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作家殺し【短編小説】#7

伝記の章
 
 

 目が覚めた翌日の朝、リビングで対面している二人はまだ眠っていた。よく見ると、二人とも手足はきつく巻かれたガムテープのせいで腫れ上がり、赤黒く変色している。

 やがて目を覚ました二人のリアクションは全く異なっていた。落ち着いた様子で目覚めた彼とは打って変わって、全裸で椅子に固定された男は酷く動揺していた。ガムテープで塞がった口元から呻き声が漏れ、瞳を少し潤ませながら体を左右に揺さぶり始める。

 男はパニックになっていたのか、しばらく目の前に座っている僕の友人には気付かなかったが、目の前に座っている僕の友人に気が付くと、一層激しく呻き声をあげた。

 その呻き声に激しい怒りが含まれているのは容易に感じ取ることができた。

 僕は彼の指示に従って、男のガムテープをはがしてやると、とてつもない怒声が部屋に轟いたので、直ぐに塞ぎなおした。

 この日は仕事があったので、僕は二人を置いて職場に向かったのだが、殆ど手に着かなかったのを覚えている。

 家に帰るころには男は憔悴した顔をしていて、僕が帰ったことに気が付くと、何かを訴えかけるようにガムテープ越しに呻き声を出すが、僕は彼に言われたように反応をしないように努めた。僕は友人に、本当に大丈夫なのかと、彼の健康状態やこんなことをしていいのかと色んな要素を含めて訊ねるも、彼は大丈夫だ。と言い切るだけだった。

 変化が起きたのは三日目の夜中だった。
寝室で寝ていると、異臭がしてきて目が覚めた。直ぐにそれは排泄物の臭いだと分かり、リビングに行くと、男の座る座面と辺りの床に黄色い尿が溜まっていて、臀部の辺りからは茶色い固形物が異臭を放っていた。僕は床や椅子、男の身体についた汚物を可能な限り拭き取ると、それだけで酷く参ってしまい、友人にこんなことは辞めようと言うも、彼は頑なに辞めようとはしなかった。

 その数時間後、友人も男と同じ様に脱糞をした。友人は服を着ていたので掃除をするのに一旦椅子から解放して、僕はシャワーを浴びるように促したけど、彼は浴室に行ったら水を飲んでしまいそうだから駄目だ。と言って断った。

 この日を機に、僕は自分の家で食事を取ることを辞めた。と言うよりもできなくなった。

けれど、五日目を迎えたころに、友人からここで食事をしてほしいと言われた。
とてもじゃないけど、ここで食べる気にはならない、と一度は断るが、彼は、食欲を煽るために臭いを嗅がせてくれ、と、やつれた顔で弱々しく、しんみりと放つ声に僕は逆らうことが出来なかった。彼は本当にこの男を食べようと思うのだろうか、と、この時の僕は一抹に思った。言葉を交わせている友人とは対照的に、口を塞がれた男は呻き声すらあげず、虚ろな瞳で、抗うことを諦めていた。きっとここに監禁されてから、僕と友人の会話を聞いてから何かを悟り始めているのかもしれない。

 五日目にして彼が男の名を呼ぶと「お腹は空いているか」と訊ねた。少し間があってから、男は力なく、僅かに頭を縦に動かして答える。僕の知る限り、彼が男に声をかけたのはこの時が初めてだったと思う。二人の表情には精気の欠片もなく、髪は脂でぎとついていて、部屋は汗か何かの酸っぱい臭いが漂っていた。

 そこから彼は様々な質問を投げかけ始める。

「君の小説の中に、人を逆さに吊るして放置すると、血液が眼球に集まって破裂するというのがあったが、あれは本当にそうなるのか?」

「この状況は君が小説の中で書いていたシチュエーションにそっくりだと思わないか?  飢餓の状態で同じ人間を食べてしまうみたいだが、俺はまだ君を食べたいとまでは思わない。君は俺を食べたいと思うか?」

「君にとって作品の登場人物は、必要な役割を与えられただけの人物に過ぎないのか?」

「前にも聞いたと思うが君は自分の事や自分の書いた小説を面白いと思うか?」

「君はどんなことに面白いと感じる?」

 僕の記憶にある以外にも、彼はこの五日目に百近くの事を男に訊ねたが、男が何かしらの反応を示したのは「お腹は空いているか」という最初の質問だけだった。

 六日目になると、友人の顔つきも一層険しいものになっていた。

「頭が痛い」と口にするようになり、このままでは本当に餓死ししてしまうんじゃないかと思い、僕は何度も、せめて水ぐらいは、と勧めたが彼は首を横に振った。今思えば、無理やりにでも飲ませるべきだったのかもしれない。

 友人と対面する男は既に全く動くことがなく、僕は時々脈拍を確認して生存を確認したほどだった。

 六日目、この日は仕事が休みで初めて日中の彼らを見ることになる。窓を開けると涼しげな空気が入り込んできて、密閉されていた空間にいかに異臭が充満していたのかを思い知った。

 陽光が椅子に固定された二人を差し、僕はソファで読書を始めた。友人は僕を一瞥すると、再び目を閉じてしまい、男は僕のことなど全く見ようとはしなかった。

お昼になると、僕はポットでお湯を沸かし、カップ麺の中に注いだ。三分が経ち、蓋を開け、僕が二人の前でずるずると音を立ててカップ麺を食べているときだった。友人が「解放してくれ」と呟き、僕は慌てて立ち上がる。しかしすぐに「食べきってからでいい」と友人に言われ、友人を解放する前に完食した。そして間もなく解放された友人は、立ち上がろうとすると前のめりに倒れ込み、手をつこうとしても細い枝が簡単に折れるように折れ曲がり、胴体と顔面を床に打ち付けつた。その音で、男も目を覚ましたようだった。

 それから小一時間、友人は仰向けのまま動こうとしなかった。もっとも、動けなかったのかもしれないが、やがて友人は立ち上がると、ソファに倒れ込み、予め用意していた工具箱を持ってきてくれと僕に指示した。

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