アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』5〜8話 感想
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最終話までの感想はこちら
年が明けてんじゃん。
この記事に着手したのが11月23日。なんぼ仕事が詰め詰めだったにしても遅筆がすぎる。バカか?
他作品とまとめて書きたかったけど、単体ですごく長くなりそうだから感想だけ別枠で。原作古参読者なので (マウント) 原作との比較ネタバレ、あと若干の下ネタを含みます。
5話
オーディションのシーン凄すぎでしょ。
俺の知ってる『ぼっち・ざ・ろっく!』じゃないが。
これはあれだ、結成当時からコミックバンド路線で全国の箱を行脚しつつ、確かな実力とネタ曲の組み合わせでインディーズにしてはちょっと名の知れたレベルの人気を誇り、その勢いでメジャーに行って内輪ノリのコミックバンドなのにwww的なネタ込みで海外でのアルバム制作を決行したら、向こうの風土と音楽性、現地ミュージシャンとのセッションを通じてゴリゴリに影響され、バチボコのハイファイサウンドとテクニカルミュージックを引っ提げて帰ってきたバンドみたいなやつだ。
例えが周りくどい!!!
なんかないか、身近な例えは。
うーんと…『orbital period』(2008) 出した時ぐらいのBUMP OF CHICKENか?(2014年あたりから僕の邦ロックの時は止まっている)。
演奏シーンぶち上がりすぎて、画面の前でスタンディングオベーションしました。
あれ?これ『ぼっち・ざ・ろっく!』か?と我に帰った頃にダムシーンで腹よじれて、もう頭ん中ぐっちゃぐちゃでしたわ。
てか『ギターと孤独と蒼い惑星』って、原作ではセリフでしかなかった曲にちゃんと歌詞と曲つけてくれたんか!!!
このシーンどうすんのかなぁと思ってたけど、めっちゃ膨らませてキャラクターの補完もやって、演奏シーンの動きも画も良くて、なんすかこの気合いの入りようは。
ちょっとやばすぎたんで、演奏シーンの感想から行かせてもらう。
楽器の演奏は4話までぼっちちゃんメインだったけど、ここでいよいよ喜多ちゃんも加えた結束バンドのがっつり演奏だから余計に沁みた。
イントロからまずカッコいい。
曲名的にカッコよさげな入りなんだろうなと思ったけど、めっちゃジャカジャカやるアップテンポな入りで最高すぎた。
ハットで力強いカウント刻むのかっこいいわ。
虹花ちゃんの「けっ⤴︎そくバンドです!」と、うわずった前口上から伝わる緊張がドラミングに反映されている。
ここもさぁ、喜多ちゃんの肩が上がってる必死なストロークが、両隣の経験者との対比で際立ってめっちゃいい。マジで練習がんばった!!!泣きそう。
まだシンコペーションのバッキングに慣れてないし、コードも押さえるのに必死で指板ガン見なのがギターボーカルとしての未熟さなんだけど、そこをちゃんと描いてくれるのがほんとに嬉しい。
まぁ喜多ちゃん2ヶ月くらいで、リズムギターやりながらボーカルできるの凄すぎますが。
いや、さすがにティーンズを舐め過ぎか。2ヶ月もあれば経験者のマンツーマン指導もありとはいえ、真面目に練習すればあっという間よ。弟も俺のギターで見様見真似で弾き語りくらいはすぐできるようになったし (俺の10倍速くマスターしててビビった)。
ここの山田ァの顔、腹立つぅ!!(褒め言葉)
こんなん余裕で弾けますが?つって、開放弦鳴らすときに左手遊ばせてんのほんまベーシスト。
そんで俯きぼっちちゃん。
暗めのリードギターって大体こんなんよね。
てかずっと思ってたけどマジで『Creep』弾いてくれ。
ガゴッ!!!ってやって、きらら界のJonny Greenwoodになってくれ。
そしてボーカル入り出しのここ!!
このカメラワーク良すぎた。
手元から一気にマイク位置までのPANNIG、そして歌いだす喜多ちゃん。
映像の驚きと中音域の強いイケメンボイスのボーカルが俺の脳髄を揺らしてくる。
普段の地声とボーカルで急に声変わるやつ!!!
で、このAメロ一回し目のドラムが超良い。
キックの四つ打ちと、フロアタムの8分刻み (ドラム詳しくないので間違ってたらごめん) のグルーヴがアンサンブルに推進力を与える。若干音割れ気味の強い打音。
原作音楽監修のInstant氏による「バンドの初期音源、音悪いがち (ローファイ気味)」の演出が光る。緊張による力みも感じられてグッド。
いろはすペットボトルの振動と、表面に映り込む4人の姿。
演奏シーンは特に演出が良くて、こういう小物を使って「音」を視覚化するカットを挟むことで臨場感が出まくっている。
箱全体が音で満たされている感じがいい。
Bメロのアルペジオでだんだんと影が落ちるぼっちちゃん。
ここでリズム隊 (ドラム&ベース) が引っ込んで、喜多ちゃんのコードアルペジオと、ぼっちちゃんのハイポジションのアルペジオの絡みがぐっと引き立つ。
決意を固めるときにどんどん俯いていくのがマジでぼっちちゃんなんだわ。「落とす」Bメロとの相性抜群。
指板ガン見喜多ちゃんと、涼しい表情でハモる山田。
ステージライトと緊張で汗が伝い落ちる。
喜多ちゃんは余裕ないので自分の演奏に手一杯なのがここで強調されている。
そして
ここぉーーー!!!!
足ダァンかっこいい!!!
そしてオクターブ奏法をガシガシに弾くぼっちちゃん。
ここ、上手いことがバレたというより、ぼっちちゃんの演奏のノリが変わったことに2人が気づいたんだろうね。控えめに弾くときと、思いきって鳴らす時じゃあやっぱ曲のテイストは変わるし、アップテンポなロックのサビは若干走っても勢い出て良いし。
音源に合わせて宅録ばかりやってたぼっちちゃんが、生身の人間同士でリアルタイムにやるライブの「ノリ」に喰らいつてきたことが経験者2人には伝わるわけだ。
ここのアイコンタクトよ!
ぼっちちゃんがアクセル踏んだことに気づいて、このギターを支えるぞっていうリズム隊の頼もしさ!!ここまでしっかりバンドやるとは思わんやん。マジで泣いた。
そしてこのキメッキメのアングルよ!
特にヘッドからのアングルとかペッテリ・サリオラか?
この演奏シーン、モーションキャプチャーから3Dの下地を作り、それを全て手描きに起こすという、アニメ『宝石の国』とは対照的 (あっちは原画を元に3Dを組んでる) な手法を取っているが、めちゃくちゃヌルヌル動いているわけではなく、むしろ枚数をあまり割かないことで瞬発的なアクションのメリハリを出している。やっぱアニメに落とし込むのがうまい。
作画だけに頼らず、アングルを工夫することで、1分30秒間のともすれば「良くない」ダレ場にもなりかねない演奏シーンがダイナミクスに富んだ映像に仕上がっている。
『宝石の国』メイキングを紹介する海外ニキ。
宝石の国も3Dアニメの極北的傑作なので見ようね!
あととっくに再開してたけど、連載再開嬉しいよ。
全ての楽器が鳴り止んだ瞬間に俺は夜中に立ち上がり、万感の拍手を送っていた (クッソ迷惑)。ありがとう、Clover Works。ありがとう、結束バンド。
なんかもう、最終回の気分だが?
まだ1巻の見せ場はあるのに、もうここで終わっていいやって思っちゃったわ。
ここから日常&ギャグパートの感想。
ど頭のアジサイが季節を告げてますなぁ (放送11月)。
ぼざろの背景を写真の加工とか言ってるやつは『ワンダーエッグ・プライオリティ』を100万回見てくらはい!
ちょっと気になったのはセリフの改変
ここの「楽しく放課後やっとけよ」が、微妙に変わってたのが残念といえば残念。
まさに『けいおん!』のことを名指しするようなセリフで「攻めてんなぁ」と思ってたんだけど、そこまでこだわることでもないな。
そもそもアニメ版はギャグマシマシなんだが (アニオリが多い) 毒は少なめな印象。それはキャラクター造形からしてそうで、特に顕著なのはドラムの虹夏ちゃん。
面倒見のいいキャラクターではあったけど、ここまで「優しい」キャラでも無かった気がする
このコマはアニメ5話では削られたオーディション回の冒頭。虹夏 (と喜多) はこんな感じでぼっちちゃんに辛辣なセリフを投げる役回りだ。ボケにツッコむというより、ギャグマシンとしてバタバタやってるぼっちちゃんを第三者の立場で冷静に評価することが多い。
ボケは山田がやるからそっちにはしっかりツッコむ。
アニメ版の虹夏ちゃんのキャラは2巻の後半くらいから出てくる感じだ。それでも、キャラが固まり切ってない初期の頃から今の連載時点まで毒づくのは一貫している印象だったんだが。あと怒ると口悪くなるキャラ筆頭だし (姉譲り?)。
これをいうと全国の虹夏ファンを敵に回すようで申し訳ないが、1巻あたりの虹夏ちゃんはキャラが弱かった。ぼっちちゃんをバンドに引き込んだキーパーソンではあるけれど、やっぱりギャグ要員たちのキャラが強すぎて埋もれてしまっていた印象がある。
アニメ化するにあたって先の巻数の展開も考慮に入れた1クールのシリーズ構成で、キャラクターを立たせるための肉付けを行ったのだろう。別にそこに不満があるわけではなく、ちょっとギャップがあるというだけだ。
「あれぇ?虹夏って (初期から) こんなバブみあったか?」みたいな。ただ…
演奏シーンに並ぶ5話のハイライトたるこのカット。
ここで確信した。間違いなく狂信的な虹夏ファンがスタッフ陣にいる。
コンテ切った人の方針なのか、作画監督が圧をかけたのかは分からんが自販機前の一連のシーンの気合いの入り用がすごい。Chill outな劇伴にこの丁寧な芝居をぶつける相乗効果は凄まじい。ここも基本3コマ打ち、省略の美。
話が逸れるが、僕はぼざろアニメが放送開始してから毎日PIxivでファンアート巡回をしている(明らかに2022年10月からのファンアートが爆増している。以前は熱心な数人のファンによる作品しかなかった)。驚いたのはぼっちちゃん5枚に対して虹夏ちゃん2枚くらいのペースでファンアートが量産されている点だ。まさかここまで虹夏ちゃん人気が出るとは思わなんだ。原作者もびっくりしていた。
バブみキャラがウケるのは分かってるし、僕も好きな方だが (バブみ年上女性になりたい方向で) キャラの捉え方ってアニメ化でこんなに変わるのか。なまじ原作追っかけてきた身としては驚きを隠せない。
バブみキャラはまぁ慣れてきたとして、なんか最近観測した「虹夏ちゃん彼氏持ち概念」なるものを創造し勝手に脳破壊してるオタクくんたちがキモすぎてドン引きした。
NTR&BSSヘビィユーザーたるこの俺を持ってしても引かせるその狂気、感服致す。ちなみにNTRはパブリックエネミーでいい派です。「お前、才能あるよ」とか言わない。
でも誰にでも優しいあの子に対して、「ひょっとして俺のこと…」からの実は彼氏持ちでした→脳破壊っていうか単に普通の失恋というか (それを言ったらBSSはどうなるんだ…)。
そもそもとして、虹夏ちゃんはその手のシチュエーションにハマるキャラとしてはそこまで完成度高くないんじゃない?(テラスMC信者なので、描かれたら手のひらを返します)
あと喜多ちゃんの「後藤さんちんぽデカいのね〜」のモノマネは流行らすのやめろ (もう手遅れ)。「ブルアカで抜いた生徒を庇うヤンクミ」よろしく、その手のミームが強いのはわかるが。いや、ちょっとこれは神経質になり過ぎか?あんまり作品やキャラクターを神聖視したくないから、どんなに思い入れがあろうとパロディやR-18創作を受け入れる度量は持ち合わせておきたいんだが、今のところぼざろR-18 (主にぼっちちゃん凌辱) に若干の抵抗がある。まずいなこれは…。
いい加減、僕のシコリティ・オブ・ライフの話はよそう。
ギャグの感想。
アニオリゾンビぼっちちゃん、唐突すぎてクソ笑った。
カット跨いだ瞬間に、引きの画で青色の物体が走ってきたからなにが来たんだ!?と思ったらぼっちちゃんだった。
これは原作にもあるけど、3人でキメる画はなかったし、なによりきのこヘアの種類 (?) を統一してるのが地味にツボに入る。
ウィッグ取るのは完全に不意打ちで腹筋が捩れた。
ぼっちちゃんピアスとか怖くて無理なんじゃね…?と思ったが穴を開けないやつもあるらしいのでそれかな。
ダムシーンも良かったんだけど、一番ツボったのはこれ
実体とシンクロするのはズルいって。
喜多ちゃんが真面目な話を切り出すタイミングにこれだから話が全然入ってこなかった。こういうツッコミの入らないかつメタっぽいギャグに滅法弱い。
5話はもう10回くらい見返してるけど、毎回笑うし、今これ書いてる段階でも笑ってる。
5話は特に不意打ちのギャグや小ネタが多い。
やっぱりギャグ作品としては、隙あらばギャグを挟んでほしいし、ドラマに乗っかりすぎないバランス感覚って重要だなと思う。アニメ版はそこを本当に気遣っているというか、ドラマメインの回でも重たくならないように、かつ話が停滞しない程度にギャグを挟んでくるのが非常に好ましい。
6話
あらすじを新規カットで送るの豪華だな。
ところどころ記憶が改竄されている…。
冒頭のサイケ映像は、のちに登場する廣井のバンド (とその元ネタのバンド) がサイケデリックロックやってるからその暗示でしょ。
そして、満を持しての万年金欠酒カス機材損壊ベーシスト登場。
なんか原作より可愛く見えるのムカつくな。
ああ!?
右手の甲のタトゥーがオミットされている!!!!
これあるかないかで「きらら」での廣井の「いかつさ」が変わってくるから、残して欲しかったなぁ。描くのめんどいか。
といっても原作でもあったりなかったりするから、ひょっとしてタトゥーシールなのかもしれない。それでも廣井って頭のネジを外そうと頑張ってる「まともな人」だから (姫野パイセン?) キャラ付けタトゥーをオミットしたら、ほんとにただの酔っぱらいになっちゃうよ。元からか。
しかしアニメーションになると改めてこいつの酒乱ぷりが心配になるな。
酒飲みに囲まれることが多かったから、廣井の酒浸りムーブが生々しい。まじで死ぬぞ肝臓が。無理くり擁護するなら、60sサイケムーブメントにおけるロックスターたちのドラッグブースト状態よりは遥かにマシ?
そしていざ、路上ライブ。
おーなんかがっつりオルタナっぽいギターだなぁ、自作曲のインストかぁ曲名なんだろと、思ってたら『あのバンド』だったとは…。
これも山田の趣味が出まくった曲だなぁ。山田ァ、『カラカラ』で残響系を聴きまくってたのがバレバレだぜ。分かる、高2くらいから「分かってる感」出すためにポストロック聴くよな。でもって、the cabs とかを解散後に知った口なんだよな。頭おかしなる変拍子の爆撃みたいなすけべ丼とクローズドリムショットの静謐さの緩急に痺れるんだよなぁ!(馴れ馴れしい)
ぼっちちゃんは、国内の売れ線を網羅してて基本は邦ロック寄りではあるにしろ、ギタープレイの傾向から70sハードロック (タッピング混ぜるあたりVan Halenぽい) のアプローチが好きそうだから (洋楽好きの後藤父の入れ知恵だろう)、割と泥臭い感じのリックがちょこちょこ出る。山田のアレンジがプレイングにどこまで導線引いているかは分からんけど、16分の連符とかはぼっちちゃんのアイデアっぽい。
個人的にはブルース色の強いロック好きだから、クォーターベンド混ぜたり、3度に半音下からアプローチするフレーズ弾いてほしいぜ。犬の名前ジミヘンなんだしさ (?) そういや犬の名前にするくらいにはジミヘンリスペクトの後藤父はなんでストラト持ってないんだ?単にノリでつけただけか?
そして相変わらずキメキメのアングル。
モーションキャプチャーの強みをフル活用。
改めて演奏聴き返すと、ぼっちちゃんのAメロ〜サビまでの目閉じて演奏は譜面通りに「とりあえず弾いてます」感がすごくて (カッティングのキレのなさよ)、廣井がぐりぐり動くベースラインでなんとか場を持たせてるんだけど、ぼっちちゃんが開眼してから1音1音にニュアンスがついてギターの音がより前に出てくる。それに伴い廣井のベースが後ろに下がってリズム隊に徹する。こういうとこほんと細かい。ちゃんとセッションになってる。
その上でぼっちちゃんのポテンシャルを引き出す廣井の師匠ムーブ。
セッションのうまいミュージシャンって単に自分の演奏で圧倒するだけじゃなくて、相手の良いところも引き出すからかっこいいんだよな。
改めて廣井の音楽センスが化け物じみてることが分かる回だ。そもそも初見の曲で即興で合わせるとか耳が良すぎ。おまけにバチで弾いてんだもんな、変態ベーシストめ。
バチで弾く実例これしか見つからなかったが相当難しそう。なんであんなスタイルになったんだ。
そして満を持してファン1号&2号さんの登場。
それにしてもぼっち、廣井の助太刀もあったにせよ初めてでチケット捌けるのすごい。
僕のライブ経験はほとんど部活 (顧問の手腕) におんぶにだっこだったし、校外でライブの機会があったときも周囲の大人に運よく目をかけてもらってほとんど解決したから、ぼっちみたいに路上とかで草の根活動してるミュージシャンは本当に凄いと思う。
ライブ、コネ以外やったことなし。ぬるま湯がすぎる。でも廣井みたいな人と繋がっておくのってめちゃ大事だから…
それにしてもなんか廣井が原作より「良き先輩バンドマン」っぽくなってるの笑える。でもこいつ、ラストの電車賃どころか冒頭で水とかしじみ汁買ってもらってるから大人としては全然ダメ。そもそも学生にたかるんじゃないよ。
合間に挟まる結束バンドの練習シーンで一個気になったのはこれ。
『あのバンド』のリズムギターを練習する喜多ちゃん。
!?!?
喜多ちゃん、上手くなりすぎでは???
『ギターと孤独と青い惑星』は、コードバッキングが主だったからまだ分かるとして、3ヶ月そこらでこのカッティングは上達速すぎる。
ギターってなんぼ下手くそでも継続しているとあるとき急に「できる!?できるぞ!!」ってなる楽器とはいえ、喜多ちゃんはぼっちちゃんほどギターに全ベットするような生活はしてないでしょ。ブラッシングと空ピッキング混ぜて8分の裏拍2つ鳴らして、次の小節で裏から入って16分のアクセントも混ぜて…とか、そんなバッキングこの短期間でできます?経験者に見てもらってるとはいえ…。
譜面に起こすとこんな感じ。そもそもBPM速いからタイムキープは難しいし、裏泊はアップピッキング (初心者殺し) だし、その上でボーカルまでこなすの超難易度ですが?『けいおん!』の平沢唯も絶対音感持ち&飲み込みクソ速いという天才肌だったけど、喜多ちゃんのポテンシャルは少なくともぼっちちゃん以上にはあるのでは?そのうちリードギターと掛け合いしたり、ソロもとれるようになったらもう無限リスペクトするわ。リードがアンサンブルを支えて、ボーカルがごりごりにソロとるバンドもいるからそっち路線も良いか。いやでもやっぱりソロはぼっちがとって欲しいな。あまりでしゃばらず曲に花を添えるギタリストが好きだけど、ぼっちにはもうゴリゴリに暴れるソロを弾いてほしいぜ。
7話
日常回。
画面は夏真っ盛りな割に俺は毛布にくるまって震えているのだが?(山奥の寒さが片鱗を出し始めるころ)。
この回は原作でもお気に入り。
ぼっちの人外成分が爆発するのと、虹夏&喜多のぼっちちゃんへの対応が砕けてくるきっかけの回だ。
これまではオーディションに路上ライブと、プレイヤーとしての面にフォーカスしてきたが、今回はぼっちちゃんがプライベートな空間にメンバーを招き入れて、その人となりを多少開示するのもあって、バンド活動とは別軸の交流が描かれる割と重要な回…?
原作はテンポよく進むのでこれをどう1話分の尺に膨らませるのかと思ったら…
ここでしっかり間を取るの残酷だろ。
OPでお茶濁したのにまた間を取っての二発目…。
ぼっちの空回りっぷりをこれでもかと誇張する。
やはりアニメ化にあたってぼっちの「コミュ障陰キャ」属性が原作以上にねっちり描かれるのが少々きついところはある。それとのバランスを取ってなのか、虹夏&喜多のリアクションがぼっちちゃんへのフォローをするようなニュアンスに改変されている。しかし結束バンドメンバーが比較的ぼっちに対して柔和な態度に改変されているのに対して、後藤家の面々のナチュラルdisが盛り盛りになってんのなんで!?
ふたりちゃんは辛辣なクソガキポジションだからまだ許容できるけど、後藤両親はいくらなんでも娘の友人の前であれはひどいぜ!?ギャグにあんまなってなくて、シンプルにぼっちちゃんが気の毒だ。後藤家は日常系にありがちな子供溺愛過保護家庭 (故に子供の精神構造に無理解な存在) だったはずなのに、急に的確な攻撃判定を付与されているのが違和感半端ない。
あと後藤さん5歳児に土下座はちょっと引きますよ…。
だせぇ〜〜〜〜〜!のとこよかった。
こんなん着てた記憶あるわ。
ぼっちは自己肯定感は低いけど自己評価は高い (なんだそれ?) ので、自分が「かっこいい」と思うものには素直。1話のギター提げて鏡の前に立った瞬間「かっこいい!」とにこやかになるシーンとかめっちゃ微笑ましい。チープな憧れが原動力になって何事も始まるもので、こういう初心を忘れずに俺もギターを弾いていきたい。
ここびっくりするぐらい可愛くなってる。
こういうのなんていうんだ。甘ロリ?ファッション全くわからん。
改めて思ったが「実は可愛い」系ってなんか主人公っぽくないな。サブキャラがそういうのを担って主人公が驚くみたいなほうが多くない?
ナウシカのパチモンBGMで草。
この辺りから加速度的にぼっちの形象崩壊に拍車がかかり、結束バンドも「ああいつものことね」という態度になっていく。
後々のネタでもあるが結束バンドはそんなに仲良くないというか、基本ディスコミュニケーションが根底にあって、あくまでバンドという機能集団的な連帯はあるけど、プライベートなコミュニケートはことごとく噛み合わない。そもそもバンドでプライベートも仲良し!なんてのが珍しいので、結束バンドはこれでも「仲良い」方の部類には入るが (バンド、格人の才能とプレゼンスが拮抗してない限り独裁になりがちだし、拮抗したらそれはそれで解散の原因)。
ぼっち死亡ギャグ後の喜多ちゃんの「新しいギター探さないとですね」というセリフにもあるように、バンド活動を続けるにあたってのスキルが前提にあっての集まりだから基本パーソナルな関係はめっちゃドライ。そして僕は『ぼっち・ざ・ろっく!』のドライめな人間関係がすごく気に入っている。
話を脱線させるけど音楽 (特にロック) にまつわるフィクションorノンフィクションにおける人間模様ってすごいジメジメしたものになりがちだ。音楽性の違いがどうのから始まり、薬やって廃人とか、売れたら精神病んで自殺とか、拗らせたファンに刺されたとか、いわゆる「音楽に呪われた」的エピソードは虚実問わずもうわんさか出てきて、そういう余分な(あえてこう言わせてもらう)物語に引っ張られて音楽は評価されがちだけど、それは物語/コンテクストに陶酔してるだけで、別に音楽は誰も呪ったりはしない。歌詞偏重的な受容態度もそこに拍車をかけてるような気がして、「もっとシンプルに音を聴けよ音を」(なぁ山田ァ!) と思ってしまう (洋楽やインストに偏る人ってこういう心理じゃない?)。
詩文的な世界観やコンセプトを自覚的に押し出して、ファンがそれに追従するように売り出しているミュージシャンもいるし、僕もそういう受容態度で聴くミュージシャンがいることも否定できないので、双方の共犯関係的な世界観からは脱したくても脱せないのも分かる。
だからこそ『ぼっち・ざ・ろっく!』が4コマギャグを崩さずに基本わちゃわちゃと「音楽」に取り組む姿勢に安心感を覚える。正直もうお腹いっぱいだ。『ソラニン』的な叙情ドラマも、『響け!ユーフォニアム』的な才能の持つ持たざるを巡るスポ根も。好みはあれどそれが音楽の中心軸に据えられてしまって、音楽自体が重苦しいものになってほしくない。
Kurt Cobainがショットガンで頭ぶち抜いたからって、『Smells Like Teen Spirit』を聴いてぶち上がっちゃいけないわけない。いや、Nirvanaは後追い世代の僕にとっては過去のバンドだから抵抗なく聴けるのであって、リアルタイムにリスナーだったLINKIN PARKはChester亡き後の音源を未だに聴けていないから説得力を自分に対していまいち持てないが…。
でも、こういうのに囚われてるのがつくづく嫌になる。
僕は音楽を含むクリエイティブ全般における、芸術だの創造性だのに生活や人生を捧げる/捧げた的なアティチュードがめちゃくちゃ嫌いだ。
ブルースを好んで聴くようになったのもそういう気分を切り離したいからなのかもしれない。生活に根ざした喜びや憂鬱を朗らかに歌う南部の黒人ブルースマンたちの活き活きとした世俗的で肉体的な音楽。特にデルタ・ブルースの3コード、12小節、気分次第で拍もテンポも入れ替わる実にシンプルで生理的な快感原則は、生活と芸術を対置関係に置くような感覚に毒されてなどいない。
あるいは労働者階級からまさしくバンドでのし上がったNoel Gallagherが"Please don't put your life in the hands of Rock n Roll band, who'll throw it all away"と歌うことに100万回頷けるのも、音楽"なんぞ"に潰されてんじゃないよって切に思うからだ。結局のところ直接の原因はアルコールと薬物だったりするんだから始末に負えない。廣井はマジで病院行け。
脱線の勢いで急な問題提起が始まるけど、義務教育でポップスに利用されてる音楽理論を学ぶくらいできません?中学までで「音名と音程」〜「ダイアトニックスケール/コード」の基礎は身につくと思うんだよな。
音楽の授業で合唱とか古典の鑑賞会とかやらしても、結局大半の人間が日常で耳にするのはポップスだ。ジャズとかアニソンとか複雑化しているジャンルは置いといて、だいたいのポップスはコード進行だけとればある程度パターン化されている。
なんか音楽が限られた才能のある人間の技能みたいになってるのって、理論的理解のステップを器楽を通して踏まないからなんじゃないか?
極論言えば音楽なんて音と音の組み合わせでしかないのに (欧米由来のポップスに限れば基本的に12平均律の組み合わせでしかない) もちろん複雑な部分はあるが基礎の基礎なんてマジで誰でも分かるし、C、F、Gを覚えるだけで『Twist And Shout』は弾けるし歌える。
なんで音楽の教科書に有名なポップスを載せてんのにそれのアナライズとか、それを踏まえて実際に弾いてみよう歌ってみようとかないんだ。『Lemon』、『若者のすべて』とかも載せてみても実際に取り扱わないなら意味ないじゃん。単なるミュージシャンの実績の一つ止まりで、音楽教育の発展に全然活用できてない。
子供の時に眠くなるクラシック (も当然素晴らしいが) 聴かせるより、誰でも知ってるヒット曲たちがどうやってできてるのか、それらの共通点とか応用とか教えた方が音楽の敷居は絶対下がる。「リスナーの質の低下」とかその手の敗北宣言は音楽の真の通俗性を確保してから言うべきだ。
…何の話をしてるんだ!
黒地にでかでかとロゴ入りのユニフォーム…部活のライブで着てたわ (背中にプリントだったけど)。正直、虹夏ちゃんもあんまり人のこと言えんのでは?ぼっちよりマシってだけで。
7話もギャグ多めでよかったけど、ちょっと冗長だったところあるな。
後藤家のくだりはもっと端折ってもよかった気がする。
8話
神回。
結束バンド初ライブ回。
1巻の締めであり、タイトル回収も兼ねたエピソード。
5話のオーディション超えられるのか?と思ってたら3段上くらいで超えてきた。
肝小さいのを低気圧のせいにして誤魔化す山田。
『ギターと孤独と青い惑星』よれよれバージョン心臓に悪すぎる。
なんでこんなリアルに仕上げた!?トラウマ刺激されたバンドマン、楽器経験者 いっぱいいるでしょ。
ドラムが…ドラムがもたつくと全てが終わる。
うおおおお虹夏!お前が一番打たれ弱いんだもんなぁ (血涙)!!!こうなると安定してるベースとギターが逆に走って聴こえる。再現度たっか。
ボーカルのピッチのよれ具合がリアルすぎる。不安だから指板ばっか見てて、歌に意識がいってない。右手がおろそかだからアルペジオがたがた。ギタボ経験者をピンポイントで殺しにくるのやめてくれ。
外行っちゃう客!(原作にはない)
まぁこれに関してはアニメ的な誇張もあるというか、目当てのバンドじゃなきゃこんなもんだし、来てくれただけで御の字というか。てかこんな台風でさえちょこちょこ来てるの、他バンドの求心力すごくね?
でも、右端の人棒立ちだけど前見て聴いてくれてんじゃん。お目が高い。
廣井の「私は実力知ってるから心配ないけどね」的なドヤ顔ムーブとは違うね。
そして今回のハイライト。
か…かっけぇ〜〜〜〜〜!
レスカスでごりごりにカッティングすんのいかついぜ!!
Dナチュラルマイナー上でのシンプルなフレージング。技巧をこらそうという打算はなく、ジャキジャキに歪ませてノイジーに思いつくままに掻き鳴らす衝動的なリフ回しにひたすら熱くなる。
空間系が足され (PAさんの後がけ説)、ディレイサウンドとともにハイポジションへとスケールが駆け上がるにつれ、後藤ひとりの姿勢はどんどん前屈していく。あまりにも、あまりにもギタリスト。そのエゴイスティックで攻撃的なサウンドとスタイルに、俺は邦オルタナティブ・ロックの金字塔、NUMBER GIRLのリードギター田渕ひさ子の影を見る。その圧倒的なプレゼンスを前に、にわか洋楽かぶれ (俺) はボウルにいっぱいのポテトサラダを頬張ることを余儀なくされる。
マジでこれ。
インプロの残響が掻き消えるまえに力強く刻まれるハット。
これを聴きたかった。
曲スタート同時に暗転。照明さんのタイミングが完璧すぎる。
『あのバンド』、ゴリゴリに残響ロックサウンドじゃねぇか!!
全パートが音で殴り合うかのようなアンサンブル。
332のリズム、うねるベースライン、16分でゴリ押しするギター。
捻りも何もない。客の反応などどうでもいい。とにかくこの空間を制圧するための音楽。
ここのギター単体でカッティング鳴らすカット無限に痺れる。
見せ方良すぎるだろ。
てかこのリフめっちゃかっこいい。即コピーした。
弦飛びあるから地味にむずいんよ。
6話の見上げるアングルとは対照的な、ぼっち視点の見下ろすアングル。
ぼっちは完全に自分の世界に入り込んでしまって、リズム隊とボーカルを無理矢理引っ張っている状態。正直、バンドとしての体は成していない。圧倒的なワンマンプレイが場を飲み込むことの是非が問われるが…
ぼっ…後藤さん!?
顔が良すぎる!!!!!
完全にこれになってしまった。
サビのギターやばすぎ。
ユニゾンチョーキングの連打気持ちぃ!!もうボーカル喰ってるよ。こんな独善的なパフォーマンスでも、それがバチバチにキマってたらカッコいい。
例えばギターぶっこわすパフォーマンスとかマジで嫌いなんだけど、Jimi Hendrixのプレイ、立ち振る舞いはギタリストofギタリストとして崇めざるを得ないし、後発のSRVの『Little Wing』のカバーアレンジは人の褌なんて揶揄できないクオリティで、やたら長いインプロもずっと聴けてしまう。
ミュージシャンって独善的な人間が多いのは分かってるんだけど、良い音を出されたらもうそれだけでコロッといってしまう。ギター弾くようになってからそういうチョロさに拍車がかかってる自覚がある。「あ!良い音!!」ってなったらもう他の一切がどうでも良くなってしまう。
だからミュージシャンのパーソナリティに関心を寄せるのを意図的にセーブするようになった。そういうミュージシャンの擁護をしたいわけではなく、むしろ人格面の粗を音楽の功績でマスキングしないようにという意味で。ただ結果的にゴリゴリの能力主義的評価態度が加速してるのは否めない。
いやーでもシンプルに『あのバンド』良すぎる!!
00年代後期から10年代前期 (あやふや) の邦ロックシーンで存在感を放っていた残響系サウンド。シューゲイザー、マスロック、エモ…のごった煮。
化石を掘り起こして喜ぶノスタルジーは否めないが、これなんだよ!!俺にとっての邦ロックは!!!
これを最古参かつ最前列で聴けたファン1号、2号が羨ましすぎる。
田舎者なんでライブハウスとかには基本縁がなく、閉じた環境でしか音楽を聴いてこなかったから、現地行ってのライブ文化にはどうしても慣れない (故に昨今のリモートライブの普及に結構助かってる部分がある) けど、結束バンドのライブ行きてぇ〜…。真ん前でデカい音浴びたいわ。
アウトロもめっちゃくちゃかっこいい。
33334のリズム好きすぎ問題 (タタタ・タタタ・タタタ・タタタ・タタタタ)。
これ一番好きな虹夏のカット。
何気に虹夏のドラムってぼっちのギター並みに手数多くて尚且つパワフルだ。BPM190でフィルぶち込めるだけぶち込むし、そりゃこんだけ汗もかく。山田のアレンジもあるだろうけど、このドラミングの傾向は本人の打たれ弱さに負けまいとする意思が反映されてるのかもしれない。『響け!』の部長のバリトンサックスのソロが譜面に縛られないジャズテイストだったのを思い出す (あのソロ良すぎてボロボロ泣いた)。どうしよう、今後虹夏のドラムソロとかあったら泣き崩れるかもしれん。普段裏方に徹するポジションが前に出てぶちかます展開に弱い。
単純にウワモノ担当のギターとしてはリズム隊に頭上がらんというものある。楽器やって切に感じるのは他パートのありがたみ。
この一連をAパートでまとめるのか。OPなしだからアバンも含めて9分くらい?
7話の溜めは初ライブ+打ち上げの原作2話分を1話でまとめるためだったわけね。
打ち上げ(Bパート)のガヤ感良き。
そういやチェンソーマンも8話で打ち上げやって酔っ払いが暴走してたな(放送された週が同じで誤解してた。7話でした)。
急に押井守になるのやめろ。
I.Gに現場乗っ取られたのかな?
コマ端の会話だったのにここまで盛るの笑うわ。
やすりがけぼっち、顎めっちゃ盛られたな。なんか元ネタあんのかね?
そして早々のギターヒーローばれ (1巻最終話)。
ここの虹夏の顔こわい…。
初ライブはぼっちのワンマンプレイでなんとかなったところはあるから虹夏の心境は複雑だよなぁ。ここで「ギターヒーロー」としての才覚を尊重するなら「ソロでやりなよ」の一言で結束バンドは終了。虹夏はそれも頭にある上でなんのためにバンドをやるのかをぼっちに問う。自分の野望のために結束バンドのギターとしてぼっちを利用しようとする後ろめたさもあるだろう。
ぼっちはもともとバンドをやりたいという以前に「ちやほやさたい」という願望がある。ネットでの活動が主戦場のミュージシャンも多い今、まさにその典型例であるぼっちにとって、バンドはあくまで手段の一つともとれる。ぼっちがギターヒーローではなく、「結束バンドのGt.後藤ひとり」として、フィジカルな現場に身を置く意義をどう見出すかが後藤ひとりのテーマ。結束バンドにとっては後藤ひとりが身を置くに値する地盤になれるかが課題となる。
…なんかBUMP OF CHICKENのヒストリーっぽくね?
もともと音楽の素養があった藤原基央にだけレーベルから声かかって、それをこの4人じゃないと意味ないからって蹴ってバンド続けて、ギターの増川が大学落ちたりして「おめぇ何やってんの?」って喧嘩してうんぬんかんぬん…。
なんだ、エモか?ひょっとして『ぼっち・ざ・ろっく!』ってエモなのか?
普通にギャグ漫画(少女漫画出身の作者特有のノリ)として読んでたから、全然その辺のこと眼中になかったが、よくよく整理したらぼっちのポジションってギターに全振りした藤原基央(ただBUMPはボーカルの方がギター上手い…)だな。山田もコンポーザーとして申し分ない才能を持ってるから独立できそうだし、そう考えたら結束バンドですごい綱渡りで成り立ってないか?うわぁ…ますます虹夏が見てらんないよ。
7話感想でも言ったけどじめじめドラマはやめてくれ〜、あったとしても簡素なメロドラマでとどめてくれ。繊細路線は避けてギャグ路線を貫いて欲しいです、ほんとに。
どんどん脱線するんだけど、二次創作関連で結束バンド解散ifが盛り上がってんのすげぇびっくりした。ぼっちが死んだりしてね (それこそ『ソラニン』かよ!)。
まぁ二次創作なんて好きにやりゃいい派ではあるし、地雷踏んでブチ切れて自治厨かますようにはなりたくないのでギャグとして流しているが (この辺のオタク心理?分かりかねる)。
あとちょいちょいカプ論争が起きてるらしい (どこで?) のもびっくりした。結束バンドのドライな関係からは全然想像できんかったわ。ぼ虹?ぼ喜多?ぼっち総受け!?アニメ始まってから初めて知ったわ (あんま二次創作見ないものあるけど)。
いやリョウ虹あたりはワンチャン説得力あるが、それでも原作はあくまでギャグで進むので、人間関係のドラマは発生しようがない。
あ、でも成人後にぼっちと山田がヤニカスになってる二次創作は激しく同意。絶対吸うわあの二人、ストレス耐性ないもんな。虹夏は店長 (喫煙者) にストップかけられるのも解釈一致。喜多ちゃんは吸わん。
このご時世でもミュージシャンの喫煙率はすごい。
喉を気遣って煙草とか一切やってないんやろな…って思うような、すごい繊細なハイトーンボイス出すような人ですらスパスパ吸ったりしてて軽くショック受けることはままある (具体名は控えます)。
まとまりがなくなってきた。そもそもなかったわ。
終わり!
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