見た映画(2021/12) コッポラ/MCU/28日後・28週後


もう去年の12月あたりのことなので、記憶ガバガバだけど、「感想書きたいなぁー(書かない)」をズルズルひきずるのがうざったいので。


『ヴァージン・スーサイズ』監督:ソフィア・コッポラ

山田尚子監督の源流を知りたいがために視聴。
僕がちょこちょこ参考にしているアニメオタク、RCanime氏の動画で紹介されていたものの中からソフィア・コッポラ監督の作品をピックアップ。

有志の翻訳版


本家


氏は映像演出の観点(に付随して映画史、作家性)からアニメを語るオタクで、僕もそういう語り口でアニメとか映画の感想書けたらかっこいいよなぁ、という生っちょろい考えで知識を齧っては放置している。

山田尚子の源流ということもあって、山田尚子作品で見たことあるカットや演出の連続(本来はコッポラで見たことがある「それ」を山田尚子作品に見出すはずだが、これは過去作品を後追いするときのあるあるなので)。

映像演出的には、パステル調の画面構成(山田尚子味)や、被写界深度を浅くして特定の人物だけにフォーカスする撮影(かなりの山田尚子味)、部屋の出入りのタイミングにキメの画を持ってくる(うーん山田尚子味)、etc…。
シナリオ演出的には、セリフを最小限に淡々と出来事を進行させていく。

メルヘンな少女性と対比して人間の生々しさをサッと描き出す(これが適当な表現か微妙だが実に少女漫画的)。

顕著なのはフレーム外で事件がおこり(タイトル通り少女の自殺)、登場人物がそれに気付き現場に駆けつけたカットで全貌がわかる演出。

例:一人目の自殺の場合。
家の外で何かが落ちた音がする
             ↓
家の中の人物がそれに気付く。
             ↓ 
玄関を出ると、庭の鉄柵に飛び降りて死んだ少女

みたいな。

語り部となっている少年たちはあくまで映写機のような役割で、少女たちが自殺していくまでのあれこれを傍観しているだけで、物語の顛末をただ見ることしかできない観客と立場を同じにしている(少女の神聖視、客体化とかそういう、童貞目線の倒置?)。
もちろんそれなりに彼らのパーソナリティは描かれる(思春期男子の妄想みたいな)がそこまで大したものではない。おそらく原作小説では詳細に描かれた部分を意図的にカットしているんだろう。
登場人物に感情移入させるのではなく映画を客体として成立させようとする意図が通底している。

ラストはいきなりホラーになってびっくりした。じわじわと事態を映していって客がダレたところでの不意打ちみたいな演出は山田尚子もやるが、底意地の悪さならコッポラが勝ってる。というかデビュー作でこんなぶっ込んだ作品を送り出せるのは新人監督ゆえの尖った感性というやつだろうか。

文芸映画を見るのは久々だったので、気分を合わせるのに若干苦労したが、山田尚子味を理解するための大きな一助になったので満足。
コッポラ何作か見たら次は小津安二郎あたりを攻めよう。

MCUシリーズ(アイアンマン2〜スパイダーマン:ファー・フロム・ホームまで)※ノー・ウェイ・ホームは別枠


なっっっがいわ!!!!

というのがまず大まかな感想。
ひとつひとつが2〜3時間ある長編作品だし、キャラは多いし、設定はごちゃごちゃだしで、とにかく疲れた。

 この動画の13:04からの映像が気になったので、とりあえず見てみるかぁと甘い考えで手を出したのが悪かった。

僕はこのMCUシリーズについて、共通の世界観をもった作品(アベンジャーズ等)が何作かあって、あとは独立した世界で個別のヒーローが活躍するオムニバス形式のシリーズだと思っていて、その中でたまにクロスオーバーが挟まって、前作を見たファンがきゃっほぉ!!!となる、ウルトラマンとか仮面ライダーのような特撮シリーズと同じテンションで見ればいいと思いこんでいた(ウルトラマンも仮面ライダーもそこそこ見てきた人間の価値観)。
そしたら、実態は全然違っていて、なんと『アイアンマン2』から『エンドゲーム』そしてそれ以降も世界観とシナリオを共有していて、「ピンからキリまで観ないと分からんやつぅ…」とちょっと気後れしてしまった。

文句をいってもしょうがないので去年12月頭から2週間くらいかけて、約20作をバーっと見た。権利関係で、スパイダーマンはDisney +では見られないのが若干めんどい。

仕事→帰宅→MCUのサイクルで12月は回っていた。
『ノー・ウェイ・ホーム』は劇場で見たかったが、大勢の人間がいるところに行くリスクに敏感になりすぎてて行けなかった。
結局、配信されたものを遅れに遅れ7月に視聴した(感想は別枠で)。

いちおう各作品ごとに感想を述べるけど、印象に残ったものとそうでないものの差が激しい(基本アイアンマン、キャプテン・アメリカ、スパイダーマン中心)。
ちなみに以下の感想記事を多大に参考にしている、というかどちらも見る前に読んじゃった(ネタバレあんま気にしない民)。
二つともおもろいし、これらを読んで充分なところはある。

『アイアンマン2』以前の作品(アイアンマン、ハルク)は小学生くらいに地上波で見たのでいいやって思ったのと、なんか調べたら「アベンジャーズ」としてのシリーズは2から見れば良いっぽいので、じゃあ2から見ましょう、ということになったので(『マイティ・ソー』も見たことあったので飛ばした)そこからの感想となります。


『アイアンマン2』


アイアンマンことスタークの戦いは基本自分が巻いた種をどうにかすることに終始していて、世界的武器商人であるトニー(と父親)が流通させた武器と技術を用いる敵が報復しにくるのを迎え撃つのがセオリー。これって冷戦期からのアメリカと中東(アフガン、イラク)の関係をもろに示していて、このMCU自体が20世紀から続く覇権国家アメリカの歴史(国内外の動乱)の総括とも取れる。

前作を通して歩く軍事力として世界の紛争地域に手前勝手に介入し、武装組織をボッコボコにしていくなかで、政府は一個人には余りある武力を管理しようという組織的に真っ当な意見を提出するわけだが、典型的なリバタリアンたるスタークは「いやこれ俺が作ったし、俺しか使えんし」ということでバッサリ断る。ところがスーツの動力源たるリアクターと自身の肉体が直結していることが、彼の命を脅かすことになり、まさに巨大な力を持ったが故の自家中毒に以降彼は悩まされ続ける。

リスクが顕在化する前は「自社の武器がテロに使用されることを未然に防ぐ」という大義のもと、その無謬性にライドしてやりたい放題していたスタークが、途端そのリスクや世論からの不審にさらされるとメンタルがボロッボロになっていくあたりが、押井守曰く「金持ちの道楽」としてのヒーロー像の道義的な脆さということか。
そうなってくると、ここからどう立ち直るかがドラマの肝だが、そこに関してはアメリカ映画の王道展開で、普通に天才のひらめきで解決策を見出し、武力と個人の癒着のリスクを度外視して、あっさり敵を倒してしまう。
ただこの天才の成功体験が『アベンジャーズ』以降のあれやこれやに響いてくることにはなるのだが…。
なんかシリーズが一旦出きったことを前提に見ているので単体の評価がむずい。

『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』

舞台は第二次世界大戦、主人公は愛国心あふれる新兵、敵はナチスドイツ。
「もう100万回は擦られたネタでどんなアメリカ万歳映画をやるんや?」とワクワクしていたら、人道無視の投薬で生まれたヒーローがクソダサスーツに身を包んでプロパガンダに担ぎ出されるという皮肉たっぷりの展開でかなり面白かった。「戦争するから国債買ってね!」っていうヒーローおもろい。

主人公スティーブ・ロジャース役のクリス・エヴァンスの肉体が、改造前がVFXで加工されたもので、改造後が自前なのが映像技術としても俳優のポテンシャルとしても素直にすごいと思った。80年代マッチョ映画(主にシュワちゃん)で育った身としては、久々にいい筋肉を見れてけっこう良かった。

若かりし日のトニーの父(ハワード・スターク)をがっつり関わらせてくるので、シリーズを追うごとに登場人物が時系列を越えて錯綜するというパターンが予感されちょっと身構えた(そう、記憶力がね…)。

アイアンマンのようなはちゃめちゃなテクノロジーで敵をぶっ飛ばすヒーローではないので、戦闘シーンの派手さは劣るが、そもそもちょっと(?)強いだけの人間という設定なので妥当なところではある。まぁ、盾をぶん投げた時の軌道はぶっ飛んでいるが。

『アイアンマン』がアメリカの正義の揺らぎを象徴するならば、『キャプテン・アメリカ』はまだ確固たる正義を標榜できていたころの「古き良き」アメリカの象徴。その無謬さに対しての自己言及的な要素として、あのプロパガンダのタームがあり、ヒーローものと見せかけて安易な勧善懲悪はしませんよという宣言かと思っていたが、そういうことでもなかったらしい。

キャップとレッドスカル、両者ともに超人血清を投与され同じ人間兵器として戦うという、対称戦争の構図において、ヒーローとヴィランのポジション分けをする理由づけが「善人はより善人に、悪人はより悪人になる薬」ってなに?アンパンマンみたいな世界観か?

同じ手段(超人血清)、同じ目的(敵を倒し国益を得る)を保持するもの同士の争いのうえで、Aは根本的に良い存在なのでAの戦争は「良い戦争」という論法はそれこそプロパガンダじゃん(ただ世間の動向を見るに、白黒はっきりな勧善懲悪の世界観は今なお大人気なようで)。
しかもヴィラン側が「世界征服」というとんでもなく行儀のいいお題目を掲げているせいで、相対的にキャップ側が正しいよね〜という、プロットの強制力が働くのでどうにも掘り下げようがない(史実におけるナチスドイツもそこまで安直ではなかったと思う)。
あーこれで悪い奴倒して、世界救って(ついでに女といちゃついて)ハッピーエンドね…次回作にどうつなげるのかしら?と思ってたらめちゃくちゃ無理な展開でロジャースをのちのシリーズに続投させたので爆笑した(めっちゃ省略するとラストバトル後に生還できず北極で氷漬けになって年取らずに70年後に復活する)。

『アベンジャーズ』


序盤にめまぐるしくキャラと状況が動くから、流れを整理するのが大変だった。
以前見たからいいやと何作か飛ばした弊害がガッツリでて、ホークアイって誰よ?と思ってたら『マイティ・ソー』で既出のキャラだった。しかもそれを『エンドゲーム』視聴後まで知らなかった。ずっと、「こいついつからおったんや…?」という疑問を抱いたままシリーズを見ていたことになる。

本作は既出ヒーロー全員集合祭りを客寄せにして、ヒーロー同士のスタンスの違いと、共通の大敵という今後のシリーズの方向づけみたいなものを示した以上の意味があんまりない気がして、作品単体として評価しようがない印象(つなぎ感がすごい)。案の定、キャップとスタークは喧嘩した。ただ、ポイントとして地球外勢力(サノス陣営)の圧倒的戦力規模を体感したのがスタークのみというところは抑えておくべきだと思った。
ここで超個人主義のスタークが、個人の能力では如何ともし難い現実を、彼に比べれば協調性と義務感に基づいて動くヒーロー達(キャップがその筆頭)よりも一つ上のスケール感で理解したことが『シビル・ウォー』の対立に至る導線になっている。

『アイアンマン3』

トニー・スターク後始末物語(いつもの)

いよいよスタークの身からでた錆が極まった感じで、自宅はぶっ壊されるわ、スーツは機能しないわ、PTSDでパニくるわでもうボロボロ。まぁ天才なのでそこからでも復活する。万事OKである。
ヒーローが情けなくヘタれる展開大好きマン(サムスパファン)なので、ぐだぐだになるスタークの描写は大変良かった。

今作ではヒーローとしての責務とスターク個人としての生活がトレードオフだという問題に直面する(遅くない?)。

スーツ依存症になるほどには精神が参ってしまいってる描写があるため、ラストの「アークリアクターを取り除いてただの人間になる」という決断は、ヒーローをもう止めるという宣言かと思ったが、しかし、生活を優先して地球外からの脅威をほったらかしにできるほど彼は共同体意識を捨て去っているわけではないので、あのラストは『アイアンマン2』までとは違うやり方で世界を守るという決意表明をしたのだと受け取った。

あ、イラク戦争の自虐ネタってアメリカでは定番なんですか?


『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』

どんな話だったかよく覚えていない。
ロキは萌えキャラ。


『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』

直近で見た『ノー・ウェイ・ホーム』を除けば一番好き。
厳密にいうと『ノー・ウェイ・ホーム』は、別シリーズとのクロスオーバーが熱いからという下駄を履かされているので、ことMCUシリーズ内のキャラに限定した作品ではこれがベスト作品。

急に映像がなにもかもかっこよくなってビビった。
どうも本作を手掛けるルッソ兄弟(本作以降重要な作品を担当する監督)はファンの間でもかなり評価の高い演出家のようだ。それもそのはず、本作は明らかにアクションシーンのキレと、俳優のポテンシャルの活かし方が段違いだった。テンポの速すぎるカットと、振りまくりのカメラはちょっと見ていて疲れるけれど。
構図やショットの選択にノーランみを感じるところがちょいちょいある。てか、まんま『ダークナイト』の車両が前転してぶっ壊れるシーンのオマージュがあった(もちろん爆破や車両の衝突もガチ)。

本作に至るまでMCUシリーズには不満点が一つあって、それはシンプルにアクションが弱いこと。もうこれは近年のハリウッド映画全般に言えることだけど、とにかくMCUにおけるアクション及び映像の迫力はVFXにめちゃくちゃ依存している。

もちろんハリウッドの映像技術は目覚ましい発展を遂げていて、オブジェクトの実在感、エフェクトの迫力の向上だけでなく、往年の俳優を若返らせたり、なんだったら故人すら映像の世界で蘇らせんばかりの勢いだ。
実物だと思ったらCGだったり、CGだと思ったら実物だったり、画面内の真贋はもう並みの観客の目には見抜けないレベルに到達しようとしている。
それはすごいことだと思うし、どんどんチャレンジングに映画表現を開拓していけるに越したことはない。

ただね…。ジャッキー・チェン仕込みのノースタントアクションで育った身としては、たとえ当て振りだったとしても役者の血湧き肉躍る身体性を伴ったアクションが見たいの!こう、実感として呼び起こせる痛みがないのよ、実写における人間がビームだの神通力だの放ったりするアニメ的表現には!!
ハリー・ポッターくらいのハイファンタジーならそのへんの統合は取れるんだけどね…。

邦画の実写版はもっと深刻で、単純なクオリティの面でもひどいけど、日本の漫画アニメはビジュアルからしてアメコミのそれより抽象化されているので、そんなもんを実物の役者にコンバートしたらコスプレ学園祭になるのは必至。
ファンタジーな描写と、画面内での実態が全く釣り合ってない。
ハガレンの実写許さんからな(見てないけど)。

そこでこの『ウィンター・ソルジャー』は、もうバキバキの肉体のぶつりかりあいが、暴力!暴力!暴力!って感じでもう最高。

ウィンソル好きなら十中八九、あのハイウェイの戦闘シーンをベストにあげるだろう。御多分に洩れず僕もそう。だってかっこいいもん…。ノースタントなんだもん…。
前書きで述べた、気になっていた映像がまさにこれ。

あとウィンター・ソルジャー(バッキー)に完全に惚れた。目的遂行のために一切の感情を殺したキルマシーン。めちゃくちゃアニメアニメしてるキャラのくせに、あのアクションに全部黙らされる。あのナイフアクション、あんなんNARUTO(アニメ)の熟練アニメーターが入ってる回の戦闘シーンでしか見たことないよ。役者ってすごい。

バッキーが出てくるたびに、「きゃー♡♡バッキー♡♡♡」と黄色い声援を送り続けていた。
要人を暗殺するバッキー。捕虜になった仲間を始末するバッキー。近接戦でハンドガンに即座に持ち変えるバッキー。ナイフくるくるバッキー。お前最高だよ。そのアルミホイルぐるぐる巻きにしたみたいなサイボーグアームもチープでいいよ。


スタークが個人の力の限界を悟ったとしたら、ロジャースは純朴に個人の意思決定を尊重する道を選ぶ。
意思決定のプロセスが複雑で、ときに隠蔽のはびこる組織という枠組みに対する不信感が決定的になったことが、のちにスタークとの不和を生む引き金となってしまう。
組織と個人の対立、不和みたいな話は結構好み。そこから逃れようがないしがらみがあるとなお良し。僕自身は組織的なものとは無縁の人生を歩んでいるので、檻の中の猛獣を見て一喜一憂している気分に近い。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

サノス(ラスボス)が関わってくるのになんでこんなに進展ないの?キャラクターたくさん出すのはいいとして、群像劇として整理できてないから状況がつかみづらいうえに、個々のキャラもあんま立ってない。
名前が覚えられませんでした。

『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』

アベンジャーズ久々集合。何してたんだ今まで?。海外ニキにも言われとるぞ。

トニー・スタークやらかし物語(いつもの)。

スターク「ウルトロン(人工知能兵器)つくって俺らがいなくても地球守れるようにするべ」
                                             ↓
ウルトロン「人類はクソ。抹殺します」
                                             ↓
アベンジャーズ「ハァーーー(クソデカため息)」
                                             ↓
民間人「ひえ~~」

抑止力の暴走がテーマなのはいいとして、展開が強引すぎる。ウルトロンの小物感が地球規模の危機感と釣り合ってねぇ…。

今回はほぼスタークのやらかしの尻拭いに周囲が巻き込まれるので、必然スタークの印象は最悪なんだけど、彼の急進的な方針が来たるサノスとの闘いに備えてのことだということを、他のメンバーはもうちょっと考慮に入れてもいいと思う。今後何度もいうことになるけどもうちょい話し合え、お前ら。

そしてウルトロンの唐突さを上回るヴィジョン爆誕。
ウルトロン、そしてワンダとすばしっこい(そんなレベルではない)弟は、スタークへの憎悪で駆動しているキャラクターなのでまだドラマへの参加感があるが、ヴィジョンに関しては急に盤外から補給された「超強い駒」でしかない。じゃあ文字通りデウス・エクス・マキナになるかと思ったらそんなに役に立ってる印象がない。アベンジャーズ(ハリウッド)名物、大集合バトルの一員になって終わり。

ハリウッドが逆シャアをやるとこうなるというお手本が見れたことはよかった。


『アントマン』

ヒーローVS巨悪というスケールでかめのエピソードが続いてきたなかで、急に方針転換したかのように、こそ泥から足を洗うために奮闘する父親が主人公という、MCUのなかでは割りと異色作。

80〜90年代コメディを彷彿とさせるキャラクター同士の軽妙な掛け合いで、物語がすいすい進んでいく。見やすさでいえばこれが一番。
『メン・イン・ブラック』的なSFガジェットを活かした、ドタバタ劇がなんとも懐かしい雰囲気。テレビっ子だった頃の恩恵(木曜洋画劇場或いは水曜シアター9)で、こういう軽薄なギャグセンスを楽しめる下地が出来上がっていたのもあって、特に引っ掛かることもなくリラックスして楽しめた。

その名の通り、アリサイズに縮小するため、カメラがアントマン及びミクロ世界にフォーカスしている時はド派手なシーンとなるが、反転して、現実の人間スケールからの視点ではショボく見えるというギャップ演出が多い。これは例えば『トイストーリー』や『ナイトミュージアム』のミニチュアキャラでさんざん擦られたギャグで目新しさとかは別にないが、本作に至るまでMCUがやってきた、硬派なヒーロー達の活躍が良いフリになっているので普通に笑えた。

アントマン=スコットは、世界の平和を守るといった大仰な使命など背負っていない盗みが得意なだけのパンピーなので、アベンジャーズへの関与などする気はないし(この時点では)、最大目標は更生して家庭に帰ることだから、アントマンの力を使って世界を救うつもりもない(この時点では)。このスタンスは他のヒーローと違い世界規模の闘いに関する責務を負わない。
よってアントマンは身の回りの問題が解決すれば即刻ヒーロー(もどき)を止めることができる点で、他のヒーローと一線を画した存在だろう(この時点では)。


『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

 アベンジャーズやらかし&大喧嘩物語。

ウルトロン戦でちゃっかり仲間になったワンダちゃんにまず重めの罪を背負わせ(戦闘中に民間人大量爆殺)、それをきっかけに「アベンジャーズ放任するのちょっと危険すぎんか?」ということで(遅くね?)、アメリカ国務長官がご丁寧にこれまでのシリーズでも大量の犠牲者が出ていたことをアベンジャーズ及び視聴者に認識させ(遅くね?)、「国連の管理下に置かれるか、犯罪者になるか」の二択を迫る。

ソコヴィア協定(国連管理)の容認派筆頭はアイアンマンことトニー・スターク、否認派筆頭はキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース。さぁ、争え!!

ルッソ兄弟の演出なので当然映像はカッコいいし、それぞれのヒーロー同士の戦闘シーンに個性を持たせているのはすごい。ただシナリオ面でいうと、「もうちょい相手の話聞けや」と思うことが多々あって、中盤の見せ場であるアイアンマン勢vsキャップ勢の衝突は、盛り上げのために無理やりこじつけた感が半端ない。

ヴィランのジモがただの人間ゆえに正面切っての攻撃はできないので、あくまでアベンジャーズ同士が対立するよう工作したという理屈は走っているものの、なんかアベンジャーズ側がアホすぎるというか、なによりキャップが真相に辿り着いているにも関わらず問答無用で喧嘩が始まるので、ジモが扇動しなくてもいずれこうなったんじゃね?感が強い。

バッキーの洗脳が(一部)解けて、普通にコミュニケーションが取れる対象になってしまったのも悲しい。もうちょっと「キルマシーン」の側面を擦ろうよ、良いキャラなんだから…。今作以降、バッキーの活躍がどんどんショボくなるのも輪をかけて悲しい。

一番驚いたのはスパイダーマンがサラッと参入してくる展開。
まずそのヒーローの単独作をやってから、大所帯に合流するのがセオリーじゃなかったんか…いや、そういやホークアイもブラックウィドウも単独作なしでアベンジャーズに参加してたわ。でも、あの二人って常人以上の訓練をした「ただの人間」枠だから、そもそも単独作を考慮に入れてないもんだとばかり…(二人のファンの方々ごめんなさい)。あ、ブラックパンサーも今作初登場でしたね。

で、このMCUスパイディ、登場時点ではどうしても気に食わなかった(が、次作からどんどん好感度が上がって行く)。
僕はナードでうだつの上がらない、ついでにヒロインもビッチなサム・ライミ版スパイディを幼少期に散々見まくった人間なので、MCU版のバイタリティ溢れるティーンエイジャーとしてのキャラ造形にどうにも馴染めない(アメイジング版も同様に。どう見てもあいつはナードじゃねぇ)。
絶対もとから視力よかったでしょ、トムホピーター。しかものっけからバッキーの上位互換的な活躍見せやがってめっちゃムカつく!!サイボーグパンチ片手で受け止めんじゃねぇよ!!キャップの盾でも防ぐの辛かったやつだぞ。

そのスパイディもなんかお披露目的な役割をこなして、早々にストーリーから離脱するので、キャラのインパクトで盛り上げる割には雑に扱うんだよなぁ。もう単純に主役級(商業戦略的な扱いの意味で)のキャラを出しすぎて整理つかなくなってるんだな、群像劇的に配置できるような面子でもないし。

ラスト和解すんのかなぁという流れを一旦挟みつつも、決定的な断絶をしてみせたのはすごいと思った。が、どうせ再集合するのは目に見えているし、なんかそういう示唆もあったのでそんなにショックがない…。

『ドクター・ストレンジ』

見るLSD。
これ劇場で見た人大丈夫だったんかな。めっちゃ酔いそう。

序盤の展開、医者のくせにアホちゃうか?としか思えん。

修行の舞台設定が完全にジョジョ第一部のそれ。ヒマラヤのてっぺんで波紋の呼吸やれ。チベットを舞台にしたかったけど、中国絡みでネパールになっちゃったらしい。
オリエンタルな空気を醸し出したいのかよくわからんけども、いまいち世界観を掴みづらい。師匠のキャスティングがホワイトウォッシングだとか言われてるそうな。どうでもいいけど。

魔術バンバン使うのかと思いきや、物理攻撃主体の魔術師たち。(Fateかな?)

それにしても、タイムストーン強すぎィ!!なんでもありじゃねぇか(笑)
DIO以上のチート能力。

ボス戦、イザナミに嵌めててワロタ。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』

急に面白くなるな。

無印と比べれば格段に面白い。
なんでだ?前作はキャラの顔と名前が一致しないまま見終えたのに。

とりあえず、共同体からの離脱とその再構築というテーマに沿って導線がしっかりあったので、キャラの5W1Hを見失わずにすんだからかな。
ただ、そもそもガーディアンズたち宇宙組に魅力をそんなに感じないのがだいぶネックだ。地球組の利害衝突の方が緊迫感もあるし、アクションも良い。


『スパイダーマン:ホームカミング』

『シビル・ウォー』ではいけすかなかったMCUスパイディ単独作(アイアンマンもでるよ)。

本作のヴィランはアベンジャーズと敵の戦火によって生まれた瓦礫処理を任されていたしがない経営者。スタークと政府が設立した戦後処理機関によって、あっさりとその職を奪われたことを皮切りに、宇宙からきた敵勢力のテクノロジーを秘密裏に簒奪、改造して犯罪者達に売り捌いていく。

労働者根性を過度に内面化したいわけではないが、このヴィランには分野は違えどブルーワーカーであり現場仕事をする人間としてどうしても肩入れしてしまう。
つまりは、資本家のスタークに対して、てめぇふざけてんじゃねぇぞ、という気持ち。そして、事情を知らずに首をつっこんで甘いこと言ってるトムホピーターに対して、ガキはすっこんでろ!という気持ちがどうしても芽生える。ああ、やだやだ。

しかもそのヴィランがピーターの片思いする女の子(MJではない)の父親でさぁ大変!!
ご近所さんにヴィランがいる。そうそう、これが「親愛なる隣人」スパイダーマンの世界観よな。

アベンジャーズ最年少(正式採用ではない)のヒーローということで、向こうみずで世間知のない未熟な「クソガキ(それでもいい子な方)」というキャラが前面に押し出されており、やることなすこと裏目に出てスタークに説教される…が、お前にだけは言われたくねぇな。

『シビル・ウォー』後、キャップが国際指名手配され、アベンジャーズも解散した世界で、少年はなんとかアベンジャーズの後任として認められようと必死になる。精神的に未熟なヒーローというモチーフは他スパイディシリーズにも通底するが、圧倒的に違うのは、スパイダーマンスーツやウェブシューターといった装備品を、スターク社のテクノロジーに多分に依存していること。
ライミ版もアメイジング版もスーツは手縫いだし、ウェブシューターは自作だし(ライミ版に馴染んだ人間としては、原作準拠とはいえこの設定にモヤる)、他所のオーバーテクノロジーに頼って活動している訳ではない。なによりトビーピーターもアンドリューピーターも安定はしていないにしろ、仕事を持っていてそれなりに自立した大人のヒーローだ。
対して「大人の庇護のもとにある子供」というテーゼを背負わされているのがこのトムホピーター。

で、前作スパイディを踏まえている僕としては「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という、スパイダーマンシリーズにはお馴染みの「使命」であり「呪い」が、いったいいつどのような形でこのMCUスパイディにのしかかるのかと楽しみにしていたのだが、おい!ベンおじさんはどうした!?いないじゃねぇか!!
ヒーローパワーに酔いしれて高慢になり、それを諌めた父性の象徴たるベンおじさんとギクシャクして、「ほんとの父親でもないのに」と言い放ちそれが最期の会話になって、その後自身の過失でベンおじさんを失い、自責の念とその言い訳から逃げるようにヒーロー活動に埋没するのがスパイダーマンじゃないのか!?(サム・ライミ版だけ見てろ)
それになりより、なんなんだ、MCUスパイディのメイおばさんのキャスティング&キャラ造形は!?エロすぎるだろ!!越山弱衰作品かと思ったわ!!思春期男子と同居するにはあまりにエロ漫画すぎる(俺が毒されているだけか?)。サガっとる、ビフィダス…ああ、性癖が!!

なんかスタークが調子こいたスパを説教するパートでそれっぽいこと言うけど、激しく「お前が言うな」という感想しか出てこない。

となると今回のスパイディの「喪失」ってなんなんだ?って思ってたら、失恋かーい!思春期だねぇ!!まぁ、好きな子の父親刑務所送りにする(ついでにその子の世間体&家庭をグチャらせる)ってなかなかのことだけど。
んまぁー、匿名のヒーローをやる者がその匿名性の欺瞞に苛まれるのはお約束か。でもその後すぐにスタークに正式にヒーローとして認められてはしゃぎまくってるあたり、全く悲壮感なくて笑った。この辺軽やかにステップアウトできるのは、他のうじうじスパイディと違いますな。まぁあっちは、ヒロインがビッチだったり、死んじゃったり(過失で)するしね。

MJがサラッと出てくる。しかもオタクに優しいギャルじゃん。向こうでも人気なんすかね。

『マイティ・ソー バトルロイヤル』

ハルクが登場した理由が最後の方まで分からなかったが、ウルトロンの時点でそこの補助線引いてたのね。覚えてなかったわ…。

ヘラ姉さんの無双パートが良かった。年長者最強女性キャラに弱いんだ俺ぁ。

ロキが相変わらずの萌えツンデレキャラを見事にこなしていて、こいつ攻略対象として最強すぎると思った(ギャルゲやったことなし)。兄弟BL、ガチ勢には全く及ばないが結構好み。


『ブラックパンサー』

   架空のアフリカ国家が実は世界で最も優れた文明を持っていました、というなにか「政治的な」ヨイショを感じないこともない設定だが、まぁそこにどんなエクスキューズがあろうと言及したいモチベはないので、「そういうもんだ」精神で観ていくと、なんか真っ当に面白い。
民族色を押し出すことにも筋が通っているというか、きちんと価値観の対立を描いているし、説教臭くなりすぎずエンタメになっているので、サラッと見れる。あとブラックパンサーが普通にかっこいい。

急進派vs保守派の、しかし最終的には国家の繁栄と安寧を求める点では同じというところで、本当は「手を取り合えた」あるいは、ヴィランこそが「国家の担い手」足り得た存在だったかもしれないという可能性を示唆しつつ(逆だったかもしれねぇ…的な)、最後は主人公に華を持たせる。シンプルなヒーローエンタメ。

『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』

MCUがキャラを雑に扱いまくることはもう散々思い知ったので、もうなんかあれこれ言ってもしゃーないけども、ロキ殺すの…。
キャラへの感情移入ができるか否かはあんまり重視してないし、基本は物語の構造的な部分に着目しようと心がけてるんだけども、どう見たってキャラクターコンテンツじゃんこれ。物語を構成するパーツとして見ても、キャラをぞんざいにしすぎ。

「愛され」キャラをあっさり殺して、衝撃の展開みたいなことにしたかったんだろうけど、その役割を担うのが、今まで親玉の割にはちょいちょい小言を挟む程度にしか出てこなかったサノス。ラスボスなのに悪役の魅力がイマイチってどうよ。

「インフィニティストーン」を全て集めることで宇宙の人口を半分に減らす、てドラゴンボールか。なんか資源の枯渇どうのとか、宇宙の秩序がどうのとか言ってるんだけど、「なんでもできるんだったら資源を倍にすればいい」という指摘はさもありなん。

マジでこいつあらゆる面で唐突すぎる。ハルクに余裕で勝つからアベンジャーズメンバーの誰よりも基本強いみたいな、キャラ付けが雑すぎる。

トニースタークが出る作品は吹き替え(亡き藤原啓治ボイスを聞くため)で見ていたけども、サノスは銀河万丈ボイスでようやく強キャラ感が出てくる。サウザーみてぇなこと言うしな。   

インフィニティストーンがやたら揃ってる地球にサノスがとうとう来るってんで、アベンジャーズも解散してる場合じゃねぇ!ということで再集合…とはならずに、アイアンマンは宇宙にサノス退治へ、キャップは地球でサノスの手下供を蹴散らす。ソーはガーディアンズと合流し対サノス武器を調達しに宇宙の果てへ。

いよいよ、シリーズ中の各勢力が交わるポイントがだんだんとその輪郭を帯びていく展開に胸が熱くなってほしいんだが、その中心軸があのなんとも言えない悪役サノス君なので消化不良感が半端ない。

これ大丈夫か?と思っていたらどんどん、これ大丈夫か?という展開に進んでいく。つーかドクターストレンジは出し惜しみせずにタイムストーン使えや、なんか制約とかあったか?時間操れるんだったらザ・ワールドして全員ボコれや(映画終わる)。

なんやかんやあってサノスはストーンを全て揃えて、指パッチンしたら見事にアベンジャーズ初期メンバーを残して、他のヒーローは消え去る。トムホピーターが消えるとこはちょっとショックだった(なんだかんだスパイディ好き)。
要のアイアンマンは宇宙の彼方で漂流状態。地球組メンバーは茫然自失。サノスは一仕事終えて、なんかぼやーっとしてる。

ここから『エンドゲーム』にどう繋げるんだ?登場人物の大半が消えましたけども…そのほとんどがあまり見せ場を作れず。

これ、公開当時の反応どうだったんだろ、ここまで付き合ってきて、こんな状態でお預けって。そんな思い入れもないから怒るほどのこともないけども。
しかも間にさらにニ作挟む上に、そのうち一作は新ヒーローの単独作。
大丈夫かMCU。


『アントマン&ワスプ』

急なコメディ路線の復活。

アントマンが繋ぎとして便利な扱いを受けている感が否めない。

そして、本作は無印より面白くなーい。
ガーディアンズの真逆。続編が面白くないのはむしろ常道なのか。

とりあえず量子世界に行けるようになるまでの話で、これを映画一本分使う必要あったんかって感じ。


『キャプテン・マーベル』

MCUシリーズをここまで通してきて、基本どの作品もまぁまぁな感じで三作に一作「お、おもろいやん」となる感じだったけど、時折「なにも覚えてない」くらい面白くないやつが現れる(『ダークワールド』、『ガーディアンズ(無印)』)。

けど、これは別格。
ダントツで面白くない…というか、整合性がもうぐっちゃぐちゃになる。

なんでこれ挟んだ?って思うくらい何も内容がない。
いや内容はあるというか、この内容を認めたら今まで曲がりなりにも積み上げてきたもんはなんなのというやつ。

要は俺TUEEEを地でいく、「実は誰にも負けない無敵の最強戦士でした」で終わる話。

これが『エンドゲーム』の前座に置かれるってマジ?あまつさえ、エンドゲームの中核を担うアイアンマンを宇宙からサルベージする役割を担うヒーローがこいつ?ってなる(『インフィニティ』のポストクレジットと本作の流れで察せる)。

『エンドゲーム』の内容に割り込んだ感想になってしまうけど、そんな宇宙のあちこち飛び回ってヒーロー活動できる上に、作中で最強のキャラクターになったんならお前がサノスとっとと倒せや。

なんか『エンドゲーム』で、「宇宙にはアベンジャーズのいない星がたくさんある」つって「地球の危機だけに構ってられないんですぅ」的なこと言ってたけどさ、サノスは宇宙創生と同等の力能を得られるインフィニティストーンを全て集めて、お前が構ってられない地球どころか宇宙全体の人口を半分に減らそうとする大量虐殺者ですが?
しかもサノス君は、ストーンを集める傍らで、自軍の武力でいろんな星々の人口を半分に減らしていってるわけでさ、そのへんまさしく宇宙を舞台にした『ガーディアンズ』あたりでも情報共有されてくらいの超有名人やんけ。今の今まで目下の最有力目標にサノスはいなかったんか?ポッと出ラスボスに、ポッと出最強ヒーローって、今までの大所帯劇はなんやったの。


もう意味わからん。こいつで丸々一本映画撮った理由がわからん。
悪名高き「なろう系」ではこういうのが量産されてるんですか?
『このすば』と『リゼロ』は後学のためにアニメ見たら割と面白かったから、悪例だけが強調されてんのかと思ってたけど、たまたま「当たり」を引いただけで、あとはほとんどこの『キャプテン・マーベル』みたいなんしかないの?

こいつのせいで『エンドゲーム』までの長い旅路が、何のためにあったのかがわからんくなる。だいたい2時間もかけてやるような内容ちゃうわ。こいつこそ『エンドゲーム』でサラッと出して、いつの間にかしれっとメンバーにいるみたいな顔させてりゃよかったのに(イライラを乗せてたら文体に関西弁が滲み出てきた)。

あと、ドヤ顔腹立つ。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』

キャプテン・マーベルがプロットの都合に忠実に従い、スタークを救出。
スタークもさ、持ち前の「天才」をフル活用して、敵の宇宙船だろうが何だろうが改造でもして自力で地球帰ってこいよ。そしたらあんなひどい茶番もなかったろうに。

ただ、キャプマーの台無し感はそこそこに(こいつがいたら話終わるので序盤でフェードアウトする)、そこからの展開はなかなかに面白かった。

サノスをあっさりと殺し、人口の半分は戻ってこないまま5年後、ってなって素で「ええっ!?」と声が出た。

「生き残ってしまった」ヒーロー達が5年後の、「バランスの取れた」世界でそれぞれの道を模索していく様がなんとも痛ましい。

キャップはグループセラピーで傷を舐め合い、スタークは家庭を持って隠居。
ウィドウは組織の残骸にしがみつき、ハルクことブルースは世の中に享楽的に適応した。ホークアイは自分以外の家族を消され自暴自棄。
一番衝撃かつ良かったのはソー。
引きこもり生活のはてに、引き締まった筋肉美はなりを潜め肥満体になり、フォートナイトで子供相手にチャットでブチギレる。
『インフィニティ』でサノスを凌ぐ力を見せ、この『エンドゲーム』においてはついにその引導を渡したソーが、見るも無惨な「サノス」の一言を聴くだけで取り乱すPTSD患者になってしまった。神なのに。

敵を失い、大義を失い、もう残っているのは個人の人生問題だけ。
彼らはヒーローの役目を終えることができた。望んだ形ではないにせよ。

なんかもうここで終わっても結構良いんじゃね?と思った。今まで散々「ヒーロー」の功罪について滅茶苦茶な話もありつつ語ってきた流れの落とし所に、「結局ヒーローは存在しても大して良いことなかったが、それでも彼らの人生は続く」的な終わり方は、まぁ安直な「逃げ」ではあるが、この時点での僕は「もう疲れたでしょ、みんな。俺も疲れたよ(MCUマラソン)」という画面内の彼らとは別軸の疲労感を彼らに仮託してしまっていた。
いいんじゃない?やれることはやったでしょ、キャプマー以外は。

が、ここでシリーズ異色作ポジのアントマンが、起死回生の突破口を見出す!!
そう!それはタイムトラベルで過去に戻り、インフィニティストーンをサノスより先に集めて、指パッチンして消えた者達をもとに戻すという画期的アイデアなのだ!!!

……もう、ここまできたらやっちまえ!!ほらとっととやれやれ!!
これで消えた仲間が復活し、過去世界線のサノスが現在にやってきて大バトルの流れだと誰でも分かるわけだが、タイムトラベルパートがコメディタッチに進みつつ普通にドラマとして面白かったので、その辺ビックバジェットの製作陣のウェルメイドに仕上げる手腕はさすがだなぁと感心した。

そこからもまぁそうなるよねという展開が続き、いよいよ決戦。

サノスがただでさえポッと出感がすごいのに、さらに小物感を増した単なる悪の親玉と化してしまった…。
まぁもう最後だし派手にやってくれたらいいかぁ、と眺めてたらほんとにド派手にやってくれたのでもうどうでも良くなってしまった。

「アベンジャーズ!!…アッセンブル(小声)」

かっこえぇぇーーーーーー!!!!!

公開当時のトレンドにそういや上がってたなこのセリフ。
味方大集合!!敵も大集合!!うおおおおお!!!
とにかくいっぱいヒーロー出していっぱいの敵を蹴散らすんじゃあああ!!!
快感原則を詰め込みまくったMCUシリーズの集大成ここにあり。

でもスタークとトムホピーターの再会ちょっとじんわりきた。
要はこの『エンドゲーム』まででやりたかったことって大いなる世代交代でしょ?タイムトラベルパートのあれこれで、旧世代ヒーロー達(アベンジャーズ)がもうこの先立ち行かないのが示唆されていたし、幕引き前に落とし前だけはつけんとなぁというモチベーションがアベンジャーズを駆動させている。それをやるために20作以上も使うかぁ?という疑念は晴れないが。

指パッチンでサノスたちを葬り去る役目をスタークにさせるのは妥当なところだと思う。彼は宇宙規模にまで拡大した世界観についていけないし、敵の思想に寛大な人間でもない。
敵を殲滅して、自分の守れる範囲のものを守る。そのために犠牲にできる最後のリソースは自分の命で、ストレンジに提示された「運命」を受け入れることですら合理的に判断したんだと思う。だから勝ったはいいもののその結論にヒーローとしての正当性はない。あくまでサノスと同じ論理の上で「不必要な害悪」をパージしただけだから。

スタークが義務的な「落とし前」をつけたのとは対照的に、ソーとキャップの責任放棄っぷりがすごい。
ソーは今さら「自分探し」みたいなことを言い出して宇宙へ逃避した。
キャップにいたっては、ストーンを元の時代に戻す道すがらで急に方針転換してかつての恋人と第二の人生を歩んでしまう。
え?おかしくね?
このタイムトラベルって、別の時間軸に飛ぶやつだよね。だからその時間軸上のオリジナルのキャップがいて、お前は別の時間軸から飛んできただけだよね?しかも、時系列的に別次元キャップは氷付けになってるんじゃね?
その上で別次元の自分の彼女を寝取るのか…時空間セルフNTR…。
NTR愛好家として、ポップなものからウェットなもの、奇をてらったものまでいろんなパターンを網羅してたつもりだったけど(MTSP先生のご健在を祈ります)、これは意表を突かれたな…。

締めくくりの作品で最後の感想がこれでいいのか?

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

だんだん可愛くなってきたトムホピーターの、ティーンズヒーロー物語in修学旅行。

MJもネッドも指パッチンされてたんか(笑)。抜かりねぇ~。

このMJオタクチューニングされすぎだろ。
ピーターの正体に自力で気付いてしかも共犯者を買って出てくれる。
サイドキックのネッド同様に、ピーターをサポートするチームの一員としてズバズバと事態に介入していく。
サムスパとアメスパのヒロインズのように敵に人質に取られたり、都合よくピンチに陥ったりしないのは非常に好ましい(サムライミ版のMJが嫌いなだけ)。

ヴィランの出自がまーたスタークへの怨み辛みで、死んでからも迷惑かけるのはすごいと思う。

ミステリオ、こいつなんか怪しいなぁと思ってたんだけど、中盤までの物語展開がうまくて「あー普通に協力者か」となってからのネタバラシでやっぱりヴィランでしたー展開にはすっかり騙された。原作コミック知らないことによる驚きでしかないかもだけど。

ドローン兵器とホログラム技術で架空の敵と架空のヒーローを現実空間に顕現させ、その異形バトルに人々はすっかり騙される。

「マヌケな衣装を脱がしてくれ」

「マント姿で空を飛びレーザーを放たないと誰も信用してくれない」

なんだかんだ言って、MCUシリーズの世界観に乗っかってきた観客たる僕にこのセリフは普通に刺さった。とんでもバトルに慣れすぎて感覚が麻痺ってしまっている。とはいえ、ミステリオの技術もまた多分にフィクショナルなものだが。

こういう自己言及的な要素を持ってきたら、もうやることはメタフィクションしかない。
その骨子となるであろう「マルチバース」なる便利概念があからさまに言及され、次作に向けてのアップを開始しているのをひしひしと感じる。

ラストの展開はいかにもな現代風刺。「ポストトゥルース」ってやつ?
しかも次作の展開は一切決めずに、このオチを持ってきたらしい。
それであの『ノー・ウェイ・ホーム』になったってマジ?
天才じゃん…。


『28日後…』&『28週後…』

『28日後』

MCU疲れを癒すためにサクッと流せる映画を見ようと、前々から気になってた「走るゾンビ」モノ。
バイオハザードではあるが死体が動く訳ではないので、正確にはゾンビではないけども、全力疾走してくる理性を無くした暴徒達の不気味さはその辺のゾンビものより良い。
そういえば『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』の大胆なリメイクとして走るゾンビを採用していたけども、この『28日後…』の体を振り回しながら異常な姿勢で走ってくるゾンビに着想を得たんだろうか。全体としてめっちゃ低予算感が伝わってくるけども、チープな画面が逆にドキュメンタリータッチに映って、手ブレのカメラワークと、矢継ぎ早なカットで「事態に巻き込まれた」という逼迫感が演出されている。
明らかに背景の合成感が出まくっているカットがあって、グリーンバック見え見えの画面にちょっと気が抜けてしまうが、むしろそれが低予算映画特有の愛嬌に感じる。

ただやはりこういうパニック映画にありがちな、アホな行動をとるキャラのせいで無理矢理ピンチに持っていく展開にどうしてもイライラしてしまう。切迫した状況が発生してそれに踊らされるようにキャラを動かせないもんかね。こういう「キャラ先行型」の構成って、パニックという「状況」を主眼に置いた映画に合わないんじゃなかろうか。

突如として状況が始まり、それが過ぎ去るまでとにかく翻弄されるしかないのが「パニック」の醍醐味だよなぁ。その点では『クローバーフィールド』は滅茶苦茶上手くやった映画だと思う。

ひょろひょろ主人公が突如覚醒して何もかもを解決する終盤は、だいぶ置いてけぼりを食らったけれど、そこで満を持してかかるこの映画のメインテーマがメチャクチャ良い。
ぶっちゃけどこかで又聴きしたこの曲を聴くために見ていた節があったけど、いつまで経ってもかからないから、もしかして違う映画だったっけ?と思いかけたところにぶち食らったので、主人公の破壊的行動のカタルシスと相まってすごいテンションが上がった。

緊迫と不安に背中を撫でくりまわされる名曲


『28週後…』

前作ヒットを受けて同じネタ擦ったら儲かるやろと思って失速してしまった典型的な続編映画。
アンブレラ社みたいな街ごと丸焼き作戦で規模感が出ると思ったのか。
もうのっけから展開に無理がありすぎる。あのガキ共のひょんな家出から世界滅亡ってか?

『28日後…』の良かったところを全てつぶして、ミラジョボ実写版『バイオハザード2』以降のタイトルだけを借りた何かになってしまった。

以上感想終わり。

感想した感想ですが。
長い!!思い出しながらだから、まとまりがない!!
言語化、文章化が下手!!






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