賀正

2021年あけましておめでとうございます。

昨年から始めたNOTEですが、何とか気持ちが切れずに週1で掲載を続けています。自分が好きで始めたものですが続けていられる原動力の一部は、このNOTEを読んで頂いているあなたのチカラだと思っています。本当にありがとうございます。

先日「ゲンロン戦記 東浩紀著」を読んだのですが、本の内容としては東氏が自身のゲンロンの経営についての裏話(ゴタゴタ)を赤裸々に綴ったものです。

その本のなかで、誤配が新たなものを産む要素の一つだと書かれていました。誤配とは、本人の意図とは別に解釈されたり伝わったりすることですが、その効果によって意外な衝突や新たな価値が生まれたりと「予想できない変化」が起きるようです。

これは私が啓蒙しているWbasicの一側面でもあると考えています。わたしたちの行動や会話の中には様々な要素が内包されておりその要素は、表面に現れていないものも多く、無意識に無自覚的に活動をして結合し衝突し変化を起こす。

その変化は可塑性があり、変化が起きる前の状態は戻ることはなく何らかの影響を与え続ける。その無自覚な自己が新たな芽を出し開花させるのだと思います。

社会は無駄なものを排除し効率化を進めています。これはビジネスとしての考えとしては間違いありません。Googleの開発者が言うように「定量化出来るものは全て効率化できる」のです。

AIを含む機械がこれを補助し世界の人々の生活は著しく豊かになりました。その恩恵を受けている日本人のわたしが否定的な発言をするのはお門違いですが、この豊かな生活の中で同時に、生まれるかもしれない失われた可能性もあったかもしれません。

脳科学で「クオリア」という概念があります。心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のことですが、何かの現象を言葉にする時に流れ落ちてしまう何か(感じ)のように、効率化の中にはこのようなクオリアが多く存在していてそれらの新たな可能性を阻害しているのでないかと考えます。

そのように考えれば、全てに効率化を求めることは、人の持つ人間性を弱めてしまい逆効果になるようにみえます。

昨年のコロナによって、わたしたちの生活基盤が蜜である事で成立していたことが証明されました。オンライン化の促進によって社会は順応しようと変化しています。

しかし、学生生活や社会活動をオンラインで成立させることは可能ですが、そこで失われるクオリアも存在していて、わたしたちが得られるはずの何かを損失してまうのではないでしょうか。

わたしの読み物は、周知されているように稚拙の域をまだ脱してはいないと考えています。それは赤子が首が座り、ハイハイをし、よちよち歩きで成長するように、緩やかに亀のように鈍足で進んでいるためです。

しかし、わたしにはある種の確信があります。わたしの読み物は、週を重ねる毎に表現が高度になり、内容の密度と真実性も向上していきます。

今これを読んでいる皆さんは、稚拙で幼稚な幼子の書き手の成長を読み物を通して体感していることになります。

それにはわたしの成長が不可欠ではありますが、粛々と進めていくので、これからもよろしくお願いします。

                                                                                    おわり


最後まで読んでいただきありがとうございます。

#47   2021.1.1





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