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不幸なのは誰だ

この世は残酷か・・・・

この世は希望に満ちているか・・・・

この世は悪くなっているか・・・・

この世は良くなっているか・・・・

わたしたちは、常に上記のような問や感想を抱き暗中模索のなか生活していると思います。日本に生まれ、日本で育ち、現在も日本社会のなかで多くの日本人は暮らしていると思います。

「わたしは金持ちではないので不幸だ。こんな生活は耐えられない」

などと嘆いたり、本当は払わなくても良い社会経済協力金で収入の一部を搾取されているように感じている人もいるかもしれません。しかし、そのような一見不幸にしか見えないことも、本当に不幸で不遇なものなのでしょうか。

みなさんが日常で感じている不満は、はたして不満に該当すべきことなのでしょうか。そんなものは相対的なのだから不満に感じたら不幸ということで間違いないと言う人もいるでしょう。

しかし、日本を飛び出し世界に目を向けた場合、相対の対象は同じ日本人ではなく海外に住む人たちに変わります。では、世界の国々と比べた時に日本に住むわたし達は不遇であり不幸なのでしょうか。

ここに世界の所得レベルと健康を表した図があります。(下図)

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参考文献:「FACT FULNESS ハンス・ロスリング著」

図のように日本は、世界で最高レベルの長寿国(健康)であり、世界最高レベルの所得国であることがわかります。

これは図の右側に記載されていますが世界各国の2017年の平均所得と平均寿命を表している図になります。図の上に行けば行くほど長寿であり、図の右に行けば行くほど平均所得が高くなります。

例えばアメリカは、日本よりも平均所得は高いが不健康なようです。また、中国は平均所得も健康さも日本の方が優れているようです。この図を見ただけで世界(2017)の一部が正確に見ることができます。

個人的に意外に感じたのは、シンガポールが日本よりも平均所得が高く健康なことです。ここにわたしの無知と偏見があったのですが、東南アジアで日本が一番先頭を走っていると思っていました。日頃から物事をニュートラルに捉えるよう心掛けているのですがこのざまです。

みなさんは上記の図をみて意外なことを発見できたでしょうか。少なからず自分の想像と違う認識の国の現状を見つけられたと思います。

このように身近なことではなく世界に目を向けると、日頃入ってくる情報やイメージとはかけ離れた真実があることに驚きます。そのような視点で物事を多角的に捉えると視界は大きく広がっていきます。

例えると1:1の画面サイズから3:4に、3:4の画面サイズから16:9に、16:9の画面サイズからパノラマの画面にと、視界が広くなっていきます。

また、先ほどの図の中には平均所得が大きく4つに分類されており、ネパールとパレスチナの間にまたがる線、モロッコとヨルダンにまたがる線、ロシアを分断する線、それぞれレベル1から4に分類されています。

この国の平均所得レベルによって大まかに人の暮らしが異なるようです。その暮らしの違いを表したものが下記の図になります。

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参考文献:「FACT FULNESS ハンス・ロスリング著」

どうでしょうか。

日本に住むわたし達は、レベル4になるので水道が整備され、移動手段に車を使い、食事はガスコンロを使って行い、主食とおかずがあり、ベットで睡眠をとります(日本はベットの文化は大衆的ではないかもしれません)

このように小さな差異はあれど、あらかた間違っていないことがわかります。

それでは世界に70憶人の人達がいてレベル4の暮らしをしてる人はどれ位しるのでしょうか。

答えは10憶人です。

レベル1が10憶人、レベル2が30憶人、レベル3が20憶人、レベル4が10憶人です。正確にはぴったり10憶人ということはありませんが、大まかに分けるとこうなります。

これを単純に計算すると7人に1人の割合で、みなさんは最高ランクの暮らしをしていることがわかります。平均所得はあくまでも平均なので、高額所得者の額が高くなれば上に引き上げられます。しかし、国の平均所得額はより現実に近い数字である中央値でみても2倍とかけ離れてはいません。(日本の平均年収は420万で、中央値350-360万)

つまり、日本に現在暮らしている人は世界的に見れば不幸なのではなく、超ハッピーなわけです。

しかし、現在の日本も終戦直後はレベル1から2の暮らしをしており、食糧難で市街地や農村まで苦しい食生活をしていたといわれます。(当時の暮らしを知りたい人はグーグルで「戦後の暮らし」などと検索すればいくらでも出てくるはずです)その後、高度経済成長もありレベル2から3へ、3から4へと国は豊かになりました。

そんなことを経験している人たちにしてみれば、現在は飽食で桃源郷のような時代のはずです。わたし達は生まれながらに桃源郷にいるのでそう感じませんが、今の暮らしがあるのは先人たちの努力に他なりません。

統計によればレベル1からレベル2になるには、少なくとも20年はかかります。そして、このレベルが上がった国がレベル3と4になるにはさらに数十年が必要になるといいます。

日本は終戦が1945年8月15日ですから、戦後75年が経ちます。この75年の間を使い経済発展を遂げレベル4まで成長してきたのです。

現在でも下水道が整備されておらず、汲み取り式のトイレの家庭もあるとおもいますが、水洗トイレの普及率はかなり高く、社会的なインフラは市街地だけでなく日本全土に整備されています。生活保護などの公的セーフティーネットや、民間のさまざまな支援団体もあり、この日を生き抜くことのできない人は限りなく少ないように思えます。

このように多くの人は、基本的な生活に苦しんでいるのではないことがわかります。

では、なぜ不幸を感じるのでしょうか

それは、コミニティの中で劣等感を感じる立ち位置にいるということです。例えばあなたが年収1000万を稼ぐとしましょう。日本の中で年収1000万円以上の収入のある人は全体の5%といわれます。これだけ見れば誰でも羨ましくなると思います。

しかし、コミニティの大多数が年収3000万以上稼いでいるとしたら、彼らのなかではわずか1/3しか稼げていなくことになり、苦しい生活をしているように思われます。ここで重要なのは「思われる」ことです。

つまり、コミニティの他の人達に「思われている」と感じることが不幸なのです。不幸の多くは自己目線ではなく他人目線での被害妄想によるものが多い。

そのため、視点を変えられない人はいつまで経っても不幸を感じるのです。

また、多くの人が「普通以上」だと自認しています。学力・収入・容姿など判断基準は多数ありますが、実力はさておき全体の中では「中の上」だと思うことによって安心を得て、幸せを感じます。

どれも相対的で誰かと比べなくては幸せになれません。しかし、そのような視点から脱出して自分の価値観を持つ人においては、このような他者目線は気になりません。どのように見られていても「自分はこのような人間だ」という意思があるので気にならないのです。

しかし自己目線にも落ち度があります。それは、協調性が低くなり偏りが強くなる恐れがあるからです。自分の価値観に固執するあまり他者を受け入れることができずに孤立してしまいます。

そのどちらも含み、そのどちらの欠点を補える状態が理想的ですが、それが難しいのはいうまでもありません。


そもそも、そんなことで悩めることが幸せなのです


わたしはそう考えます。

                               おわり

参考文献:「FACT FULNESS ハンス・ロスリング著」

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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no.48 2021.1.8









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