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本当にいまさら2022年コンテンツ振り返り

もう2023年が明けて2024年なのに本当に今更である。
こういうのを先延ばしにすることにはなんも罪悪感抱かなくなった。

2022年に触れたコンテンツの媒体ごとに振り返るやつ。なぜ2022年かというと、自分のなかでコンテンツへの向き合い方がかなり変わった年だから。2023年はその延長に過ぎない。



アニメ


めちゃくちゃ当たりハズレの大きい年だった。
アニメ見るのがだんだん億劫になってきたところに、期待していた作品が芳しくなかったため、余計にモチベーションを欠くこととなってしまった。

ハズレの筆頭格は『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 』
もうこれに尽きる。本当に残念な気持ち。


若干深夜アニメアンチだった当時中1の俺 (『まどマギ』見てないのに嫌いだった。萌えアンチだった) をがっつり深夜アニメの世界に引き込んだ、思い入れで言えば確実に1位の座をぶん獲る作品が、一応新編という体で出されたのにあんなに既定路線をなぞるような終わり方をしてしまい、かなりの脱力感に見舞われてしまった。制作クラファンが立ち上がったときには即効で支援したこともあって、期待値に拍車がかかりまくっていて、そこに急ブレーキをかけられ身体を投げ出された気分。

深夜 (萌え) アニメアンチだった理由は大まかに二つ。

平成中期に生まれた田舎キッズにありがちだったと思うんですけど、ケーブテレビでアニマックス、キッズステーション、カートゥーンネットワークで数世代前のアニメ、例えば『ルパン三世(par2)』、『ドラゴンボール (Z、GT)』、『らんま 1/2』…etc (その中には直近の深夜アニメの再放送も含まれていたがそんな区分を知らない) とかを学校から帰って夕方から就寝にかけて見る習慣がついてたせいで、リアルタイムに体感した深夜アニメのノリが分からないみたいな状態になったんですよね。

地上波も夕方アニメ枠が充実してましたし(ジャンプ系)、普通にテレビっ子でバラエティ番組ガンガン見てたからマジで深夜アニメと縁がなかった。


後もう一つは、3.11の震災のときの放送中止ラッシュ。

ACの例のCMにめちゃくちゃうんざりしていたのは事実ですが、同級生のオタク女子が「アニメ見れんのまじだるぅ」といった愚痴をこぼしているのを聴いて、当時めっちゃモラリストかつ同郷の連中大嫌いだった俺は、こんな大災害で社会が混乱に陥ってる時ですらアニメにうつつを抜かしやがって…と謎の義憤心に駆られ、当時延期になったアニメの中でも筆頭格だった『まどマギ』のビジュアルが「萌え」だったことから、深夜アニメ=萌えの図式が雑に成立。
そういったビジュアルのアニメ全般を嫌悪するに至ったわけです (その後すぐに『ピンドラ』が放映されるのでアレルギーはあっさり克服される)。


「深夜アニメ」という区分を知った中学生のときに、あとからあれは深夜アニメだったのか!と気付いた作品が結構多い。
アニマックスで深夜アニメとは知らずに見ていて、あとからそれに区分されると知った作品で筆頭格にあったのが『攻殻機動隊S.A.C』『桜蘭高校ホスト部』

この2作は深夜アニメの原体験といって良いのかもしれないが、『ドラゴンボール』とかとは毛色が違うなくらいの認識だった。小2くらいの俺はこの2作を食い入るように見ていて、父親がそんな俺を見て録画してくれたのもあってとにかくリピートしまくっていた。
そしてこの2作がのちのち自分の深夜アニメの嗜好に根を張っていることに気付くわけですね。

『S.A.C.シリーズ』からは衒学的なセリフ回しや記号を用いた演出 (笑い男のピクトグラム) と草薙素子 (S.A.C.少佐がなんだかんだ一番好き)、『桜蘭高校ホスト部』からは少女漫画的な恋愛観とシュールギャグ演出。深夜アニメなるものを認知した中学生の自分にとって、それらの要素を兼ね備えたのが『輪るピングドラム』だったわけです (少佐はいませんけど) 。なんなら『ホスト部』の方はイクニフォロワーみたいなところあるしハマって当然だったとも言える。

とはいえ、俺は今でも「一番好きな深夜アニメは?」と聞かれたら「『輪るピングドラム』です!!」と答えるし、テレビシリーズの完成度がこの劇場版で損なわれるとは思わない。人に勧めるときは「テレビシリーズだけでいいよ」って言うと思うけど。

では、当たりの筆頭格といったらもちろん『ぼっち・ざ・ろっく!』ですねぇ!!これ正直めっちゃコケると思ってました。
というか『ピンドラ』の落胆が尾を引いてて(あと『チェンソーマン』も)、これもどうせ萎み気味になって終わるんかなって思ったら、めちゃくちゃ気合いと遊び心に満ちていて、わっはっはと元気になれるアニメで大変良かった。

感想もドバドバ出てしまった。もうテレビアニメで続編を心待ちにしてるのこれだけ。

次点では『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』がめっちゃ良かった。アニメーションの手つき、背景、色彩、はぼざろを超えて好き(主力スタッフが共通してるから似たようなもんだけど)。

2022年はアニメの見方を意識的に変えていこうと努めた。
映像重視の見方を心がけ、アニメを含む映像の演出についても積極的に調べるようになった (富野由悠季の映像の原則と、見てもいないパト2のレイアウト集を買った)。

端的にストーリーへの関心がだんだんと薄れてきたこともあるが、やっぱピングドラムのショックがでかい。これを機に、結末に納得できるか否か、テーマに共感できるか否かの視点で見ていくと、どんどんと見る幅が狭まって退屈になっていく恐れがあると思い、シンプルに画面に表れている情報に関心を持とうと意識している。

2023年もこれを継続しており、こちらでもその辺りをちょっと触れている。

アニメの見方がだんだん変わってきて、以前はストーリーの描かれ方、結末に納得できるかどうか?みたいなところに重きを置いていたんだけど、最近は

まず映像として見ていて飽きないか(作画よりは画面全体の演出と設計、色彩が好みかどうか)

が先に来て、次に

キャラクターの演技と作劇に不自然さはないか (このキャラはこんな行動をするのか、意図が成立しているのか的な部分)

そして最後に

これってこんなお話だったよね (振り返りまとめ)

チャンチャン♪ってなったらOKみたいな基準でアニメを見るようになってきた。

https://note.com/6__21/n/naa95396d0e8a

まだまだ身になっていないし分からないことだらけだ。
もっと映像の文法を理解して「あれはこれのメタファーで」とか「このシーンは作者のこういう意識が反映されていて」みたいな隠喩当てゲームじゃなくて、シンプルな映像の快感を探り当てられるような見方を身につけたい。



映画


映画そこそこ見ました。

『押井守の映画50年50本』という、押井が分かるような分からんようなことを、グダグダとインタビュー形式で垂れ流す本で紹介された映画を何本か見たり、最近のヒット作で見てなかったやつを見たりした。

全部で何本見たかは覚えてないけど、いくつか見た記録をメモってたのでその分だけ振り返ろうと思う。

こちらが残っていたメモ。

2022見た映画

5月
サラマンダー
ハプニング
アナザーラウンド
インセプション
テネット
デューン


7月
ラストタンゴインパリ
ブルーベルベット
帰ってきたヒトラー
三島由紀夫vs東大全共闘
ノーウェイホーム

8月
ワイルドバンチ


9月
ライアンの娘
ワンスアポンアタイム
ウォッチメン
プレデターザプレイ

すっごい新しいのと古いのを行ったり来たりしてるなぁ。


『サラマンダー』

これ小学生のときにレンタルで見たやつだったんだけど、本で押井がめっちゃ褒めててびっくり。

アバンのドラゴンのCGで全てを使い果たしたっぽく、途端にチープになる画面。
核兵器で滅ぼせなかったのに、原始的な武器で殺せるドラゴン。
ツッコミどころ満載なのにドラゴンのデザインはめちゃくちゃかっこいいのがなんか悔しい (そこ押井が褒めてた)。


『ハプニング』

『バードボックス』ってこれと何が違うん?って感じ。


『アナザーラウンド』

原題は『Druk』。
アルコールを摂取した方が仕事のパフォーマンスが上がるという仮説を立証しよう!なんて口実のもと、昼間っから酒をこっそり飲む話 (もちろんこっそりじゃなくなる)。

デンマーク映画はトリアーの『ドッグヴィル』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』しか見てないけど、間の取り方とか撮影の毛色がめちゃくちゃ似てる。
コメディ映画なんだけど、ハリウッドのそれとは違う独特のセンスが癖になる。

とにかく画面がオレンジがかっている。暖色の映画。
デンマークの家々の壁もオレンジだし、夕方のシーンも多い。

マッツ・ミケルセンのダメ親父演技いいっすね…。
なんかデンマークって幸福度ランキング2位の国とかしばしば言われてるけど、この映画見てるとめっちゃ中年の鬱深刻やんけって思っちゃった。やっぱああいう胡乱なランキングは話半分に聞くべきやね。


『インセプション』&『テネット』

ノーラン二本立て。
やっぱ『ダークナイト』と『ダンケルク』だけかも、ノーランでバチっと面白かったの。

なんかあれだね、ノーランって思いつきのアイデアを映像で表現したいってのが最優先で、別にキャラとか作劇にはこれっぽっちも興味ないのかも知らんね。キャラクターがただの舞台装置になってて、観客に一切感情移入させる気ないんよね。 まぁそれはいいんだけども、なんか思い出したように取ってつけたメロドラマを始めるせいでちぐはぐになる。そんな中途半端なことするなら、一切のドラマを排除して映像の力だけで突っ切ったらいいのにって思った。


『デューン』

ヴィルヌーヴの新しい方(リンチ版は見てない)。
『スターウォーズ』×『ゲド戦記』かな?
あと『風の谷のナウシカ』の元ネタみたいなモチーフがめちゃくちゃ出てくる。押井がナウシカに対して「デューンじゃん」って言った意味がわかった (鈴木敏夫が『アバター』に対して「もののけ姫じゃん」って言ったのに当て付けた発言)。


『ラストタンゴ・イン・パリ』

押井本チョイス。
掴みどころがない映画。で、だからなに?って感じ。性欲と破滅みたいなのをひたすらじわーって撮るだけで、そういうのが好きな人には向いてるんだろうなって感じ。

音楽を入れるタイミングには押井の言う通りギョッとした。

押井  この映画に関してもう1つ付け加えるならば、音楽の使いかた。映画音楽はいつも意識して見るんだけど、「あっ、こういう使いかたがあるんだ」とショックをおぼえた。当時いちばん斬新だった。

──ガトー・バルビエリのサックスですね。

押井  そう。突然なるんだよ。マリア・シュナイダーが道を歩いていると、突然入る。要するに劇の盛り上がりとまるっきりシンクロしていない。しかも肝心なところは音楽がなかったりする。スゴい使いかただなと感動した。

(中略)

…「実写とは根本的に違いますから」と諭された。アニメーションの音楽は「補完的」にしか使いようがないんだって。本当かなと思って、何度も試したんだけど、たしかにあまりうまくいかない。やっぱり心理線に沿って音楽を入れるのがいちばん効果がある。でもベルトルッチの映画は、特にこの映画なんだけど、出会い頭なんだよね。いきなり一発かまされた。

押井守の映画50年50本

マジで突然、「いま!?」みたいなタイミングでサックスが入る。
たしかに登場人物の行動や動機に全くリンクしていないので、面食らうのは間違いない。異化効果の一種なのかもしれない。


『ブルーベルベット』

これも押井本チョイス。
結構楽しく見れた。真昼の狂気。
撮りたいものだけ撮ってんだろうなって感じ。


『帰ってきたヒトラー』

タイトル通りのポリティカルコメディ。
半分ドキュメンタリー形式になっていて、ヒトラーそっくりにメイクを施された俳優が、実際にドイツ各地に赴き一般市民にインタビューするという撮影を敢行している。対象は屋台のおばちゃんから極右政党の拠点に至るまでなかなか幅広い (俳優の背がめっちゃ高いから本物より威圧感出てる)。

要はヒトラーの恐ろしさとか、排外主義とかポピュリズムの台頭に対しての警鐘を、風刺的に描いているわけだが、なんかふつーに市民達が「おもろいことやってるやんけ」ってテンションでいるのが興味深い (ガチギレしてる人ももちろんいるし、そういう人がいると安心するとインタビューで俳優は答えていた)。極右団体のヤバそうな連中とか、ゴリゴリの優生思想持ち (白人の方がIQ高いって言ってるやつ) とかにもインタビューしててかなりヒヤヒヤした。

ドラマの方はコメディの体裁からどんどんやべぇ方向にシフトしていって「誰しも心にヒトラーがいるのだ…」みたいなオチになる。なんかこの辺は自己批判的になればそれでいいのか?みたいな安直さがある。

それに現在のドイツは反ユダヤ主義アレルギーが強すぎる弊害が出ちゃってるので、この映画を今見ると見方がだいぶ変わりそう。


『三島由紀夫vs東大全共闘』

こっちはドキュメンタリー。
三島は読んでないし、学生運動のことも全然知らん。

なんていうか、インテリたちの内輪ノリをずっと見せられてる感がすごい。
哲学的な用語とか造語をだーっと捲し立ててるだけで、本当にこの人らの間で会話は成立してんのか?ってずっと思いながら見ていた。ここに参加してた人らがアニメ業界に参入してガンダムが生まれ、のちにエヴァにつながっていくことを考えると、あの作風もむべなるかな。

全共闘側の1人が「観念界のお遊びなんだよ!」って言った時点でこの話おしまいでは?と思ったんだが、やっぱ頭いい人にとっては違うんでしょうな。

これスッゲェ悪口なんですけど、ボンボンのエリートがなんかレジスタンスぶってんのムカつきません?当時の進学率からしても彼らは大学に行く余裕のある人らで、全然市民感覚からは乖離してるような立場なのに、自分らは虐げられてるみたいな感じで、でも結局のところ自分らを包摂してくれる講堂に立てこもっちゃっててさぁ。
もういっそのことキャンパスごと東大ぶっ壊しちゃえばよかったじゃんと、高卒ブルーカラーは思いますね。

三島さんはなんか、哀しい人ね…って感じで愛嬌があった (そらモテるわ)。でも三島こそあの中では突出したエリートで、そういう自覚もあったんだろうけど、やっぱり大衆からは拒絶されるしかなかったんやねって感じ(瀬戸内寂聴のインタビューがあるんだけど、完全に三島の追っかけで笑った。真面目な話の最中にオタクを出すな)。

でも、今のネット上に蔓延る相手を全否定することだけが目的のレスバじゃなくて、ちゃんと相手の話を正面切って受け止めてるあの空間は心地いいものなんだろうとは思った。三島がちょいちょい「骨のあるやつだな」って感じでニヤッとするのが印象深い。
芥正彦 (すっごいキレ者らしい人) が三島のタバコに火をつけるとことか、なんかくっせぇことしてんなって感じだったけど、めっちゃ楽しそうだった。
まぁこういうのをホモソーシャルつって批判されるんだろうけどね (内輪で通じる論理を反復して外部を見下してる集団は俺も嫌い)。


『スパイダーマン:ノーウェイホーム』

2022年のベストムービーだし、MCU最高傑作です。

これ書いてからずーっと感想放置してたからやっと書ける。

端的に言ってこれを超えるMCUはもう出ません。あとは続けるためだけのシリーズです。ヒーローのバトン、MCUのサーガはトムホランドスパイディに継承されました。なのでもうMCUはこれ以降見てません (ぶっちゃけめんどくさいし、飽きた)。

もう見たあと、グリーンゴブリンがさぁ!!オクトパスがさぁ!!アメイジングの成仏がさぁ!!「大いなる力には大いなる責任が伴う」がさぁ!!!!ってずーっとキャッキャしてました。


『ワイルドバンチ』

押井本チョイス。
マッチョイズムに生き滅びていく男たちの話。

暴力描写が思想にまで高まっている。ペキンパーの人間というモノに対するビジョンというか、人間観というべきかな。暴力の描写だけでそこまで踏み込んだ映画を初めて見た。ペキンパー映画の暴力は、何かのための暴力ではない。語りたいストーリーに付随する暴力ではなく、暴力それ自体がテーマであり、暴力こそが表現であり、ペキンパーの本質。

押井守の映画50年50本

なるほど確かに、銃撃戦に並々ならぬロマンチシズムを感じた。
「バーン!」「やられたぁ〜〜!」をねっちりしつこくこれでもかと撮る。
アクション映画ではなく暴力映画とはもっともだ。

映画の終わりに一抹の寂しさが残るのも印象的。やってることはゴロツキどもの殺し合いなのに、全体通してセンチメンタルな映画だった。


『ライアンの娘』

押井本チョイス。
わぁー、劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の景色だぁー!
でも内容は痴情のもつれだぁ…。


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』

押井本チョイス。
きったねぇ親父どもの西部劇。土と埃の匂いがこっちに伝わってくるレベル。
冒頭の汽車が到着するシーンの撮り方がめちゃくちゃカッコよくて、逆にいうとそこ以外あんまり覚えていない。


『ウォッチメン』

MCUが『エンドゲーム』まで20数作かけて描いたテーマを、たった1本に凝縮させてみせた完全上位互換映画。見終わった後にMCUを見た意味とは…とちょっと複雑な気持ちになった。


『プレデター:ザ・プレイ』

『プレデター』『プレデター2』以来となる真っ当に面白いプレデター。
焦点を当てるキャラクターを絞り、ロケーション選びを練り、余計なものを削ぎ落としたシンプルなプレデターを登場させる。
大作化してゴテゴテになってしまったシリーズを一気に引き締めて、エイリアン映画の金字塔の威風を再び吹かせることになった。


映画は押井守の映画評を参考に、いろいろ見るように意識した。
押井守、作るもんはやたら衒学的なくせに、見る側の時はすごく端的で分かりやすい評をするから面白い。押井作品に文句を言うような人がする評を、押井自身が映画に対してやっている時がある。
本人はエンタメ作家を自認しているらしい。

──じゃあ、押井さんは作家じゃないつもりなんですね?私たちから見ると作家性の強い監督というイメージなんですけど。

押井  勘違いです。

──もしかして自分はエンタテイナーだと思ってる?

押井  もちろん。娯楽映画を作るという意味じゃなく、商業主義のエンタテイナーという意味だよ。デヴィッド・リンチは僕に言わせれば商業主義の監督で、ヴィム・ヴェンダースは作家主義です。

──はあ……。

誰も語らなかったジブリを語ろう

なんじゃこいつ…って思ったけど、押井の評はシンプルで感覚的にストンと落ちることが多い (抽象的すぎて訳分からんときもある)。たまに私怨が混ざってたりするがそれを包み隠さない (隠せていない) ので、話半分で流して良いところの見分けもつきやすい。

なんか賢い人の映画評とか読んでると、感覚的なものを無理矢理言語化しようとして、本人の中では結論ありきなんだろうけど、自己完結的でふわふわして分かりづらい文章が延々続く時があって、映画の話どこ行っちゃったの?と思うことがあるが、押井は伊達に監督をやっていないから、やっぱりスパッとその映像の意図するところを言語化するし、いちいち勿体ぶって話さない。それを作風にも反映してくれよって感じだ。



ゲーム


2022年はSwitchを購入したこともあって中学生以来にゲームにハマることとなった。

これまでのゲーム体験でいうと、小学生のころは親世代のゲーム機とリアルタイムで発売されたゲーム機が混在した状態で遊んでいたのが記憶にこびりついている。

親世代機だと64で『スターフォックス64』。

スーファミで『す〜ぱ〜ぷよぷよ通リミックス』、『スーパードンキーコング』、『ストリートファイター2』。

ドリキャスで『GUILTY GEAR X』(ドリキャスでやれるのこれしかないはずだから多分これ)。

プレステ2で『バイオハザード (無印)』。

リアルタイム機は初代DSで『スーパーマリオ64DS』
『ポケモン パール』『同 プラチナ』『同 ブラック』『同 ホワイト2』
『メトロイドプライムハンターズ』、『スターフォックス コマンド』、
『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー』。

そしてWiiで『スマブラX』、『ラストストーリー』、『メトロイド Other M』、『モンスターハンター3(トライ)』、『ドランゴンボールZ スパーキングメテオ』。

他にも数タイトルあったと思うけど、個人的に強く記憶にあるのはこれくらい (友達に借りたソフトとかも含めたらもうちょっとあるはず)。
別にどのタイトルもめちゃくちゃやり込んだわけでもなく、すぐ飽きたものもあるし、全クリしたものは数えるくらいだと思う。まぁ全くゲーマーではなく、人並みかそれ以下のゲーム体験だ。高校に上がってからはコンシューマーゲームに一切触れなくなった。

そして一昨年くらいに昔から興味はあったけどやらなかったゲームやってみるか…と、メルカリでPS3と『METAL GEAR SOLID THE LEGACY COLLECTION』を購入。
MGS3と4とPWをやったら、なんか任天堂のゲームもやってみたいなと思い立ち、ちょうどいいタイミングでSwitchの有機ELモデルが発売。渡に船とそいつを購入し、とりあえずど定番をやろう!と選んだのが

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』


………………、

…見事にハマりましたねぇ!!!!!

もうほとんどの時間をこいつに奪われ、その他の娯楽 (特にアニメ) にまったく手が割けなくなった。

実はブレワイの前に『ゼルダ無双 厄災の黙示録』をプレイしてしまって (なんかスカッとできるやつがやりたかった)、こいつがまさかのブレワイのIFストーリーだということに気づいた時には、ブレワイのネタバレをそこそこ喰らった状態になってしまっていた (本当に何も知らなかったんです。許してくれ…)。

やくもくのストーリー進行中
    ↓
「え?これってブレワイの100年前の話なの?」
    ↓
「ブレワイ時空では英傑たち死んでるの!?!?」
    ↓
「じゃあミファーちゃんは…」

恐る恐るブレワイ開始
    ↓
「ハイラル滅びとるやんけ…!!!」
    ↓
ブレワイストーリー進行中
    ↓
「みふぁあああああああああああああ!!!!!!!!」

まぁそういう悲しい事件を抜きにしても、ブレワイのゲーム性は本当に素晴らしくて、初のオープンワールドゲームがこれで本当に良かったと思う。
また個別で感想を書きたい (どうせまた先延ばしにする)。

その後、ブレワイに特に縁のある過去シリーズをプレイした。
『時のオカリナ』、『ムジュラの仮面』、『トワイライトプリンセス』、『スカイウォードソード』。これらをやった上でブレワイをマスターモードでもう2周して、プレイ時間は600時間を超えた。

そんな感じでティアキン発売を待ち構えたのであった (ティアキンも最高でした)。




Kizuna AI The Last Live "hello, world 2022"


俺の中でVtuberに対する期待や諦念その他諸々への一つの楔はここで打たれたと思う。

今やすっかり属人的なコンテンツがその主導権を握っているVtuber。
その黎明、発展、そして急激な変化を初期からリアルタイムで追ってきた身としては、『キズナアイ』の活動休止は心を持ち崩しそうな衝撃があった。

2016年の活動開始時には単なるアニメ企画みたいなものだと思ってあまり関心は抱かなかった。
しかし2017年、電脳少女シロ (ばあちゃるもね)、ミライアカリプロジェクト、ねこます、輝夜月…と後続の存在 (四天王と括られる面々) が現れた時、このコンテンツの可能性に胸が躍った。

2018年から、個人勢、そしてにじさんじを筆頭としたグループ企画の参入でよりカオスになったフィールドには、発信の場を求めていたクリエイターが好き勝手に遊ぶ豊かな土壌があった…そう思えていたのもほんの少しの間だけ。結果としては非常に属人的なタレントコンテンツへと変貌してしまった。
大手企業の歪な産業形態が寡占状態となり、クリエイティブな活動が主流となることは無くなってしまった。

正直、望んでいた発展には至らなかったことに少し落胆している。
しかし、それが過去に縋るノスタルジーに変貌し、ひたすら現状を嘆くだけの懐古主義者にはなりたくはない。これは本心からの思いだ。

とか言いつつ、チャンネル登録欄に目をやればキズナアイはもちろんのこと、2017年、2018年初期からしぶとく生き残り続けている小規模企業や個人勢がズラリと並び、全然ノスタルジーを捨てきれていないのがわかる。

もちろん彼らは決してノスタルジックな存在などではなく、今現在も変化の渦の中で踏ん張って活動している。それを簡単に懐古的な象徴に閉じ込めてしまうことのなんと浅はかで横暴なことか。

今でも追っているVtuberはいる。ただやはり2019年以降から登場した者はほとんどチェックしていない。彼らは見る間にこの世界を去っていく。寂しさばかりが積み上がっていく。
そしてついこの間、ミライアカリがいなくなった。また寂しくなっていく。

たまに目立つ動向だけをみて賢しらに全体像を語る者を見て、「どうせにじホロとその他競合他社の動きしか見てねぇんだろ…」と舌打ちをこぼしたくなる時はある。でもその語り草だって事実なんだから仕方ない。

俺にも言いたいことはある。でもそれを吐き出すと確実にただマウントをとりたいだけの老害になる。そういうやつらからの抑圧が本当に嫌いだから、そちら側に行ってしまいかねないように踏みとどまっている。

↑老害性の発露

暗い話はそろそろやめて、現状追っているコンテンツの話をしよう。

今、もっとも期待を込めて応援しているのは、ぽんぽことピーナッツくんだ。
彼らは本当にすごい。個人勢の星だと思う。

大手企業がビジネスのフレームをどんどんと広げていくのに対して、彼らは動画投稿主体に切り替わってからずーっと草の根を張り続け、いまやホームタウン的なゆるいローカリズムを体現している。VRChatとの連携によって生み出された、遊びに来られるプラットフォームの設立 (ぽこピーランド) もその大きな一助になっている。
 
ピーナッツくんの音楽活動との相乗効果も良い影響を各所にあたえていると思う。
俺が期待していた形のインタラクティビティを備えたVTuberの完成形の一つになりつつある。あの頃からの芽はずっと生き続け、いま花開こうとしている。必要以上に悲観することはないのだ。
ぽんぽこ24はずっと続けてほしい。

MonstarZ MATEも応援している。
あの空間はしぶとく生き残った個人勢の憩いの場として機能しているように思う。
俺は彼らにこの世界を去ってほしくない。コーサカのトークは仕事中のラジオがわりにめちゃくちゃ助かっている。

にじさんじは月ノ美兎中心に1、2期生を時折チェックする。
社築もよく見る。そうだ、サロメ嬢はかなり良いと思う。最近のものも受け入れられたことにちょっと安心した。

ホロライブはもうずいぶん前から見ていない。
多分2019年あたりからだろうか。あの頃から企業、個人、問わず見切りをつけた者は多い。

最後にどうでも良い余談だが、atahuta先生がたまーに2017or18年組のイラストを描いてたりするとちょっと安心する (描く相手ブロックするの偉い。いや偉いか?)。
2017年ごろからコメント欄にちょいちょい出現してたのは知ってる (主にミライアカリ) ので、今でもその頃の面々に関心がある絵師がいると嬉しい (だいたいにじホロメインであっても)。

以上2022年の振り返り終わり。

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