今年も紫陽花は見に行かなかったけれど違和感が清算できた
かれこれ31年も鎌倉に住んでいるけど、なぜか一度も紫陽花を見に出かけたことがない。「紫陽花寺」と呼ばれる北鎌倉の明月院に一度は言ってみたいと毎年思うのだけれど、いつの間にか紫陽花は枯れ、次の季節が訪れている。
コロナ禍の紫陽花寺は、いつもより人手が少なかっただろうし、行こうという気持ちが例年よりはあったし、行けばよかったと思うけど、どうにもこうにも縁がないらしい。
こうして今年も向日葵の季節になった。
在宅勤務がスタートした春先は桜が満開だった。確実に季節を重ねて、自宅で働き電車に乗るのは最低限なのは変わらないけれど、その間にじわじわと自分にとって好きなものや大切な時間は明らかになったと感じる。そんな悠長なことを言っている場合ではないのかもしれないけれど。
ゼロから湧いてきたというよりも、昔からぼんやりと抱えていた満員電車への違和感とか、地元に近いところで働きたいという密かな想いとか、洋服はやっぱり買っちゃうなぁ好きなんだなぁとか、そういう小さいけど大切にしたい気持ちが確信として強まってきたかんじ。
働き方に関しては、これまでは「それを言っちゃあおしまいよ」と思われるに違いないと箱に閉じ込めていたことが、急に肯定されはじめた。これを言ってもおしまいにならないし、むしろプラスになる、という状況になったと感じる。
そしてそんな人がたくさんいるんだろうな、と、世の中の動きとともに出てきている、人の住む場所や働く場所が変化する動きを見ても思う。
自宅で過ごしながら自分と向き合う日々は、違和感を清算する時間をくれた。時には枯れたり、折れたりすることもあるかもしれないけど、小さな芽を大切に育みながら過ごしていきたい。
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