれています。Love&Peaceとは矛盾する出来事がカウンターカルチャーに水をさすこととなってしまいました。

この事件を境に若者の熱気は冷め、大きな問題は個々のパーソナルな問題へ移り、フリーセックスやドラッグなど快楽的な遊びへと流れていくのでした。1975年には反戦対象だったベトナム運動も終結うに向かい、同時にカウンターカルチャーも消滅していきました。

ロックとジーンズが武器

ロックとジーンズを武器にしたカウンターカルチャーは、アメリカ政府には爪痕を残すことはできませんでした。しかし、ファッション界には大きな影響を与えました。ワッペンを貼り付け個性的にカスタムし、ベルボトムを穿きこなし、それに影響を受けたモデルは多く存在しています。

3大デニムブランドからも多くのモデルがリリースされました。また、カウンターカルチャーに準じたキャンペーンも行われました。

その流れはのちの流行にも影響を与え、ジーンズはさらに洗練され進化していきました。

若い世代が作り出したカウンターカルチャーの波は、ジーンズを中心にファッション業界を巻き込みました。

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