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作家殺し【短編小説】#1

序章

 電車から見える窓の外は、しとしとと雨が降り続けている。岸上賢治はそんな天気を嫌に思うことなく、見慣れない街に目を向けていた。

 岸上に朗報が入ったのは、一ヶ月ほど前のことだった。

 アルバイトで生計をたて続けて七年になろうとしている岸上に、小説の新人賞受賞の知らせが届いた。まさか自分が、なんていう気持ちはなく、取るべくして取ったのだと傲慢になりながら、自分が受賞したことを家族、友人、SNS上にひけらかした。

 沢山の祝福の言葉の中に、売れない小説を書き続けている自分を小馬鹿にしていた人物からも一言貰うのだから、小説の新人賞に受賞するというのは、思っていた以上に反響があり、これまでの自分の世界を一変させた。

 そして今もこうして高鳴る気持ちをぶつける先は、SNS上で知り合った作家仲間の一人、大和誠治だった。作家仲間と言っても、互いに小説家を夢見る者同士で、小説投稿サイトに投稿された原稿や、ワードデータにしたものを送り、意見を言い合っていたに過ぎず、顔を合わせるのは今日が初めてだった。同じ立場にいたはずなのに、岸上は未だにデビューできていない大和に対して、明らかに自分の置かれている階級が上だという認識を持ちはじめている。

 西武新宿線下井草駅から、シャッターの閉まった店が並ぶ旧早稲田通りを歩いていると、路一杯にバス同士がすれ違う。バスと歩道の隙間は人一人分なので、岸上はさしている傘の縁に目をやり、自分のお腹にも目を落として、これからは運動をしてダイエットをするのもいいな、と思い至った。痩せれば、想いを寄せているメイド喫茶の子にも好意を抱いてもらえるのかもしれない。なんなら、小説家だという事を伝えれば興味を持ってくれるのかもしれない。そんな自分のサクセスドリームを、大小問わず考えることがこのところ頻繁にあった。

 速度を落としてすれ違ったバスは、唸りをあげて加速していき、水を弾く音を立てながらアスファルトの上を走っていく。冬の冷たい空気に、優しくも降り続く雨のせいか、人影はあまりない。

 待ち合わせ場所のファストフード店に着くと、二階にいるとの連絡を受けていたので、入ってすぐに二階に向かったが、辺りを見渡してもどの人物が大和誠治なのか分からない。岸上はSNS上で到着したとのメッセージを送り、一階に降りてホットコーヒーを注文し、再び二階の窓側の席を見つけてそこに腰かけることにした。

 席についてからちらちらと周囲に視線を向けるが、岸上の事を気に掛ける人物などいないので、今にもこみ上げてきそうなはやる気持ちがもどかしくなる。

 そしてしばらく携帯に夢中になっていると、精気のない低い声が岸上に掛けられた。

「岸上、賢治さんですか?」

 岸上は声を掛けられ、無事に出会うことができた安堵感を刹那に感じるが、男の顔を視界に捉えた瞬間に、自分がここにくるまでに感じていた胸の高ぶりを全て吸い取られてしまった。それほどに、男の顔は混沌としていた。

「あ、はい。岸上賢治です。お宅は大和誠治さん、でしょうか?」

 男は「そうです」と一言いうと、じっと顔を睨まれてしまい、岸上はまるで上位階級の野生動物に対峙してしまったかのように身動きが取れなくなってしまった。不愛想な上に、なんだか自分が拒絶された気分になり、岸上は居心地が悪くなった。

「座っても?」

 男はぶっきらぼうに訊ねてくる。

「どうぞ」と岸上が身構えつつも男を座るように手で促すと、岸上は再び睨まれてしまった。

「な、なにか」

「いえ、いつも原稿を読ませて頂いていたので、なんとなく自分の中であなたの顔を想像していました」

「は、はぁ。似ていましたか、その、想像していた顔と」

「いえ、全く。もっと自分に自信を持っている方だと。あ、決して岸上さんが自信なさそうに見えるとかではないので、そこは誤解なさらないでください」

 岸上は言葉に詰まった。初対面でこんな言われ方をされ、プライドが傷ついたが、立場的には自分の方が上なのだから、下手に出る必要はない。そう自分に言い聞かせた。

「え、ええ。見ての通り二枚目と言うわけでもないですからね。なかなか自信満々な顔なんて人の方が珍しいかと」

「でしょうね」

 返ってきた一言がどこに向けられた言葉なのか、岸上が考えていると、大和は眼光を鋭く訊ねてくる。

「一つ、お訊ねしたいのですが、岸上さんはご自身の事を面白い人間だと思われますか?」

 一体この男は何を訊いてくるんだ、と岸上は徐々に苛立ちを覚え始めるも、数拍置いて口を開く。

「と、言いますと。私が私の事を面白いと思っているか、ということでしょうか」

 返事が直ぐに返ってくる。

「はい、そう訊ねましたが」

 呆気にとられた岸上は、額に滲み始めた汗を手で拭った。

「どうでしょう。私が面白いかどうかはともかく、少なくとも今回選出された作品のように、私が書いた小説は少なからず評価を頂いているかと思います」

 曖昧な返答をしてしまったが、これがベストな返答だと思えた。

「そうですか、では私はこれで」

 そう言って大和誠治は席を立ち始めるので、岸上は慌てて声を掛ける。

「え、あ、あのちょっと」

 数歩歩いた所で、岸上の声に振り返った大和の目は、最早自分に興味などない、そんなことを訴えかけている。虚ろな眼差しを前に、岸上は出かけた言葉を飲み込んだ。

「なんですか、何もないようでしたら失礼したいのですが。それから一つ断っておきますが、私はこれまであなたの小説を一度も面白いなんて思ったことないですよ。某新人賞だか知りませんが、よくもあんなものが書けましたね。先人たちを侮辱するにも程がある」

 岸上の表情には戸惑いの色が如実に現れる。

 一体自分はここに何をしに来たのだろうか、そう思わざるを得ない。新人賞を受賞し、一度お会いしませんかと言われて来た結果がこれだ。

「大和さん、あなたが私の小説をどう思おうがそれは大和さんの自由です。ですが、いくら何でも失礼じゃありませんか。呼び出しておいてまともな会話一つしていない。一体何の為に私に声を掛けたんですか」

「何の為に?」

 大和は僅かに視線を落とし思案し始める。

「そうですね、あえて答えるのなら、自分が面白い人間なのかを実感するため、ですかね。世の中と自分の価値観の折り合いをつける意味も含めてですが、私があなたを、あなたの作品をつまらないと思い続けられている事が私にとっては大事なんです。あなたに祝辞を述べる気も毛頭ありません。もし、またつまらないものを書いたのなら、私は全力で壊しに行きますよ。なんせもう顔見知りですからね。覚悟していてください。では」

 大和誠治はそのまま階段を下って行ってしまい、岸上は二度と会うものかと、憤りを感じつつも、大和の言葉が頭に残っていたのが気持ち悪く、いつまでも後味の悪さが消えることはなかった。

 実写映画化が決まったのは、アニメが爆発的にヒットしてから数ヶ月後だった。ブレイク以外の何でもない。想いを寄せていたメイド喫茶の女の子とは名乗るや否や、告白をして付き合い始めると、そのままあっという間に結婚までしてしまった。無論、大和誠治という人間のことなんて微塵も考えないぐらいに忙しくなった。

 映画公開記念の舞台挨拶に原作者として呼んでいただき、その後の打ち上げの飲み会には妻と参加することになった。

 自分の書いた作品が実写映画化され、アニメ化された時とは違った感慨深いものが込み上げてくる。

 出演者や撮影に携わったスタッフたちとの歓談を楽しみながら、お酒が進んでいたことは覚えている。

 妻に介抱してもらいながら自宅に向かっていたはずなのに、なのに何故、目の前にこの男、大和誠治がいるのだろうか。


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