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#45 最大限のコスパは信頼

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東ヨーロッパにモルドバという小国がある。

モルドバ共和国(モルドバきょうわこく、ルーマニア語: Republica Moldova)、通称モルドバ、モルドヴァ(Moldova [molˈdova] ( 音声ファイル))は、東ヨーロッパに位置する共和制国家。内陸国であり、西にルーマニアと、他の三方はウクライナと国境を接する。旧ソビエト連邦(ソ連)を構成していた国家の一つであった。面積は3万3,843平方キロメートルで、日本の九州をやや下回る。首都はキシナウ(キシニョフ) 。

引用:Wikipedia

元ソ連に属していたウクライナとルーマニアに挟まれた小国だ。日本ではあまり知られていなく無名の国といってもよい。しかし、この国は幸福学研究のオランダ社会学者ルート・フェーンホーヴェンが世界中のすべての国を調べた結果、世界で一番幸福度が低いことがわかった。

なぜ、小国のモルドバが不名誉な栄冠を手にしたのでしょう。

それは、「人を信用しないことが当たり前の国」だからです。モルドバ人は互いをまったく信用しない。作家のエリック・ワイナーによれば、あまりに多くの学生が教師に賄賂を渡し試験に合格するので、国民の多くは35歳以下の医者を信用してはいなく、かかろうとはしないそうです。これは医師免許が金で買えると国民が思っているからです。

ワイナーがモルドバ人の意識を一言で表すと

「私の知ったことではない」に尽きるそうです。

そのため、この国で集団の利益になるよう動く人は少なく、そんなことをすれば自分だけ不幸な目にあってしまいかねなくなる。つまり、他者を信用できないので自己防衛に全力を注がなくてはいけない。そのような環境は負のスパイラルを生み誰も抜け出せなくなってしまうのです。

日本では周囲にズルをする人がいて、子どもが母親に「おかあさん、あの人ズルしてるよ。僕たちもそうしようよ。」と言えば母親は「何を言っているの、そんなことはいけません。お天道様が見ていて罰あたりますよ」と言うでしょう。しかし、モルドバでは母親は「あいつは上手いことやったわね、わたしたちも見習ってそうしましょう」となる。

わたしたち日本人には、にわかに信じがたいが高い確率でそのような社会になっているそうです。では、集団の多くの人が人を信用しない社会は、個人にとって損なのでしょうか。一見、ズルをして得を手にしているのだから、社会は別としても個人としては得をしているように思えます。

ベストセラー作家のダン・アリエリー教授は、「誰かがズルをして逃げおおせるのを見ると、やがて皆インチキをするようになる。ズルは社会通念として容認されたと考えるようになるからだ」といいます。

おそらくこれは、わたしたちの判断基準が3つあるからでしょう。ひとつ目は「正しいこと」ふたつ目は「悪いこと」みっつ目は「皆がやっていること」。周りの人を信用しない思考は、自己達成的予言になるという研究結果があるといいます。

あなたは皆がインチキをすると仮定して、人を信じなくなると、努力をしても誰かに足元をすくわれると考えて努力をしなくなる。そのため下方スパイラルに陥り不幸になっていく。仕事のチームに悪い従業員が一人はいるだけで、チーム全体の業績が30%から40%低下するという。

つまり、個人的な利益を優先することで、他人を信頼できなくなると、その他人も同じように人を信頼しなくなり、結果としてそこにいるすべての人が信頼を忘れ、社会全体が自己防衛のためのコストを必要とするようになる。

それは人を信用することで時折失われる損失よりも大きいということだ。ミシガン大学政治教授のロバート・アクセルロッドは

「利己的な人は、初めは成功したように見える。しかし長い目で見れば、彼らが成功するために必要とする環境そのものを破壊しかねない」と説明しています。

マキャベリ的に戦略に長けて利己的になり始めれば、いずれは他者もそれに気づく。そのようにして誰かが権力の座に就こうとしても、権力を手にする前に報復されれば意味がない。また、たとえ成功したとしても、問題を抱えることになる。そのように成功してしまうと、周囲も同じことをするようになるので、初めは捕食者だったものもいずれは捕食される側になってしまう。

一方で善良な人たちは去ってしまうので、波及効果でその環境に善良な人が一人もいなくなってしまう。そうして残った捕食者たちで、小さなパイを取り合うバトルロワイアルになってしまうのです。

ある調査で、職場、運動チーム、家族等、さまざまな関係で周囲の人に最も望む特性は何かを尋ねたところ、答えは一貫して「信頼性」だったという。

では、信頼性は悪いことを生業とする人たちにも適用されるのでしょうか。そんな疑問がわいてきますよね。例えば、反社会組織であったり海外のマフィアであったりと、一見利己主義的な人たちはどうなのでしょう。

答えは「絶対的に必要」です。

それは危険な行為の成功率をあげるためには信頼が不可欠だからです。大昔の16世紀に出没していた海賊で例をあげれば、手下を丁重に扱い、海賊船のなかでは実に民主的で互いを信頼していたといいます。

わたしたちの思う海賊は船長が船員を怒鳴りながら

「野郎ども、やっちまえ!」

などのように船長が大手で歩き、命令をしているように感じます。しかし、実際は違ったらしく、略奪で奪った金品も皆で均等に分け、船長だけが異常に多く受け取るようなことはなかったそうです。おそらく、船長が横柄な態度で船員に怒鳴り散らせば、船員たちはもっと待遇の良い船に乗船できたと推測できます。つまり、海賊も海上ビジネスのひとつだったということです。

ではなぜ、海賊が非道でおそれられていたのかといえば、専門家がいうにはマーケティングの一環だったといいます。つまり、とても怖くて野蛮な人に襲われたら金品を置いて逃げる方が得だと思います。無理をして交戦しても危険だと思うからです。しかし、海賊からしてみれば交戦もせず金品を置いていってくれるので、怖く野蛮に見える方が効率が良いのです。 

またスコットランドの作家で黒ひげに詳しいアンガス・コンスタムによると、かの伝説の海賊は、生涯を通じて一人も殺していなく、捕虜が船体から突き出した板の上を歩かされたという記録もただの一つもないそうです。

当時の海賊は、イギリス王室海軍や、最大限の利益を上げるために船員を搾取する商業船での暮らしより魅力的で公平なシステムがあったのです。

ピーター・リーソン「海賊の経済学」で述べているように「世間一般の見方と異なり、海賊の生活は規律が正しく真面目」だったそうです。

密売組織などで考えれば、所持しているだけで逮捕されるような状況で、取引相手が信用できなければ商売になりません。内部告発により現場を押さえられてしまったら即逮捕です。

映画「フェイク」ではジョニー・デップ扮する潜入捜査員が、密売組織の親分アルパチーノのカルテルに潜入し、麻薬の組織を一斉検挙するというものでしたが、親分であるアルパチーノは自分のカルテルに招き入れたジョニー・デップによって逮捕されるときにでさえ

「お前を許す」

といっています。

彼らの組織では危険を共に分かち合うので「鉄の結束」が生まれます。たとえ裏切りにあっても仲間を許す背中は、誰が悪で誰が正義か分からなくなりますね。社会的に許されないことをすることは認められませんが、社会的に認められていても人の道に外れている人間もまた多くいます。

結論からいえば信頼ほどコスパが良いものはないのです。ときに裏切られて大損をすることがあっても、それは一過性で問題は深刻ではありません。本当に深刻なのは人を信じられなくなり孤立していき孤独になることです。

人は他人と一切のコミュニケーションが取れなくなると、幻覚と幻聴が起こるといいます。つまり錯乱を起こすのです。そう考えれば、人は人と関わっているからこそ人でいられるのでしょう。

それでも鴨葱にされないために方法をひとつ。

「誰かを信じて裏切られたら、次はあなたがその相手を裏切りましょう。そして、それに懲りて相手が信じたら信じてあげましょう」

これが秘訣です。ゲーム理論でいう「しっぺ返し」というものです。協調すれば協調を、裏切られれば裏切りを、この方法では勝つことはありませんが、損することもありません。つまり勝ち負けのゲームから降りることで勝者になるのです。

いい人のままでは鴨葱にされるおそれがあります。ときには牙を見せることも重要ですよ。

                               おわり


最後まで読んで頂きありがとうございます。

みじんことオーマさん画像を使用させていただきました。

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no.45 2020.12.18

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